「両利きの経営」は、「既存事業を守りながら、いかに新規事業を開拓するか?」という多くの企業が抱える課題に対する解決手段となる考え方であり、新規事業の担当者には必須の知識になっています。
本記事では、両利きの経営の基本的な考え方と、成功企業の事例を紹介します。
(考え方は弊社代表・楠浦のNote ”「両利きの経営」を5分で理解する” でも解説しているので、ぜひご参照下さい)
この記事の内容
「両利きの経営」の概念はスタンフォード大学のチャールズ・オライリー教授らによって継続的に研究され、その研究成果は、著書『両利きの経営』で詳しく解説されています。
以下に、概念が提唱された背景と、実践するための考え方を紹介します。
両利きの経営が重視される背景に、「ある事業で成功した企業が、その事業の改善に特化した結果、市場の急速な変化に対応できなくなる」という現象があります。この現象は「サクセストラップ」と呼ばれ、『イノベーションのジレンマ』など多くの文献で指摘されていますが、「確実な収益が得られる既存事業に集中したい」という欲求から逃れるのは極めて困難です。
また、『両利きの経営』では、サクセストラップにハマった企業の具体例として、衰退するカメラ市場から脱却できなかったコダックが紹介されています。その対比として、化粧品など新規事業に挑戦して成長した富士フイルムが紹介されており、新規事業の開拓が企業の継続的な発展に必須であることが示されています。
以上の背景を踏まえると、成長し続ける組織には、「既存事業の堅実な改善」と、「未来を見据えた新規事業の探索」の両方が必要と言えます。前者は「知の深化」、後者は「知の探索」と呼ばれ、両者をバランスよく協調させることが重要です。
しかし、深化に必要な組織力(確実性・堅実さなど)は、探索に必要な組織力(偶発的な発見の重視・挑戦心など)と相反するもので、必ず対立が生じます。よって、両利きの組織をつくるリーダーには、対立を調整しつつ、既存事業の資産を新規事業に活かせるよう支援する能力が求められます。
難しいですが、成功すれば、既存事業の資産を活かし、新興企業より有利な立場で新規事業を開拓できます。以下、両利きの経営に成功した企業の事例を紹介します。
※サクセストラップを打開する方法については以下の記事で詳しく解説しています。ぜひご参照ください。
先述の『両利きの経営』では、代表的な成功事例としてIBMが紹介されています。
1990年代後半のIBMは、有望な新規プロジェクトを複数持っていましたが、社内で新規事業が軽視されていたことなどが原因で、市場機会を逃す状況が続いていました。
その状況を打破するため、IBMは2000年からEBO (Emerging Business Opportunity) プロジェクトと呼ばれる取り組みを開始し、新規事業への確実なリソース分配やマイルストーン管理の仕組みなど、新規事業が成長するための体制を整備しました。
例えば、2000年に開始されたライフサイエンス事業は、2006年までの間に50億ドル規模の事業に成長し、その過程でも複数の関連事業が立ち上げられており、「知の探索」の仕組みが定着したことを裏付けています。
また、IBMは1993年頃から発明を積極的に権利化・収益化する体制を整えており、2000年にはIBMの総利益の約25%が知的財産ライセンスプログラムから提供されています(詳細は書籍『マイクロソフトを変革した知財戦略』など参照)。つまり、先述した刷新を開始した時期には、特許ポートフォリオ構築・収益化のノウハウと、収益を次の発明に再投資する体制が構築されていたことになります。
試しに、IBMのライフサイエンス事業の注力分野の1つであるバイオインフォマティクス関連技術(CPC分類:G16B)の特許出願を確認したところ、1999年ごろから継続して出願が行われ、近年さらに出願件数が増加していました(上図参照)。このように、新規事業の特許ポートフォリオ構築に投資できるのも、知財力のある企業の強みであり、両利きの経営が成功する下地になっています。
AGC株式会社(旧・旭硝子、以下AGC)は両利きの経営を実践する組織として注目されており、同社のケース・スタディが書籍『両利きの組織をつくる』で詳しく解説されています。
2015年に島村琢哉氏がCEOに就任した当時、AGCは成熟事業に依存しており、先述したサクセストラップにハマっていました。その状況を打破するために策定されたのが中期戦略ビジョン「2025年のありたい姿」で、その内容は以下のように要約されています。
コア事業が確固たる収益基盤となり、戦略事業が成長エンジンとして一層の収益拡大を牽引する、高収益のグローバルな優良素材メーカーでありたい
「コア事業」にはガラス事業など安定収益が見込める事業、「戦略事業」にはライフサイエンスなど新規事業が含まれ、それぞれ「知の深化」・「知の探索」に対応しています。
一方、上記のビジョンを実現する具体的な取り組みとして、AGCではコア事業と戦略事業の組織を分割するとともに、研究開発で得られたネタを事業に育てる役割をもつ「事業開拓部」を設置しています。
新規事業のアイデアは、事業開拓部により「面白そうか」「売れそうか」「勝てそうか」など独自の評価基準で選別・育成され、量産化の目途が立ったものは卒業し、既存事業のカンパニー内で事業化されます。また、卒業した事業が自立できない場合は本社コーポレート部門がサポートするなど、卒業後のフォローアップの仕組みも構築されています。
ただ、既存事業と新規事業の対立は仕組みだけでは解消できず、リーダーにはそれらを解決する度量が求められます。『両利きの組織をつくる』の著者によるAGC社員へのインタビューでは、いずれの事業サイドからも「まあ、島村さんたちが言うなら仕様がない」というコメントが多かったそうで、優れたリーダーシップが発揮されているようです。
※AGC以外の素材メーカーの新規事業創出戦略として、三井化学の事例を以下の記事で解説しています。こちらもぜひご参照ください。
セールスフォース(Salesforce.com, inc.)は顧客関係管理(Customer Relation Management : CRM)システムで世界トップシェアを持つ企業であり、その強みをSlackなど自社サービスと親和性の高い企業の買収により強化しながら急成長しています。CRM領域の強化は両利きの経営でいう「深化」に当たりますが、ここ数年は新規事業としてヘルスケア分野や脱炭素(温室効果ガス削減)分野にも進出しており、「探索」にも力を入れています。
新規事業でも富士通やAT&Tなど巨大企業との協業を発表しており、深化・探索の両面で急成長を続けることが予想されている注目の企業です。上記の動向については、弊社が作成したFY23 Q2の4半期レポートで解説しており、今後も同社の動向をウォッチする予定です。
ここまで、知の深化と探索を両立する両利きの経営の考え方と、新規事業重視の体制づくりや知財活用で成功したIBMの事例, 両利きの経営に合致したビジョン策定と組織づくりに成功したAGCの事例を解説しました。いずれの事例も、「知の探索」の実践として新規事業を育てるための組織作りの例として参考になります。
弊社サービスの「企業内発明塾」でも、「知の探索」における新規事業ネタの「選別」「育成」プロセスを支援しています。本サービスでは、ITツール「e発明塾」により事業創出の基礎スキルを短期間で身に着けて頂き、支援者も助言しながら質の高い企画を創出して頂けます。ちなみにAGCの事例で紹介した「売れそうか」「勝てそうか」といった基準は弊社の企画創出フレームワークとも合致しており、突き詰めると近い考えに到達することを実感しています。
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