「メタバース」は「一つの仮想空間内において、様々な領域のサービスやコンテンツが生産者から消費者へ提供されるプラットフォーム」と定義されています(KPMGコンサルティングの報告書参照)。一般的にはゲーム等への活用が知られていますが、マジックリープなどの企業による「医療・ヘルスケアへの活用」も進んでいます。
本記事では、VR/AR装置などのメタバース機器を医療やヘルスケア分野に活用する企業の最先端の事例を紹介します。前半では主な活用方法3つと具体的な事例を紹介し、後半ではマジックリープや認知症治療のAltoidaなど先進企業の成功事例を詳しく解説します。
※メタバース企業への進化を目指すMeta(旧Facebook)の戦略については以下の記事で解説しています。
この記事の内容
メタバース機器の医療・ヘルスケア分野への主な活用方法を3つに分類し、上図に整理しました。以下、順に説明します。
まず、汎用的なメタバース機器を医療現場の作業や教育に活用した事例を紹介します。
実際の空間に重ねて映像を表示するAR(Augumented Reality:拡張現実)を利用したデバイスとして、マイクロソフトのHoloLens(※)がよく知られています。HoloLensはホログラム(バーチャルな映像)をジェスチャーや音声により操作できるため、手を触れずに情報のやりとりが可能です。
2020年7月のマイクロソフトの記事によると、英国などで医療サービスを提供する「インペリアル カレッジ」はHoloLensを利用してハンズフリーでビデオ通話や医療情報のやり取りを行うことで、「感染リスク低減」と「円滑なコミュニケーション」の両立に成功しています。「病院」という環境でARデバイスの強みが活かされた事例と言えます。
一方、医学教育にVR(Virtual Reality:仮想現実)を活用した事例として、ニューイングランド大学(オーストラリア)の研究プロジェクトが知られています(Dyerら, 2018 )。このプロジェクトでは、医療分野の学生がVR機器を使って高齢者の疾患(視覚や聴覚の障害など)を体験することで、患者への理解を深め、共感を高めることに成功しています。「ふだんの自分では体験できない世界」に没入できるVRの強みを教育に生かした事例と言えます。
※HoloLensのように「映像を表示するだけでなく、操作できるデバイス」はVRとARを包括するデバイスとして「MR(Mixed Reality:複合現実)デバイス」と呼ばれることもあります
※マイクロソフトのHoloLens開発については以下の記事で解説しています。
【FY22 Q2最新】マイクロソフトのメタバース戦略とカーボンネガティブ戦略 ~Activision Blizzard買収、Cloud for Sustainability公開
さらに医療に特化した用途として、疾患の「診断」にメタバース機器を活用する企業も登場しています。
例えば米国のスタートアップである「NeuroSync」(旧SyncThink)は、脳の外傷による機能障害を診断するVR機器を開発しています。同社のデバイスはVR機器の「視線のトラッキング機能」を利用して診断を行っており、2021年10月のリリースによると、脳震とうなどを診断する医療機器としてFDA(米食品医薬品局)の承認を受けています。すでにNBAなどのスポーツ選手向けに、「プレー中の衝突などで障害を起こしていないかを診断する装置」として活用され始めているようです。
また、認知症治療のコラムで紹介した「MIG株式会社」や、米国の「Altoida」のように、VR空間におけるユーザーの挙動を分析することで、認知機能を測定する技術も開発されています。Altoidaの技術については後半で詳しく解説します。
メタバース機器で疾患の「治療」を行う企業も登場しています。
例えば米国のスタートアップである「AppliedVR」は、慢性的な腰痛を軽減するVR機器を製造しており、2021年11月にFDAの承認を受けています(FDAのリリース参照)。同社の装置「EaseVRx」は、VR空間で認知行動療法(考えや行動を変容することで意識を変える治療法)のプログラムを提供し、患者の慢性的な痛みを緩和します。
さらに、米国のマジックリープのように「外科手術支援」の分野でメタバース機器を利用する企業も登場しています。最新の成功事例として、次項で詳しく紹介します。
米国のスタートアップであるマジックリープは、「メタバース機器の医療機器としての可能性」に早い段階で気づいていた企業で、同社が2015年に出願した特許 US10295338B2 には、すでに手術への利用に関するアイデアが記載されています(上図参照)。手術を担当する医師や助手はそれぞれARグラスを装着し、例えば「患者の臓器の3Dモデル」を見ながら手術の計画を立てることで、認識のずれを防止することができます。
2023年1月のマジックリープのリリースによると、同社のARデバイス「Magic Leap 2」は医療機器の規格である「IEC 60601」を取得しています。この認定により、Magic Leap 2 は手術室だけでなく他の臨床環境でも使用できるようになるようです。
マジックリープの創業者で元CEOのRony Abovitz氏は、ロボット手術のコラムでも紹介した整形外科用のロボット手術システムの「Mako」(※)を立ち上げた経歴があり、医療に関する専門性で他のメタバース関連スタートアップより深い知見を持っています。同社のデバイスと経営戦略については、弊社調査レポートのイノベーション四季報【2023年・春号】で詳しく解説しています。
※Makoを開発したMako Surgicalは米国のStryker社が2013年に買収
※マジックリープの特許を題材とした調査事例を以下の記事で紹介しています。
一方、米国のスタートアップである Altoida は、ARを使った認知症の診断システムを開発しており、2021年8月のPRWebの記事によると、同社のソフトウェアはFDAのブレークスルーデバイス(※)の指定を受けています。また、レカネマブなどの認知症治療薬で知られるエーザイの子会社とのパートナーシップを発表しており、認知症の早期診断などに活用されることが期待されています。
Altoidaのアプリケーションはスマートフォンなどで手軽に利用でき、拡張現実を使ったタスクを通じてユーザーの「空間記憶能力」や「実行能力」などを判定します。例えば上図のように、ARのオブジェクトを所定の位置に配置するタスクが含まれます。
認知症治療のコラムで紹介したように、血液検査による認知症診断も開発されていますが、Altoidaのアプリのようにさらに手軽な診断技術も普及することで、認知症の初期症状を早く発見する機会が増えることが期待できます。
※ブレイクスルーデバイス:FDAの「ブレークスルーデバイスプログラム」の対象となるデバイス。同プログラムは「重篤な、または不可逆的に衰弱する疾患及び状態に対して、より効果的な治療・診断を提供する特定の医療機器」を対象としている。
ここまで、医療やヘルスケア分野におけるメタバース機器の活用方法として「作業・教育支援」、「診断」、「治療」の3つを紹介した後、特に先進的な成功事例としてマジックリープによる手術支援と、Altoidaによる認知症診断の技術を紹介しました。
ARやMRのように現実空間と仮想空間を「重ねる」ことができる技術は、「一覧できる情報の量」を拡張できるため、手術のように専門的な作業の支援で活用が進むことが予想されます。また、VRは「ふだんとは違う世界」に「没入」できるため、痛みを和らげたり、認知機能を診断・改善する分野での活用が進みそうです。
弊社調査レポート、イノベーション四季報【2023年・春号】では、本記事では紹介し切れなかったマジックリープの特許の詳細やがん治療へのメタバース活用など、さらに深い情報をお届けしています。
また、弊社の無料メールマガジンでは、代表の楠浦による最先端情報のレポートを毎週お届けしています。マジックリープの医療技術についても5年ほど前から報告しています。本コラムのリリース情報や補足情報も提供しているので、定期的に情報をアップデートするツールとしてご活用いただければ幸いです。
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畑田康司
TechnoProducer株式会社シニアリサーチャー
大阪大学大学院工学研究科 招へい教員
東京大学大学院で植物ウイルスの研究を行った後、装置エンジニアに。半導体装置の設備エンジニアとして台湾駐在、米国企業との共同開発などを経験した後、スタートアップでの事業開発を経て現職。現在は企業内発明塾®における発明創出支援、教材作成に従事。個人でも発明を創出し、権利化を行う。発明塾東京一期生。
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