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ロームの知財戦略:SiCパワー半導体市場の主導権を目指す特許ポートフォリオとエコシステム構築の分析

3行まとめ

1300億円の大型契約とシェア30%超への布石

独Vitesco社との間で1,300億円以上の長期供給パートナーシップを締結し、知財を梃子にSiC市場でシェア30%以上の獲得を狙うIP戦略を推進しています。

トレンチMOSFET特許の急増と法的リスク対応

MaxPower社との仲裁リスクに対抗するため、2022年以降に特許出願を加速させ、2024年には公開件数が534件に達する強固な特許網を構築しています。

競合STマイクロを取り込むフレネミー戦略

垂直統合型(IDM)の強みを活かし、競合であるSTマイクロ社と最低2億3000万ドルのウェハ供給契約を結ぶなど、敵を顧客化するフレネミー戦略を実行しています。

エグゼクティブサマリ

 

当レポートは、ローム株式会社(以下、ローム)の知的財産(IP)戦略について、一次情報および公開データの分析に基づき、その全体像、核心的戦略、および潜在的リスクを網羅的に評価するものです。

  • ロームの知財戦略は、中期経営計画やサステナビリティ(事業活動の基盤)と不可分一体のものとして経営の中枢に位置づけられています¹
  • 戦略の核心は、2010年に世界で初めて量産化に成功したSiC(炭化ケイ素)MOSFET²に関連する技術的優位性の確保と、そのIPを梃子(てこ)にした市場シェアの獲得にあります。
  • ロームは、特に競争が激化する「トレンチMOSFET」技術分野において、2022年以降、特許出願を著しく加速させており³、意図的な特許網(パテント・シケット)を構築していると見られます。
  • このIPは、Vitesco Technologiesとのパートナーシップ戦略において中核的な役割を果たしました。2020年の「開発パートナーシップ」は、2023年には「1,300億円以上」(2024年〜2030年)の大規模な「長期供給パートナーシップ」へと発展しています
  • ローム経営陣(当時CFO)は、このIPを起点としたティア1Vitesco)との強固な連携により、SiCパワーデバイス市場で「市場シェア30%以上獲得も期待できる」と言及しています
  • IDM(垂直統合型デバイスメーカー)としての強みを活かし、子会社SiCrystal(ドイツ)を通じて、SiCデバイス市場における主要競合の一社であるSTMicroelectronicsに対し、150mm SiCウェハを供給するという高度な「フレネミー戦略」を実行しています
  • 2024年4月には、STMicroelectronicsとのウェハ供給契約が拡大され、最低予想額23000万ドル規模の複数年契約が締結されました
  • ロームのSiC戦略における最大の法的リスクとして、MaxPower Semiconductorとの「トレンチMOSFET技術」に関するライセンス紛争が存在します
  • ロームUSA2020年に提訴した非侵害確認訴訟は、20212月に米連邦地裁によって棄却され、ロームは(回避しようとした)仲裁手続きに拘束される判断が下されました
  • この2021年の法的手続き上の敗北と、2022年以降のトレンチMOSFET特許の「著しい加速」³との時系列的な近接は、仲裁を有利に進めるための対抗資産(カウンター・アセット)の構築、および法的リスクを回避するデザイン・アラウンド技術の確保という、二重の戦略的意図を強く示唆します。
  • 競合(Infineon¹⁰STMicroelectronics¹¹)が200mmウェハへの移行を急ぐ中、ロームの150mmを中心としたIDM戦略が中期的なコスト競争力を維持できるか、また、Wolfspeedの経営再建¹²SiC特許市場に与える影響が、今後の懸念材料として挙げられます。

 

背景と基本方針

 

ロームの知的財産戦略は、単なる法的権利の保護に留まらず、同社の企業目的と経営戦略の根幹を成すものとして位置づけられています。その基本方針は、同社の歴史的DNA、経営計画における知財の定義、そして過去の熾烈な特許紛争の経験から形成されていると見られます。

ロームは「われわれは、つねに品質を第一とする」「良い商品を国の内外へ永続かつ大量に供給し、文化の進歩向上に貢献することを目的とする」という企業目的を掲げています²。この「品質第一」主義は、必然的に研究開発(R&D)への強いコミットメントに繋がり、その成果物である知的財産の重視へと直結しています。この企業DNAは、研究開発本部での基礎技術確立と特許取得を経て、2010年に世界で初めてSiC(シリコンカーバイド)を半導体材料として用いたMOSトランジスタの量産に成功するという形で結実しました²。このSiC MOSFETは、従来のSi(シリコン)半導体に比べ、電力損失を大幅に削減できる革新的なパワーデバイスであり、以降のロームの知財戦略の絶対的な中核となっています。

ロームの公式Webサイトでは、「知的財産」は「サステナビリティ」カテゴリ内の「事業活動の基盤」として明確に定義されています¹³。これは、ロームが知的財産を、単なるR&D部門の成果物や法務部門の防衛ツールとしてではなく、事業の継続と持続的な価値創造の根幹を成す不可欠な経営リソースとして認識していることの証左です。この方針は、同社のIR資料(統合報告書)においても具体的に示されています。

『ロームグループ 統合報告書 2024』で開示された概念図は、ロームの知財戦略が経営戦略とダイナミックに連動している様子を明確に示しています¹。この図によれば、「知財戦略の策定・進捗管理」部門は、経営層から「中期計画」の方向性指示を受け、外部環境として「技術分野」の動向や「競合」の情報をインプットします。これらSOTStrategy-Organization-Technology)の情報を統合して策定された知財戦略は、「発明奨励と強化(インセンティブ付与)」や「知財戦略の共有」を通じてR&Dの現場へとフィードバックされます。このサイクルは、経営目標とR&Dの現場が密接に連携し、経営戦略上「勝つべき」領域にR&Dリソースを集中させるための、極めて能動的なガバナンス・システムが機能していることを示しています。

また、『ROHM Integrated Report 2025』においても、IDM(垂直統合型デバイスメーカー)特集やロームの価値創造プロセスが中心的なテーマとして据えられています¹⁴。ロームの競争優位の源泉は、材料(ウェハ)からデバイス製造、モジュール化に至るまでの各工程を自社で完結できるIDMモデルにあり、その各工程を保護し、他社の参入を阻む障壁こそが、ロームの保有する知的財産ポートフォリオであると推察されます。

ロームの現在の洗練された知財戦略は、過去の厳しい経験、特に2000年代初頭の青色LEDを巡る特許紛争から得た教訓に基づいている可能性があります。当時ロームは、日亜化学工業や米Cree社との間で、米国国際貿易委員会(ITC)への提訴を含む、激しい特許紛争をグローバルに展開していました¹⁵200012月には、ロームが米Cree社との技術提携を背景に、日亜化学工業をITCに特許侵害で提訴するという攻撃的な動きも見せています¹⁵

この青色LED時代の熾烈な「特許戦争」は、ロームにとって、知的財産が市場でのシェア争いにおいていかに強力な武器(攻撃)となり、また同時に事業継続を脅かす脅威(防御)となり得るかを実地で学ぶ機会となったはずです。SiCパワー半導体市場において、ロームは2010年に「世界初」の量産化²を達成し、青色LED時代の「追随・競争」フェーズとは異なる「先駆者(パイオニア)」としての地位を確立しました。この先駆者としてのポジションを、単なる技術的優位に終わらせず、永続的な市場シェアに転換するために、青色LED時代に学んだIPの戦略的活用(特許網の構築、アライアンスによる囲い込み、法的リスクの管理)を、SiC戦略において意図的かつ体系的に実行しているものと考えられます。

当章の参考資料

 

全体像と組織体制

 

ロームの知的財産戦略は、経営トップのコミットメントのもと、全社的なガバナンス体制に組み込まれています。その体制は、経営計画とR&Dの現場をダイレクトに結びつけるフィードバックループと、中核技術の保護(クローズド戦略)と応用分野の拡大(オープン戦略)を使い分ける二面性の戦略によって特徴づけられます。

『統合報告書 2024』に示された知財ガバナンスの体制図は、その能動的な運用を示しています¹。この体制の中核を成すのは「知財戦略の策定・進捗管理」機能であり、これは単独で存在するのではなく、「中期計画」「技術分野」「競合」という3つの主要な情報源からのインプットを受けて機能します。経営層が策定する「中期計画」の方向性が、知財戦略の最上位の指針(方策の方向性指示)となり、知財部門は「競合」の動向分析と「技術分野」のトレンド(情報展開)を統合し、具体的な知財戦略(基本方針、ポジション、重点分野など)を策定します。

この戦略サイクルにおいて特筆すべきは、R&Dの現場(発明者)への強力なフィードバックループです。策定された知財戦略は、「知財戦略の共有」を通じてR&D部門に浸透するだけでなく、「発明奨励と強化(インセンティブ付与)」という具体的な施策によって実行が担保されます¹。この「インセンティブ付与」は、単なる発明後の報奨金制度に留まらず、経営陣が「中期計画」と「競合」分析に基づいて定めた「重点分野」での発明(出願)を特に奨励する、戦略的なリソース配分ツールとして機能していると推察されます。これにより、R&D部門は自律的に活動しつつも、その発明のベクトルは全社的な経営目標(例:特定の競合他社に対する優位性の確立、次世代EV市場でのシェア獲得)へと強力に誘導されます。

この強固な内部統制(クローズド戦略)の一方で、ロームは応用分野やエコシステムの拡大においては、対照的な「オープン戦略」を併用しています。その象徴が、ローム京都駅前ビルに設置されたオープンイノベーション空間「OPEN SOLUTIONS LAB」です¹⁶。この施設は、京都におけるハードウェアやIoTInternet of Things)分野でのオープンイノベーションを促進する場として機能しており¹⁶、ロームの技術や製品を活用した新しいソリューションの共創を目指しています。

この「クローズド」と「オープン」の使い分けは、ロームの知財戦略における明確な二面性を示しています。

  1. クローズドIP戦略(中核技術):ロームの収益の源泉であり、IDMモデル¹⁴の根幹を成すSiC MOSFETのデバイス構造、製造プロセス、材料技術に関する知的財産は、厳格に秘匿・防衛されます。これらは他社に対する参入障壁そのものであり、ライセンスの対象外(後述)とされる「聖域」です。
  2. オープンIP戦略(応用・エコシステム)IoTやセンサ技術など、ロームの中核デバイスを利用するアプリケーションやプラットフォームの領域では、あえて「OPEN SOLUTIONS LAB¹⁶のような場を設けてイノベーションを促進します。

この二面性は、一見すると矛盾しているように見えますが、全体としては「カミソリと替刃」のビジネスモデルに類似した、極めて合理的な戦略であると分析されます。すなわち、アプリケーション層(カミソリ)をオープンイノベーションによって拡大・普及させることで、そのアプリケーションの基盤(プラットフォーム)で必須となる中核部品(替刃)、すなわちローム製の高付加価値なSiCデバイス(クローズドIP)の採用を促し、エコシステム全体の成長と、その中でのロームのシェア向上の両立を図っているものと推察されます。この戦略的使い分けにより、ロームは自社の技術的優位性を最大限に市場価値へと転換しようとしているのです。

当章の参考資料

 

詳細分析(1):技術領域(SiCパワー半導体)

 

ロームの知財戦略の核心は、同社が「世界初」の量産化²に成功し、現在も最大の技術的優位性を持つと自負するSiCパワー半導体、とりわけ「トレンチゲート型SiC MOSFET」の技術領域に集中的に投下されています。近年の特許出願動向は、この中核技術をさらに深化させ、競合の追随を許さない強固な「特許網(パテント・シケット)」を構築しようとする明確な意図を示しています。

ロームのSiC技術に関する近年の特許出願を分析すると、その焦点が「トレンチMOSFET」の継続的な性能向上と信頼性確保にあることがわかります。例えば、20241月に公開された米国特許出願(US20240006518A1)は、トレンチ型SiC MOSFETの具体的な半導体デバイス構造に関するものであり¹⁷2013年に出願された特許(US20130285069A1)では、トレンチ側壁のチャネルモビリティを$90 cm^2/Vs$以上に高める技術や、特定の結晶面を利用するアイデアが開示されています¹⁸。これらは、SiCデバイスの性能(低オン抵抗)と信頼性に直結する根幹技術です。

さらに注目すべきは、ロームがデバイス構造そのものだけでなく、その「量産プロセス」と「信頼性評価」に関わる技術まで、幅広くIPで保護しようとしている点です。例えば、SiC MOSFETの電流-電圧特性の測定方法US10908204B2¹⁹US11474145B2²⁰)や、ゲート酸化膜の劣化指標を決定する方法(US11474145B2²⁰)に関する特許群は、ロームがIDMとして、研究室レベルの技術ではなく、高品質な製品を安定的に大量生産(IDM)するために不可欠な周辺技術までを、競合他社が容易に模倣できないようIPで固めていることを示唆しています。

このロームの戦略的動向は、外部の技術アナリストからも明確に観測されています。特許分析ファームKnowMade社の2024SiC特許ランドスケープ分析(Scribd上で言及)によれば、ロームはSiCトレンチMOSFETの分野で既に確固たるIPプレーヤーであったにもかかわらず、「2022年以降、特許出願を著しく加速させている」と指摘されています³。この加速は、特にトレンチ構造の底部(トレンチボトム)においてゲート酸化膜を高電界から効率的に保護するデバイス構造の設計に集中しているとされています³。これはSiCトレンチMOSFETにおける最も重要な技術課題の一つであり、ロームがこの領域で競合他社に対する決定的な優位性を確立するため、意図的に特許網を積み増している(パテント・シケットの構築)と分析されます。

この「加速」は、日本の特許データベース(IP Force)の定量データによっても裏付けられています。ロームの公開特許出願件数(筆頭出願人)は、2021年の411²¹から2022年は318²¹(または319²²)へと一時的に落ち込みましたが、2023年には414²²と回復し、2024年(2025922日時点のデータ)には534²²へと急増しています。2022年以降の特許出願が「加速」しているというKnowMadeの分析³と、2024年に出願公開件数が急増しているという定量データ²²は、高い整合性を示しています。

この「2022年以降の特許出願の加速」は、単なるR&Dの成果という側面だけではなく、ロームが直面している重大な法的リスク(後述)に対する戦略的対応である可能性が極めて高いと推察されます。

ロームは20209月、SiCトレンチMOSFET技術に関するライセンスを供与していたMaxPower Semiconductorに対し、ロームのSiC MOSFETMaxPower4件の米国特許を侵害していないとする確認判決(DJ)を求めて提訴しました。しかし、202124日、米連邦カリフォルニア州北部地裁はロームの訴えを棄却し、ロームとMaxPower間の技術使用許諾契約(TLA)に基づき、ロームUSA(子会社)も仲裁に拘束されるとして、仲裁を命じる判断を下しました⁸ ⁹

この一連の時系列は、ロームの知財戦略を読み解く上で極めて重要です。

  1. ロームは、自社の主力製品(SiCトレンチMOSFET)の根幹技術に関わる特許紛争に直面しました。
  2. ロームは、この紛争を(自らに有利と見た)米国の公開法廷で解決しようとしましたが、20212月、その試みは裁判所に退けられ、契約に基づき(不利と判断したか、あるいは避けたかった)仲裁の場で争うことを余儀なくされました⁸ ⁹
  3. この法的手続き上の敗北から約1年後、奇しくも「2022年以降」、ロームは紛争の争点となっている「トレンチMOSFET」技術分野で、「著しい特許出願の加速」³ ²²を見せます。

このタイミングの一致は偶然とは考えにくく、2022年以降の特許出願の加速は、以下の二重の戦略的意図に基づいた、高度な法的・技術的防衛策であると強く推察されます。

第一に、「デザイン・アラウンド(回避設計)」技術のIPです。万が一、仲裁でMaxPowerの特許に依存している(侵害している)との不利な判断が下された場合に備え、その特許技術を使用しない代替的な新技術(デザイン・アラウンド)を早急に開発・特許化し、事業継続リスクをヘッジする動きです。

第二に、「対抗特許(カウンター・アセット)」の戦略的積み増しです。仲裁や、その後のクロスライセンス交渉において、ローム側も「自社が保有するこれらの最新特許(2022年以降の出願群)をMaxPower(あるいは他の競合)が侵害している」と主張できる材料を意図的に増やすことです。これにより、ロームが支払うべきロイヤルティ(ライセンス料)を相殺、あるいは減額させ、交渉を有利に進めるための強力な「交渉カード」を構築していると考えられます。

当章の参考資料

 

詳細分析(2):パートナー/エコシステム戦略

 

ロームは、前章で分析した強力なSiC技術ポートフォリオを、単に「保有」するだけでなく、それを戦略的な「梃子(てこ)」として活用し、具体的な事業成果(市場シェア)に転換するエコシステム戦略を巧みに実行しています。その戦略は、主要顧客をIPで強固に囲い込む「アライアンス戦略」と、競合他社を顧客としても取り込む「フレネミー戦略」という、二つの側面から成り立っています。

IP活用(1):顧客の囲い込み(Vitesco Technologiesとのアライアンス)

ロームのIP戦略が事業成果に直結した最も顕著な成功例は、ドイツの自動車部品大手Vitesco Technologies(ヴィテスコ・テクノロジーズ、旧コンチネンタル・パワートレイン部門)とのパートナーシップです。この関係は、IP(技術)を起点とした「デザイン・イン」がいかに巨大なビジネスに発展するかを如実に示しています。

  • フェーズ1:開発パートナーシップ(2020年)
    2020年6月、VitescoはロームをSiCテクノロジーの「プリファードサプライヤー」として選定し、両社は電気自動車(EV)向けパワーエレクトロニクスにおける「開発パートナーシップ」を締結しました。この時点で、ロームが保有するSiCデバイスの技術(IP)が、Vitescoが開発する次世代インバータの「システム」に組み込まれることが決定しました。ロームの伊野和英氏(当時 執行役員)は「Vitescoによって、SiCの潜在能力を最大限引き出す電気自動車向けシステムが開発され...」と述べており、ロームのデバイスIPVitescoのシステムIPの初期段階での「すり合わせ」が始まったことを示しています。
  • フェーズ2:長期供給パートナーシップ(2023年)
    この開発パートナーシップは、3年後の20236月、より強固で大規模な「長期供給パートナーシップ契約」へと発展・深化しました⁵ ⁶ ²³。この契約は、2024年から2030年までの期間で、「1,300億円以上」という巨額の取引を予定するものです
    この契約の背景には、共同開発の成功があります。ロームのSiCチップを搭載したVitescoの先進的なインバーターは、すでに「大手自動車メーカー2社」のEVへの採用が決定しており、2024年から供給が開始される予定です⁵ ²³
    この成果に対し、ロームの伊野和英氏(当時 取締役 常務執行役員 CFO)は「今回、重要な戦略的パートナーであるヴィテスコ・テクノロジーズとさらに深いビジネスの提携関係を築けたことで、市場シェア30%以上獲得も期待できると考えています」と述べています。この発言は、ロームの知財戦略が「技術的優位性の確保(IP)」「ティア1との共同開発(デザイン・イン)」「大手自動車メーカーのプラットフォーム獲得」「長期的な市場シェア30%超の達成」という、明確なロードマップに基づいていることを示しています。

IP活用(2):競合への供給(STMicroelectronicsとのフレネミー戦略)

ロームの知財・事業戦略のもう一つの側面は、IDM(垂直統合型デバイスメーカー)としての強みを最大限に活かした、競合他社との「フレネミー(Friend + Enemy)」戦略です。ロームは、SiCデバイス市場における主要な競合相手の一社であるSTMicroelectronicsSTマイクロエレクトロニクス、以下STMicro)に対し、自社グループ(ドイツの子会社SiCrystal)を通じてSiC基板(ウェハ)を供給しています。

  • 「敵(Enemy)」としての側面:
    SiCパワーデバイス市場において、ローム、InfineonSTMicroWolfspeedは、市場シェアを激しく争う直接的な競合相手です²⁴。ロームがVitescoと組んでシェア30%超を目指すことは、STMicroInfineonのシェアを奪うことを意味します。
  • 「友(Friend)」としての側面:
    一方で、ロームはSiCウェハ製造子会社であるSiCrystalを保有するIDMです。STMicroもウェハの内製化を進めており、202210月の発表では「2024年までに(ウェハの)40%を内部調達する」という目標を掲げています²⁵ ²⁶。これは裏を返せば、残る60%(あるいはそれ以上)は外部から調達し続けなければならないことを意味します。
    2024年422日、ローム(SiCrystal)とSTMicroは、この外部調達に関する「複数年の長期150mmシリコンカーバイド(SiC)基板ウェハ供給契約」を「拡大」したと発表しました⁷ ²⁷。この拡大契約は、最低予想額23000万ドル(約350億円超)規模に達するもので、SiCrystal(ロームグループ)がSTMicroSiC事業拡大を引き続きサポートする形となっています。

この一連の動きは、ロームがIDM体制を駆使して実行する、極めて高度な戦略的ポジショニングを示しています。

  1. デバイス市場(下流)STMicroと「敵」として熾烈なシェア争いを繰り広げます。
  2. ウェハ市場(上流)STMicroの(現時点での)弱みであるウェハ調達に入り込み、「友(サプライヤー)」として振る舞い、巨額の利益を上げます。

このフレネミー戦略により、ロームは二重の利益を得ていると推察されます。(a) STMicroがデバイス市場で事業を拡大(=ロームにとっては競合の成功)すればするほど、ローム(SiCrystal)からのウェハ調達量も増え、ロームの上流部門の収益が潤う。(b) 競合のサプライチェーンの重要な一部(150mmウェハ)を握ることで、市場の需給バランスや競合の生産動向に関する情報を得ると同時に、将来的な各種交渉(例:クロスライセンス)において戦略的なレバレッジ(交渉力)を確保することができます。

ロームの知財戦略は、Vitescoとのアライアンスのように「閉じて囲い込む」側面と、STMicroとの関係のように「競合すら取り込む」側面を併せ持っており、IDMとしての垂直統合の強みを最大限に活用していると言えます。

当章の参考資料

 

詳細分析(3):ライセンスと法的紛争

 

ロームの知財戦略は、強力な特許ポートフォリオを背景にした攻撃的な市場獲得戦略(Vitesco)と、IDM体制を活かしたフレネミー戦略(STMicro)が際立っていますが、その一方で、ライセンス戦略の受動性と、その根幹技術を巡る重大な法的紛争という、二つの大きな課題を抱えています。特に後者は、ロームのSiC戦略全体のアキレス腱(脆弱性)となる可能性があります。

ライセンスアウト戦略(限定的・受動的)

ロームの知財戦略は、基本的に「自社製品の販売・デザイン・イン」による市場シェア獲得を目的としており、IP(特許権)そのものを第三者に積極的にライセンスアウト(実施許諾)してロイヤルティ収入を得るビジネスモデルは、少なくとも中核技術においては採用していないと見られます。

その姿勢は、ロームが設計者向けに提供する「SPICE MODEL」の使用許諾条件(免責条項)にも表れています。ロームは、シミュレーション目的でのSPICEモデルの使用(非独占的、譲渡不能)は許諾するものの、その条項の中で「特許権その他の知的財産権(第三者のものも含みます)について実施権を許諾致しません」と明確に釘を刺しています²⁸。これは、技術情報の提供は(製品の採用を促すために)行うものの、その背景にある中核的な特許権の実施権は厳格に留保するという、典型的な「クローズドIP戦略」の現れです。

ライセンスイン戦略と法的リスク(MaxPower訴訟)

ロームのライセンスアウト戦略が受動的である一方、ライセンスイン(第三者からの技術導入)に関しては、その主力事業の根幹を揺るがしかねない重大な法的紛争が進行中です。それが、高性能パワー半導体製品の供給事業者であるMaxPower Semiconductor, Inc.(以下、MaxPower)とのSiCトレンチMOSFET技術を巡る紛争です。

この紛争の経緯と分析は、ロームの知財戦略における最大の脆弱性を理解する上で不可欠です。

  • 発端(技術使用許諾契約:TLA):
    ローム(ROHM Japan)は、過去にMaxPowerとの間で「技術使用許諾契約(TLA)」を締結していました⁸ ⁹MaxPower側の主張によれば、これは「非独占的なトレンチMOSFET技術と特許ライセンス」に関するものでした。この事実は、ロームのSiCトレンチMOSFET技術の(少なくとも初期の)一部が、MaxPowerからのライセンスイン技術に依存していた可能性を示唆します。
  • 紛争の顕在化(ロームによる先制訴訟):
    2020年923日、ロームの米国子会社であるROHM Semiconductor USA LLCROHM USA)は、米連邦カリフォルニア州北部地方裁判所に対し、「ロームのシリコンカーバイド(SiCMOSFETMaxPower4件の米国特許を侵害していない」とする*確認判決(Declaratory Judgment, DJ*を求めて提訴しました
    この「確認判決」訴訟は、通常、ライセンス違反や特許侵害を(相手方から)主張されている側が、紛争を早期に解決するため、あるいは交渉を有利に進めるために、「自分たちは侵害していない」というお墨付きを裁判所に求める目的で起こすものです。MaxPowerの主任弁護人は、このロームの提訴を「技術使用許諾紛争の仲裁による解決を避けるためにこの不適切な確定判決手続きを利用してきた」と論評しています。この発言から、ロームがTLAで定められた「仲裁」を意図的に回避し、米国の「公開法廷」で争うことを選択したと強く推察されます。
  • ロームの敗訴(仲裁命令):
    2021年24日の審問を経て、米連邦地裁はロームUSAの訴えを棄却しました⁸ ⁹。裁判所は、ローム(ROHM Japan)とMaxPower間のTLAは、ロームの子会社(ROHM USA)も拘束すると判断しました。その上で、TLAの契約条項に基づき、ROHM USAは特許非侵害の主張を(裁判所ではなく)「仲裁に委ねなければならない」と判断しました⁸ ⁹
  • 戦略的脆弱性の顕在化:
    この20212月の判決は、ロームにとって単なる手続き上の一敗ではありません。これは、同社のSiC戦略の根幹を揺るがす「アキレス腱」の存在を公にしました。
    1. 戦略の核心への打撃:ロームのSiC戦略の核心(Vitescoとの1,300億円契約や市場シェア30%目標)は、すべて「トレンチMOSFET」技術の上に成り立っています。
    2. ライセンス依存のリスクMaxPowerは、その核心技術が自社のTLAの対象であると主張しています
    3. 仲裁の強制:ロームが最も避けたかったと推察される「仲裁」の土俵(非公開、拘束力が強い)で、この核心技術のライセンス問題を解決せざるを得なくなりました。
    4. 最悪のシナリオ:もし、この仲裁でローム側に不利な判断(例:ライセンス契約違反、特許侵害)が下された場合、その影響は計り知れません。(a) 過去に遡った巨額のロイヤルティ(損害賠償)の支払い、(b) 将来の製品に対する高率のロイヤルティの発生(利益率の著しい悪化)、(c) 最悪の場合、当該特許を使用したSiC MOSFET製品(すなわち、Vitesco向けを含むロームの主力製品)の製造・販売差し止め、という事態に発展する可能性があります。

前章で指摘した「2022年以降のトレンチMOSFET特許の著しい加速」³ ²²は、この20212月の法的手続き上の敗北という「時限爆弾」が起動したことを受けての、必死の防衛策(回避設計と対抗特許の構築)であると考えるのが、最も合理的な解釈であると言えます。

当章の参考資料

 

競合比較

 

SiCパワー半導体市場は、ローム、Infineon Technologies(インフィニオン)、STMicroelectronicsSTマイクロ)、Wolfspeed(ウルフスピード)の主要4社による寡占状態が続いており²⁴ ²⁹、各社はそれぞれ異なる強みとIP戦略(知的財産戦略)を展開しています。ロームの戦略的立ち位置を明確化するため、これらの主要競合および中国勢の動向と比較分析します。

ローム(Rohm

ロームの戦略は「トレンチ技術の深掘り」と「IDM体制を活かしたアライアンスおよびフレネミー戦略」に集約されます。

  • 強み: 2010年のSiC MOSFET世界初量産²という先行者利益、高品質なトレンチゲート型デバイスへの集中³SiCウェハ子会社SiCrystalIDM)の保有、およびVitescoとのIPを起点とした強力なアライアンス(1,300億円規模)
  • IP戦略: トレンチMOSFETの特定領域(ゲート酸化膜保護など³)に集中した特許網(パテント・シケット)を構築し、2022年以降その出願を加速³ ²²IPを梃子にVitescoを囲い込み、シェア30%を目指します。
  • 弱み/リスク: MaxPowerとのトレンチ技術に関する法的紛争(仲裁)⁸ ⁹という重大なアキレス腱を抱えています。また、競合が200mmウェハへ移行する中、150mmが主体と見られる点(STMicroへの供給も150mm⁷)が中期的なコスト競争力で課題となる可能性があります。

Infineon Technologies(インフィニオン)

Infineonの戦略は「SiCGaNのデュアル戦略」および「製造コストと供給安定性の追求」が特徴です。

  • 強み: SiCにおいて、プレーナ型に比べ30%多くのチップをウェハから取れると主張する「優れたトレンチ技術」¹⁰200mmウェハへの積極的な移行(VillachKulim¹⁰、およびSiC原材料のマルチソース化¹⁰による供給安定性。
  • IP戦略: SiCでは「Cold Split」技術¹⁰など製造効率化のIPを重視する一方、GaN(窒化ガリウム)パワーデバイスにおいて350件以上の特許ファミリーを有する圧倒的なIPポートフォリオ¹⁰を構築しています。
  • 示唆: SiC市場のリーダーであると同時に、将来的にSiCを(特定領域で)代替する可能性のあるGaNにも最大の投資を行っており、全方位的なポートフォリオ戦略をとっています。

STMicroelectronics(STマイクロエレクトロニクス)

STMicroの戦略は「25年にわたるR&D蓄積」と「積極的な垂直統合(内製化)」にあります。

  • 強み: SiCにおける25年の研究開発の歴史と、それに基づく大規模なIPポートフォリオ²⁵2022年には、2024年までにSiC基板(ウェハ)の40%を内部調達するという野心的な垂直統合戦略を発表²⁵ ²⁶
  • IP戦略: 垂直統合戦略を支えるため、バリューチェーン全体(材料からデバイス、モジュールまで)をカバーする広範なIPを保有していると推察されます。自前主義だけでなく、202212月にはSoitec200mm SiC基板技術の認定(Qualification)で提携¹¹するなど、アライアンスも併用しています。
  • 弱み: 40%の内製化目標²⁵は、裏返せば60%の外部調達が必要であることを意味し、その調達先の一社が競合であるローム(SiCrystalという、ねじれた供給構造に(少なくとも短中期的には)依存しています。

Wolfspeed(ウルフスピード)

WolfspeedはSiC市場の「パイオニア」であり、その巨大なIPポートフォリオの動向が市場全体のリスク要因となっています。

  • 強み: SiC市場の黎明期(Cree時代)から存在するパイオニアであり、2016年時点で約2,000件の特許・出願³⁰20253月時点で1,500件超の登録特許(米国内534件、米国外1004件)³¹を保有するなど、質・量ともに圧倒的な基盤IPを保有しています。
  • IP戦略: 巨大なIPポートフォリオの維持・活用。過去にはPurdue Universityから平面MOSFETの基幹特許で訴訟を起こされる³²など、そのIPは攻撃対象(ライセンス料収入源)にもなってきました。
  • リスク: 2025年6月から9月にかけてChapter 11(米連邦破産法第11条)に基づく経営再建プロセスを実行¹²。この経営不安定化により、Wolfspeedが資金調達のために、その保有する膨大な基幹特許ポートフォリオをNPE(特許不実施主体)や競合他社(特に中国企業)に売却する可能性が浮上しており、SiC業界全体のIP紛争リスクを高める「ワイルドカード」となっています。

中国企業

中国勢は「国内市場の保護とキャッチアップ」を最優先しています。

  • 動向: 2023年に世界で公開されたSiC関連特許出願のうち、70%超が中国の事業体によるもの³³であり、特許出願件数では他国を圧倒しています。
  • IP戦略(弱み): しかし、KnowMadeの分析によれば、これらの中国企業による特許出願の95%5%未満)は中国国外に出願されていません³³。これは、現時点ではグローバルな特許網を構築して海外の競合他社と戦う意図はなく、中国政府の強力な奨励策のもと、まずは国内市場の保護と、技術の急速なキャッチアップを目的としていることを示唆しています。

 

SiCパワー半導体市場における主要競合とのIP・技術戦略比較表

 

比較項目

ローム (Rohm)

インフィニオン (Infineon)

STマイクロ (STMicro)

ウルフスピード (Wolfspeed)

中国勢

中核SiCデバイス技術

トレンチMOSFET(高品質・先行)³

トレンチMOSFET(高効率・コスト重視)¹⁰

プレーナ/トレンチ(広範なR&D²⁵

プレーナ/トレンチ(広範な基盤IP³¹ ³²

トレンチ/プレーナ(急速なキャッチアップ)³³

基板戦略 (IDM)

IDMSiCrystal保有)**競合への外販(フレネミー戦略)**を実行

マルチソース6社以上から調達)¹⁰。内製化も推進。

IDM強化2024 40%内製化目標)²⁵ ²⁶。ロームからも調達

IDM(パイオニア)³⁰ ³¹

内製化/調達(国内エコシステム構築)³³

200mmウェハ移行

150mmが主体(STMicroへの供給も150mm200mmは競合比で遅れの可能性。

積極推進Villach, Kulim¹⁰3年以内に移行完了計画¹⁰

積極推進Soitec200mmで提携)¹¹

積極推進(200mm工場)

積極推進(国内で過剰供給との指摘も³³

GaN技術へのIP投資

限定的(SiCに集中)

極めて強力350超の特許ファミリー)¹⁰。デュアル戦略。

一定の投資(SiC優先)

限定的(SiCに集中)

一定の投資

IPポートフォリオの特徴

加速中2022年以降、トレンチに集中)³ ²²

SiC(製造プロセス)¹⁰GaN¹⁰の両方に強み。

広範・25年の蓄積²⁵。垂直統合をサポート。

巨大・基盤IP1500件超の登録特許)³¹

爆発的増加(量)。ただし国内出願が95%³³

直近の戦略的脅威/動向

MaxPowerとの法的紛争(仲裁)⁸ ⁹

安定。

ウェハの外部依存(対ローム)

**Chapter 11(経営再建)**¹²IPポートフォリオの流動化リスク。

ウェハの過剰供給と価格競争³³

当章の参考資料

 

リスク・課題(短期/中期/長期)

 

ロームの知財戦略は、SiCパワー半導体市場において強力なポジションを築きつつありますが、その戦略の遂行には短期、中期、長期にわたる複数の重大なリスクと課題が存在します。特に短期リスクは、事業継続性に直結する可能性があります。

短期リスク(顕在化):MaxPowerとの仲裁と法的脆弱性

ロームの知財戦略における最大かつ最も差し迫ったリスクは、MaxPower Semiconductorとの法的紛争です⁸ ⁹。これは、同社の主力製品であるSiCトレンチMOSFETの根幹技術に関するライセンス紛争であり、すでに仲裁手続きに移行しています。

このリスクの深刻さは、単なる金銭的なものではありません。

  1. 事業の核心へのリスク:紛争の対象は「SiCトレンチMOSFETであり、これはロームのSiC事業そのものです。Vitescoとの1,300億円規模の契約も、この技術が基盤となっています。
  2. 仲裁の不透明性:ロームは2020年に米国の公開法廷での解決を試みましたが、2021年にその訴えが棄却され、契約上の「仲裁」を強制される形となりました⁸ ⁹。仲裁は非公開であり、一度判断が下ると覆すことが極めて困難です。
  3. 潜在的な最悪のシナリオ:仲裁の結果、ローム側に不利な判断(ライセンス違反、特許侵害など)が下された場合、(a) 過去の売上に対する巨額のロイヤルティ(損害賠償)支払い、(b) 将来の製品に対する高率のロイヤルティ(利益率の圧迫)、そして最悪の場合、(c) 該当製品(主力製品)の製造・販売差し止め、という事業継続を脅かす事態に発展する可能性があります。
    この短期リスクは、ロームのSiC戦略の「アキレス腱」であり、経営上の最優先課題であると見られます。2022年以降のトレンチMOSFET特許の加速³ ²²は、このリスクヘッジ(回避設計と対抗特許の構築)のための動きであると強く推察されますが、その成否は仲裁の判断次第となります。

中期リスク(技術・市場):200mm移行の遅れと中国の価格競争

中期的なリスクは、製造コストと市場価格に関するものです。

  1. 200mm(8インチ)ウェハへの移行:SiC市場では、製造コストを劇的に下げる(1ウェハあたりのチップ数を増やす)ため、150mm6インチ)から200mm8インチ)への移行が次世代の標準となっています。Infineon200mmへの移行を積極的に進めており¹⁰STMicroSoitec200mmウェハで提携¹¹しています。
    これに対し、ロームの戦略(特に子会社SiCrystal)は150mmウェハが中心であると見られます(STMicroへの供給契約も150mm⁷)。もしロームが200mmへの設備投資のタイミングを誤れば、数年後に競合他社に対して決定的なコスト競争力(チップ単価)の差をつけられる可能性があります。
  2. 中国勢による価格競争:KnowMadeの分析によれば、中国ではSiCウェハの国内エコシステムが急速に確立され、すでに「過剰供給」状態となり、SiCウェハ市場で「厳しい価格競争」が始まっていると指摘されています³³
    ロームはSiCrystalを通じてウェハの外販(対STMicroなど)も収益源の一つとしていますが、この中国発の価格競争は、SiCrystalのウェハ販売事業の収益性を中期的に圧迫する可能性があります。

長期リスク(代替技術・IP流動化):GaNの台頭とWolfspeedIP

長期的なリスクは、技術のパラダイムシフトと、IP市場そのものの変動性にあります。

  1. GaN(窒化ガリウム)による代替:現在、パワー半導体市場はSiCが牽引していますが、特に中〜低耐圧領域や高周波領域では、GaNSiCよりも優れた特性を持つ場合があります。競合であるInfineonは、SiC¹⁰と並行してGaNIPポートフォリオ(350超の特許ファミリー)¹⁰にも莫大な投資を行っており、デュアル戦略をとっています。
    ロームのIPポートフォリオがSiC、特に高耐圧のトレンチMOSFETに過度に集中している場合、将来的(5年〜10年後)に市場のニーズがGaNにシフトした際、技術的な対応が遅れる(「技術のロックイン」に陥る)リスクがあります。
  2. WolfspeedのIPポートフォリオ流動化:SiCのパイオニアであるWolfspeedは、2025年にChapter 11に基づく経営再建プロセスを実行しました¹²。同社は1,500件を超えるSiCの基幹特許³¹を保有しています。
    もしWolfspeedが再建プロセスの中で、あるいはその後に、資金調達のためにこれらの基幹特許を(一括または切り売りで)売却する事態になれば、世界のSiC特許市場は一気に流動化します。これらの特許がNPE(特許不実施主体、いわゆる「パテント・トロール」)や、資金力のある中国企業³³、あるいはロームの競合他社(Infineon¹⁰STMicro¹¹)の手に渡った場合、SiC市場全体で新たな特許紛争が激化し、ロームも(MaxPowerとは別の)新たな特許侵害訴訟に巻き込まれる長期的なリスクが高まります。

当章の参考資料

 

今後の展望(政策/技術/市場動向との接続)

 

ロームの知財戦略が直面するリスクは重大ですが、その一方で、同社の戦略がターゲットとする市場環境は、かつてないほどの強力な追い風を受けています。EV(電気自動車)化と高電圧化(800Vシステム)という世界的なメガトレンドは、ロームがIPを集中投下するSiCパワー半導体の需要を爆発的に押し上げており、ロームの戦略は、この巨大な波に的確に接続されています。

強力な市場の追い風(EV/800Vシステムへの移行)

ロームの知財戦略の核心である高耐圧・低損失のSiCパワー半導体は、現代の最大の技術革新の一つである「自動車の電動化」と「脱炭素化」に不可欠なキーテクノロジーです

特に、EVの性能を飛躍的に向上させる「800Vシステム」への移行(従来の400Vシステムから高電圧化)は、ロームの技術的優位性が最も活きる領域です。800Vのような高電圧システムでは、従来のSi(シリコン)デバイスでは電力損失が大きすぎ、SiCの「絶縁破壊電界強度がSi10倍」「バンドギャップが3倍」「放熱特性に優れる」といった特性が必須となります。

Vitescoとの共同プレスリリース(20236月)でも、「特に800Vのような高電圧では、SiCインバーターはSiモデルよりもさらに高効率です」と明記されており、ロームの技術がこの800V市場に最適であることが強調されています。800V化のメリットは、インバーターの効率向上(=航続距離の伸長)やバッテリーサイズの削減だけでなく、「満充電にかかる時間(充電時間)が少なくすむ」という、消費者の利便性に直結する急速充電の実現にあります。

世界中の自動車メーカーがこの800V化と急速充電対応を競う中で、その心臓部であるインバーターに不可欠なSiCパワーデバイスの需要は、今後数年間にわたり急速に拡大し続けることが確実視されています。Yole Développement(市場分析会社)の予測(2022年時点)では、SiCパワーデバイス市場は2021年の10億ドル超から、年平均成長率(CAGR34%で成長し、2027年には60億ドル超に達するとされています²⁴。ロームの知財戦略は、この急成長市場の、最も付加価値の高い領域(800V)をターゲットに設定していると言えます。

市場シェア30%目標の実現性(デザイン・イン戦略)

このような強力な市場の追い風を受け、ローム経営陣(当時CFO)がVitescoとの提携拡大の際に言及した「市場シェア30%以上獲得も期待できる」という目標は、極めて野心的ながら、その戦略(IP-to-Shareモデル)は自動車産業の特性と合致しており、高い実現可能性を秘めています。

自動車産業は、一度採用された部品(特にプラットフォームの基幹部品)が、その車種のモデルライフサイクル(通常5年〜7年)にわたって継続的に採用され続けるという「デザイン・イン」の特性が非常に強い産業です。

ロームの戦略は、まさにこの特性を突いています。

  1. IP(技術)でティア1を囲い込むVitescoとの「開発パートナーシップ」により、設計の初期段階でロームのSiCチップ(IP)をVitescoのインバーターシステムに最適化させ、組み込む(デザイン・イン)。
  2. ティア1OEMを囲い込むVitescoが、その(ロームのIPを内蔵した)高性能インバーターを武器に、「大手自動車メーカー2社」の次世代EVプラットフォームのコンペティションに勝利する。
  3. 長期・安定シェアの獲得:一度プラットフォームに採用されれば、ロームはVitesco(ティア1)を通じて、その自動車メーカー(OEM)の生産台数に比例したSiCチップの供給を、2030年までの長期(Vitescoとの契約)にわたって確保することができます。

このVitescoとの成功モデル⁵ ⁶を、他のティア1(例:Bosch, Denso, Magnaなど)や、内製化を進める自動車OEM(例:Tesla, BYD)に対しても水平展開できるかどうかが、市場シェア30%という目標達成の鍵となります。

展望

ロームの知財戦略は、技術的優位性(IP)を、市場(EV/800V)の需要と、ビジネスモデル(ティア1との長期契約)に完璧に結びつける、非常に洗練されたものです。

今後の展望は、この強力な成長エンジン(IP-to-Shareモデル)のアクセルを踏み続ける一方で、最大の短期リスクであるMaxPowerとの仲裁⁸ ⁹を(例えば、2022年以降に積み増した対抗特許³ ²²を駆使して)いかに有利な条件(=利益率を毀損しない、あるいは事業継続を脅かさないレベル)で早期に解決できるかにかかっています。

この短期の法的リスクを乗り越え、中期の200mm移行¹⁰ ¹¹への設備投資判断を誤らなければ、ロームの知財戦略は、EV化という巨大な産業変革の波に乗り、市場シェアを飛躍的に高める強力な原動力として機能し続けると推察されます。

当章の参考資料

 

戦略的示唆(経営/研究開発/事業化の観点でアクション候補)

 

本分析に基づき、ロームがSiCパワー半導体市場における主導権を確立し、持続的な成長を達成するために、経営、研究開発/知財、および事業化の各観点から推奨される戦略的示唆(アクション候補)を以下に提言します。

経営層への示唆

  1. 最優先課題:MaxPower紛争の早期かつ有利な解決
    MaxPowerとの仲裁⁸ ⁹は、ロームのSiC戦略全体(Vitescoとの契約を含む)の土台を脅かす最大の短期リスクです。法務、技術、経営の全リソースを集中投下し、この問題を早期に解決(=ロイヤルティを最小化し、販売差し止めを回避)することが、他のいかなる戦略的施策よりも優先されます。2022年以降に構築した対抗特許群³ ²²を最大限に活用し、有利な和解(クロスライセンス)に持ち込む必要があります。
  2. 成功モデルの水平展開:Vitescoモデルの複製
    VitescoとのIPを起点とした「共同開発+長期供給」モデル⁴ ⁵ ⁶は、ロームの成功パターンです。このモデル(IP-to-Share)を、Vitesco以外の主要なティア1サプライヤー(例:Bosch, Denso, Magna, ZFなど)や、インバーターの内製化を志向する大手自動車OEM(例:Tesla, BYD, 欧州・日米の主要OEM)に対しても、積極的に水平展開すべきです。
  3. 中期的なコスト競争力の確保:200mmウェハへの投資判断
    競合他社(Infineon¹⁰, STMicro¹¹)が200mmウェハへの移行を急ぐ中、150mmウェハを主体とする現行戦略が中期的なコスト競争力(チップ単価)で劣後するリスク(中期リスク)があります。SiCrystal150mm)のウェハ外販で得た収益を、次世代の200mm IDMラインへの設備投資(またはM&Aによる技術獲得)にいかに効率よく振り分けるか、時機を逸しない経営判断が求められます。

研究開発(R&D/ 知財部門への示唆

  1. 特許網の継続的強化(対MaxPower / 対競合)
    2022年以降に加速させたSiCトレンチMOSFETの特許網構築³ ²²は、対MaxPower⁸ ⁹の「交渉カード」および「回避設計」として、また、対Infineon¹⁰ / STMicro¹¹の「参入障壁」として、引き続き最重要ミッションです。特に、トレンチ底部のゲート酸化膜保護³や、次世代のチャネル材料・構造に関する基幹技術の出願を継続すべきです。
  2. 戦略的リスクヘッジ(GaN / デザイン・アラウンド)
    ロームのIPポートフォリオは現在SiCに高度に集中していると見られます。長期的な技術代替リスク(長期リスク)に備え、以下の2点について、戦略的なR&DおよびIP取得(自社開発または買収)を加速すべきです。
    (a) MaxPowerの特許ポートフォリオを確実に回避する「デザイン・アラウンド」技術のIP化(短期リスク対応)。
    (b) Infineonが先行¹⁰している「GaN」パワーデバイス技術に関する基礎特許の戦略的取得(長期リスク対応)。

事業開発 / 法務部門への示唆

  1. 「フレネミー戦略」のレバレッジ活用
    SiCrystalによるSTMicroへのウェハ供給は、単なる「ウェハ販売事業」ではありません。これは、ローム本体のデバイス事業と連動した、競合に対する強力な「戦略的レバレッジ(交渉カード)」です。単にウェハを販売して収益を上げるだけでなく、この供給能力を背景に、STMicroや他の競合(顧客)との間で、より有利な取引条件(例:ロームのデバイス事業に不利な行動の抑制、あるいはロームが保有しないIPのライセンスイン要求など)を引き出す戦略的取引に活用すべきです。
  2. 契約ガバナンスの徹底強化(第二のMaxPowerの防止)
    MaxPowerとのTLA(技術使用許諾契約)⁸ ⁹は、初期の技術導入(ライセンスイン)が、将来的にいかに巨大な経営リスクになり得るかを示す教訓です。今後、ロームがVitesco⁴ ⁵STMicro⁷、あるいはその他のパートナーと締結する全ての技術提携、共同開発、ライセンス契約において、IPの帰属、実施権の範囲(特に子会社や関連会社を含むグローバルでの定義)、および紛争解決条項(仲裁地の指定など)を、法務部門と知財部門が連携して、事業の潜在的リスク(最悪のシナリオ)を想定しながら厳密に精査するガバナンス体制を、全社的に強化する必要があります。

当章の参考資料

 

総括

 

ロームの知財戦略は、2010年にSiC MOSFETの「世界初」量産化²に成功した「先行者利益」を、永続的な「市場シェア(30%超目標)」という競争優位に転換させるため、極めて攻撃的かつ体系的に設計・実行されています。

その戦略は、(1) SiCトレンチMOSFET技術³へのIP集中投下、(2) VitescoとのIPを起点とした「共同開発+長期供給」による顧客の囲い込み⁴ ⁵(3) IDM体制(SiCrystal)を活かし、競合(STMicro)にすらウェハを供給する「フレネミー戦略」、という3つの柱で構成されています。これらは、EV化と800Vシステムという巨大な市場トレンドと完全に連動しており、Vitescoとの1,300億円規模の契約や、STMicroとの供給契約拡大という形で、すでに大きな成果を上げています。

しかし、本分析の結果、この野心的な戦略の土台には、一つの重大な「法的リスク」が存在することが明らかになりました。それは、ロームの主力技術であるSiCトレンチMOSFETの根幹が、MaxPower Semiconductorとの技術使用許諾契約(TLAに依存しているのではないかという紛争であり、ロームはこの紛争を仲裁の場で争うことを余儀なくされています

2021年のこの法的手続き上の敗北と、2022年以降に観測されるトレンチMOSFET特許の「著しい加速」³ ²²との時系列的な一致は、ロームがこの最大の経営リスクに対し、全社を挙げて(回避設計と対抗特許の構築という)防衛策を講じていることを強く示唆しています。

ロームの経営陣は、この短期の法的リスクを最小限に抑えつつ、中期の技術的課題(200mm移行¹⁰ ¹¹)への投資判断を的確に行い、長期の市場変動(GaN¹⁰WolfspeedIP流動化¹²)に備えるという、極めて難易度の高い舵取りを迫られています。ロームの知財戦略が、この「アキレス腱」を乗り越え、強力な成長エンジンとして機能し続けることができるか、その仲裁の行方と特許戦略の進展が、今後の同社の命運を左右すると言っても過言ではありません。

 

参考資料リスト(全体)

 

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【本レポートについて】

本レポートは、公開情報をAI技術を活用して体系的に分析したものです。

情報の性質

  • 公開特許情報、企業発表等の公開データに基づく分析です
  • 2025年11月時点の情報に基づきます
  • 企業の非公開戦略や内部情報は含まれません
  • 分析の正確性を期していますが、完全性は保証いたしかねます

ご利用にあたって
本レポートは知財動向把握の参考資料としてご活用ください。 重要なビジネス判断の際は、最新の一次情報の確認および専門家へのご相談を推奨します。

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