認知症は世界的に増加傾向にある病気で、2023年3月のWHOの報告によると、世界中で5500万人以上が認知症を患っており、治療や介護にかかった費用は約1兆3000億米ドルと試算されています(2019年の試算)。以前は有効な治療方法がありませんでしたが、最近はエーザイのレカネマブなど、有望な治療薬も開発され始めています。
本記事では、認知症の中でも特に割合の大きいアルツハイマー型認知症の治療にフォーカスし、薬剤療法のメカニズム(作用機序)と非薬剤療法、検査技術の最前線を走る企業の動向を詳しく解説します。認知症を「治る病気」にする未来に本気で取り組む企業を幅広く紹介するので、ぜひご一読ください。
この記事の内容
まず、「認知症」という総称に含まれる具体的な疾患名と特徴を整理します。
上のグラフからも分かるように、アルツハイマー型認知症は最も患者数の多い認知症のタイプで、治療に対するニーズも最も大きい疾患と言えます。
続いて、アルツハイマー型認知症の症状である「神経細胞の破壊」がどのように生じるか、原因として考えられている内容を上図にまとめました。ポイントとなる4点を以下に整理します。
①アミロイドβ(Aβ)の蓄積
②タウの異常凝集
③タウの移動(伝播)
④免疫機構による除去の不足
これら①~④の要因が複合的に影響した結果、神経細胞の破壊が進み、最終的に脳全体の萎縮など致命的な症状が生じます。発症の初期は記憶をつかさどる「海馬」などの部位で異常が生じるケースが多いため、「物忘れ」などが初期症状となる場合が多いようです。
現在開発が進んでいる認知症の治療薬(薬物療法)の多くが、上記の要因をブロックするように設計されています。
※がんのメカニズムと治療方法については以下の記事で詳しく解説しています。
続いて、上記①~④の要因をターゲットとする認知症治療薬の例を紹介します(上図参照)。
①アミロイドβ(Aβ)をターゲットとする薬剤
※FDA:アメリカ食品医薬品局(Food and Drug Administration)の略
※迅速承認:深刻な病気の薬を早く実用化するための制度で、承認後も有効性を検証する追加の臨床試験が必要
②タウの凝集を阻害する薬剤
③タウの移動(伝播)を阻害する薬剤
④免疫系を利用した薬剤
アミロイドβをターゲットとした抗体医薬で日本のエーザイがリードしており、①で紹介したレカネマブは現在最も有望なアルツハイマー型認知症の治療薬として注目されています。
また、最近はワクチン療法などの免疫療法も進歩しています。特にスイスの「AC Immune」は、大手製薬企業と連携して3種類のワクチンを含む10種類近い薬剤の臨床試験を同時に進めており、まさに最前線をリードする企業と言えます(同社のAnnual Report参照)。
エーザイや、AC Immuneなど海外企業の開発動向については、弊社調査レポートのイノベーション四季報【2023年・春号】でさらに詳しく掘り下げています。免疫学的なアプローチを使った最新の薬剤開発を理解したい方はぜひご参照ください。
※エーザイが人材育成に取り入れた「知識創造理論」と「SECIモデル」については以下の記事で詳しく解説しています。
続いて、薬剤を使わない認知症の治療(非薬物療法)と、認知症の検査技術について、最前線を走る企業の動向を解説します。
アルツハイマー型認知症の非薬物療法として、一般的に「食事や運動による療法」や「脳トレ」などが知られていますが、最近は光などの「物理的刺激」を利用した治療方法が開発されています。
この分野をリードしているのが米国スタートアップの「Cognito Therapeutics」で、「光による視覚刺激」と「音による聴覚刺激」を組み合わせた治療デバイスを開発しています(上図参照)。このデバイスは、約40Hz(1秒間に40サイクル)の光・音刺激を与え、患者の脳に約40Hzの脳波(ガンマ波)を誘導することで、患者の脳に治療効果のある刺激を与えることができます。
認知症の患者は「認知」などに関わるガンマ帯域の周波数(約25~100Hz)の脳波が弱くなっており、刺激によりガンマ波を誘導することが治療につながるようです。マウスを使った2019年の実験では、この治療によりアミロイドβの蓄積や凝集を防止する効果が確認されています。
現在、FDA認証に向けた治験が進められており、2023年3月のMedCityNewsの記事によると、フェーズ2の試験で「脳の白質の損失をおさえる効果」や「免疫細胞のミクログリアの活動を強化する効果」が確認されています。光や音を使った、体にほとんど負荷を与えない認知症の治療技術も今後普及するかもしれません。
一方、適切な治療を行う上では、認知症がどのくらい進んでいるかを判断する「検査技術」が重要になります。しかし、現在の主流であるPET(Positron Emission Tomography;陽電子放射断層撮影)による「脳の断面写真の撮影」は大型の装置を必要とするため、手軽に実施できません。
そこで開発がすすめられたのが血液や尿に含まれる認知症関連の分子(バイオマーカー)を検査する技術で、日本では島津製作所が血液をサンプルとした診断技術の開発に成功しています(同社の2022年11月のリリース参照)。また、血液検査装置のトップメーカーであるシスメックスは、エーザイと協力して認知症の早期診断に向けた診断薬を開発しています (2022年3月のエーザイのリリース参照)。
また、VRデバイスを使って認知症の早期診断を行う技術も開発されています。例えば日本のスタートアップである「MIG株式会社」は、VR空間を使ったテストでユーザーの空間認知機能をテストし、認知機能の異常を把握する技術を開発しています。同社の特許出願JP2021108069Aには、VR空間内におけるユーザーの移動を計測することで、認知機能を判断する技術が記載されています。
島津製作所などの高度な分析技術により、VRデバイスなどを使った簡易検査の妥当性も評価しやすくなります。今後は認知症の早期診断と、患者の状態に合わせてパーソナライズされた精密医療が進化することが予想されます。
ここまで、アルツハイマー型認知症の治療に関する技術として、薬剤療法と非薬剤療法、早期診断に向けた検査技術の最前線を紹介しました。日本だけでなく、世界中で高齢者数が増加している現代において、認知症は最も重要な課題の1つです。前回の記事で解説したがん治療に比べると有効な治療方法が少ないですが、エーザイのレカネマブやワクチン療法など有望な治療技術も登場しており、認知症が「治る病気」になる未来も遠くはないかもしれません。
エーザイやAC Immuneなど先進企業や、検査結果を踏まえてパーソナライズされた「精密医療」の最新動向はイノベーション四季報【2023年・春号】で詳しく解説しています。
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畑田康司
TechnoProducer株式会社シニアリサーチャー
大阪大学大学院工学研究科 招へい教員
東京大学大学院で植物ウイルスの研究を行った後、装置エンジニアに。半導体装置の設備エンジニアとして台湾駐在、米国企業との共同開発などを経験した後、スタートアップでの事業開発を経て現職。現在は企業内発明塾®における発明創出支援、教材作成に従事。個人でも発明を創出し、権利化を行う。発明塾東京一期生。
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