事業転換とは、新たな製品の製造等により、主たる事業を変更することを指します(事業再構築に関する経済産業省の資料参照)。事業転換に成功した企業は、新規性のある市場で事業を立ち上げ、自社の収益の柱になる事業に育てています。
この記事では、事業転換の成功事例として、富士フイルム、JSR、3Mの3社を取り上げます。特に、「既存技術の強みをどう生かしたか?」という観点で、特許情報を元に掘り下げます。
既存事業が立ち行かなくなっても生き残れる企業を育てたい方はぜひご一読下さい。
この記事の内容
まず、富士フイルムの事業転換の概要を説明します。
上のグラフは、2003~2023年の20年間で富士フイルムの事業カテゴリーと収益がどのように変化したかを示しています。
事業カテゴリーの変化について、以下に概要を整理します。
ヘルスケア事業では、医療機器のほかに、医薬品や化粧品、細胞培養などにも取り組んでいます。機器や半導体関連の製品を中心とする既存事業とは全く違う分野に進出していることがわかります。
では、富士フイルムはなぜこのように既存事業とは全く異なる市場を開拓できたのでしょうか?
※富士フイルムは2001年に富士ゼロックスを完全子会社化
富士フイルムがヘルスケア分野で新規事業を開拓できた背景として、写真の分野で培った技術の強みを掘り下げ、新たな用途を探索したことが知られています。2011年の富士フイルムの論文で、自社の写真技術をどのように医療・ヘルスケアの分野に活用したかが紹介されています(上図参照)。
写真技術の新用途に関連した特許の例を以下に整理します。
デジタルカメラの普及によりフィルム材料の市場は一気に縮小しましたが、富士フイルムは既存技術の強みを掘り下げ、新たな用途を開発してきたことがわかります。
ちなみに、富士フイルムの事例は新規事業のモデルケースとして研究対象にもなっています。例えば、伊藤・杉光らの研究(2021年、日本感性工学会論文誌 Bol.20 No.3)では、IPランドスケープを用いた新規事業探索モデルを検討する際に、パイロットスタディとして富士フイルムの化粧品事業を扱っています。
富士フイルムはヘルスケア事業の拡大をさらに加速させており、特に医薬品の開発・製造の受託に関する事業に力を入れています。
2023年3月のリリースによると、同社は創薬の支援を行う「CRO(※)事業推進室」を新設し、創薬研究のサポートにも本格参入するようです。具体的な取り組みとして、2015年に買収したセルラー・ダイナミクスのもつiPS細胞の技術と、人工知能技術の組み合わせにより、医薬品候補物質の評価や解析を行うサービスを提供するようです。
iPS細胞を利用した創薬評価のシステムに関連した特許も出願されています。例えば WO2022270179A1「情報処理装置、情報処理方法、及びプログラム」では、細胞が予定通りに分化するかどうかを画像データを用いた機械学習により予測するシステムが記載されています。発明者の白石氏の過去の出願を見ると、内視鏡の画像診断に関する技術を開発しており、機器開発で育てた強みが生かされていることがわかります。
また、WO2020158581A1「品質管理装置、品質管理システム、品質管理方法、および品質管理プログラム」では、創薬評価に用いるiPS細胞の品質に影響する要因を機械学習により抽出し、品質管理を改善するシステムについて記載されています。
富士フイルムは医療機器など既存事業で培った人工知能や品質管理の技術を、iPS細胞の管理にも活用しているようです。
※CRO:Contract Research Organization(医薬品開発業務受託機関)の略称。基礎研究や治験などを研究(Rsearch)に関する業務を受託する業態の企業や組織。開発・製造を受託する企業や組織はCDMO(医薬品受託開発製造機関)と呼ばれる
富士フイルム以外に事業転換に成功した企業として、JSRが知られています。JSRは2021年に祖業である合成ゴムを含むエラストマー事業をENEOSに売却しています(ENEOSのリリース参照)。
上図のように、2017年の時点ではエラストマー事業が売上の半分近くを占めています。一方、エラストマー事業売却後の2022年には、ディスプレイ・半導体などを含むデジタルソリューション事業と、ライフサイエンス事業が売上の7割程度を占めています。
わずか5年間で、JSRが半導体やライフサイエンス分野の事業を大きく成長させたことがわかります。JSRは事業成長のための複数の企業を買収しており、代表的な買収として以下が知られています。
JSRは買収だけでなく、自社の既存技術を活用した開発も進めています。
CDMO関連では、ターゲット物質を精製するカラムの材料を開発しています。例えば2010年に出願された JP5772816B2「アフィニティークロマトグラフィー用充填剤およびイムノグロブリンを単離する方法」では、抗体の精製に関連した材料について記載されています。
JSRは「Amsphere™ A3」と呼ばれるタンパク質分離用のカラムを商品化していますが、15年くらい前から開発に取り組んでいたことが分かります。
また、CRO関連では、薬剤の評価に用いる細胞の培養技術を開発しています。JSRの新井一也氏の特許出願を見ると、2012年頃から3次元培養した細胞を利用した薬剤のスクリーニング系の技術を開発しています。
JSRが10年以上かけて育てた技術の強みが、CDMO/CRO事業の成長に生かされていることがわかります。
最後に、「既存技術を活用した事業転換」を継続的に行ってきた海外企業として、3Mの事例を簡単に紹介します。
米国の大手材料メーカーである3M Company(以下、3M)は、エレクトロニクス、ヘルスケアなど様々な分野でイノベーションを起こし続けてきた企業として知られています。
同社はセロハンテープなどの粘着テープに関する技術を開発した後、テープの新用途を次々に開拓し、医療用、電気製品、自動車など幅広い分野で事業を創出しています。生み出された技術は「テクノロジープラットフォーム」として体系化されており、新商品を生み出す源泉として活用されています。
2020年の3Mジャパンのサステナビリティレポートによると、2019年時点で同社は51のテクノロジープラットフォームを持っており、1つの中核的なテクノロジーから生み出される商品の数は1000を超えると言われています。最近ではVRデバイス用の材料開発など、さらに先進的な分野で事業を創出しています(VRヘッドセットに関する3Mの記事参照)。
このように、既存の強みである技術の用途を開拓し、新たな顧客を開拓するマーケティングは「技術マーケティング」と呼ばれます。3Mは技術マーケティングで成長したグローバル企業の代表例と言えます。
※3Mの技術マーケティング戦略の詳細は以下の記事で詳しく解説しています。
以上、事業転換に成功した企業の代表例として、富士フイルム、JSR、3Mの事例を解説しました。「今の事業が立ち行かなくなっても、会社が存続できる事業をつくりたい」という意欲のある方の参考になれば幸いです。
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畑田康司
TechnoProducer株式会社シニアリサーチャー
大阪大学大学院工学研究科 招へい教員
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