テーマ別 深掘りコラム 1分で読める!発明塾 塾長の部屋
会社概要 発明塾とは? メンバー
実績 お客様の声

日本製鉄の知財戦略:技術的優位性の構築と収益化への多角的アプローチ

3行まとめ

「守り」から「攻め」へ:経営・R&D・知財の三位一体戦略

知財を単なる防衛資産から「企業活動の源泉」へと再定義。GX技術を「NSCarbolex® Solution」としてブランド化し、収益化を最大化する体制を構築しています。

トヨタ・宝山鋼鉄への提訴と「200億円」の衝撃

無方向性電磁鋼板の特許侵害を巡り、最重要顧客を含む2社に約200億円の賠償と製造差止を請求。IPを「武器」としてサプライチェーンのルール再構築を図っています。

149億ドルのUSS買収と「クラウンジュエルIP」の展開

U.S.スチールを総額約149億ドルで買収合意。自社の「クラウンジュエル(最重要)IP」を米国基盤に移転・注入し、グローバルな技術覇権の確立を目指します。

この記事の内容

エグゼクティブサマリ

 

本レポートは、日本製鉄株式会社(以下、日本製鉄)の知的財産(IP)戦略について、公開情報(IR資料、プレスリリース、官公庁レポート等)に基づき、その基本方針、組織体制、具体的戦術、および競合優位性を網羅的に分析するものです。

分析の結果、日本製鉄の知財戦略は、従来の日本製造業に典型的であった防衛的な「クロスライセンス用資産」としての位置づけから、経営戦略と不可分に統合された、極めて「攻撃的」かつ「多角的」な収益化手段へと変貌を遂げている実態が明らかになりました。

本レポートの主要な分析結果は、以下の12点に要約されます。

  1. 日本製鉄は、知的財産を「企業活動の源泉」と明確に定義し、「積極的な活用(active utilization)」による「企業価値の最大化」を基本方針として掲げています¹。これは、IPを単なるコストセンターではなく、プロフィットセンターとして捉えるという根本的な思想転換を示しています。
  2. この方針転換は、監査等委員会設置会社(20257月時点)²といった強固なコーポレート・ガバナンス体制に支えられており、知財戦略の実行が取締役会レベルでの経営判断として行われていることを示唆しています。
  3. 戦略実行の組織体制として、経営戦略、R&D戦略、知財戦略の「三位一体(Trinity)」を標榜しています¹。これにより、知財部門はR&Dの初期段階から経営判断にまで積極的に関与(actively involved¹し、バックオフィスからフロントオフィスへと機能を進化させていると推察されます。
  4. 具体的戦術の第一の柱は、最重要IPポートフォリオの「ブランド化」です。特にGX(グリーン・トランスフォーメーション)領域において、社会のCO2削減に貢献する高機能製品・技術群を「NSCarbolex® Solution」として体系化・ブランド化³しています。
  5. このブランド戦略は、「個別特許(例:AL-HS鋼板溶接技術)」を「ソリューション(例:NSafe®-AutoConcept ECO³⁴)」に組み込み、さらに「価値ブランド(NSCarbolex³)」としてパッケージ化する、IP価値の垂直統合モデルを形成しています。
  6. 第二の柱は、IPの「エンフォースメント(武器化)」です。202110月に、競合他社(宝山鋼鉄)のみならず、最重要顧客であるトヨタ自動車をも特許侵害(無方向性電磁鋼板)で提訴したことは、その象徴的な事案です。
  7. この訴訟は、約200億円という損害賠償請求に加え、トヨタの電動車(完成品)の製造販売差止を求めた点に本質があります。これは、EVサプライチェーン全体に対し、日本製鉄のIPの重要性と排他権の強さを知らしめる「ルールセッティング」を意図した、極めて戦略的な行動であったと分析できます。
  8. 第三の柱は、M&AにおけるIPの「レバレッジ(てこ)化」です。202312月に発表されたS.スチール(USS)の巨額買収(約149億ドル)は、日本製鉄の「世界をリードする技術と製造能力」USSの製造基盤に「移転・注入」することをシナジーの核としています。
  9. 分析の結果、これら3つの戦略(ブランド、武器化、レバレッジ)の核心には、「高機能電磁鋼板」と「高機能自動車用鋼板」という、EVGX時代の「クラウンジュエル(最重要)IP」が共通して存在していることが明らかになりました。
  10. JFEスチール(DX・ソリューション重視¹⁰)、POSCO(無形資産管理重視¹¹)、ArcelorMittal(グローバル・ガバナンス重視¹²)といった国内外の競合他社と比較して、日本製鉄の「攻撃性」と「多角性」は際立っており、IPを「経営兵器」として活用する独自のポジションを築いています。
  11. この攻撃的戦略は、顧客との関係悪化(トヨタの「遺憾」表明¹³)、M&Aの実行・統合の地政学的リスク¹⁴GX分野での国際標準化競争¹⁵での敗北リスクなど、短中長期にわたる重大なリスクも同時に内包しています。
  12. 今後、日本製鉄は、USS買収の実行(IP移転)GX分野での「オープン&クローズ戦略」¹⁵の推進、そして訴訟をテコにした「IPライセンス・ビジネス」の本格化という、IP価値を最大化する次のフェーズに進むことが予想されます。

背景と基本方針

 

本章では、日本製鉄の知的財産(IP)戦略が、単なる技術保護の枠を超え、企業経営の中核的な柱として位置づけられている背景と、その基本となる思想(フィロソフィー)について、公開情報を基に詳細に分析します。

 

経営戦略におけるIPの根本的再定義:「資産」から「源泉」へ

 

現代のグローバルな事業環境において、知的財産は、単なるR&D(研究開発)の成果物や、競合他社からの訴訟を防ぐための「防衛的な盾」としての役割を終え、企業価値を能動的に創出する「攻撃的な武器」としての側面を強めています。特に、技術革新のサイクルが極めて速く、かつ国際的な技術覇権競争が激化している鉄鋼業界において、この傾向は顕著です。

日本製鉄は、この環境変化に対し、知的財産の位置づけを根本から再定義していることが、同社の公式なサステナビリティ関連資料から明確に読み取れます。

同社は、知的財産を「企業活動の源泉(the source of our corporate activities)」であると明確に位置づけています¹。これは、IPを単なるR&D活動の結果として生じる「資産(Asset)」や「成果物(Result)」としてではなく、事業活動そのものを生み出し、推進し、収益を支える根本的な「源泉(Source)」として捉えていることを示します。この「源泉」という言葉の選択は、IPがなければ企業活動は成立し得ないという、極めて強い意志と認識の表れであると推察されます。

この基本思想は、「IP is the source of our corporate activities. Maximize corporate value through enhanced protection management and active utilization.IPは当社の企業活動の源泉である。保護管理の強化と積極的な活用により、企業価値を最大化する。)」という全社的なスローガンに集約されています¹

このスローガンは、IP戦略の二つの側面を明確に示しています。第一に「保護管理の強化(enhanced protection management)」であり、これは従来の防衛的な側面、すなわち自社の技術的優位性を法的に保護し、他社による模倣や侵害を排除することの重要性を再確認するものです。第二に、そしてより重要なのが、「積極的な活用(active utilization)」による「企業価値の最大化(Maximize corporate value)」です。

「積極的な活用」とは、保有するIP(特許、ノウハウ、ブランド等)を、単に自社製品の差別化に用いるだけでなく、他社へのライセンス供与、共同開発の交渉材料、M&A(合併・買収)における企業価値評価の向上、そして必要に応じては訴訟を通じた権利行使(エンフォースメント)といった、直接的・間接的な収益獲得の手段として能動的に用いることを意味します¹

 

コーポレート・ガバナンスとの不可分な連動性

 

日本製鉄のIP戦略のもう一つの特筆すべき点は、それが法務・知財部門といった一機能部門の戦略に留まらず、全社的なコーポレート・ガバナンスと密接に統合されている点です。

日本製鉄は、20257月時点で監査等委員会設置会社への移行を公表しています²。これは、取締役会による経営の監督機能の強化と、意思決定の迅速化・透明化を目的とするものであり、経営の重要事項(マテリアリティ)に対するガバナンスを強化する動きの一環です²

この文脈において、IP戦略、特に後述するようなハイリスク・ハイリターンな「攻め」のIP戦略(例:重要顧客の提訴)は、現場部門の判断のみで実行できるものではありません。それは、取締役会レベルでの十分な議論と、法的・財務的・事業的なリスクとリターンの緻G2:G27密な計算に基づいた、意図的な「経営判断」である必要があります。

例えば、同業他社の事例として、日本製鋼所(JSW)は、そのコーポレート・ガバナンス報告書において、取締役会が審議する事項の一つとして「知的財産活動報告」を明記しています¹⁶。これは、IP戦略の進捗と成果が、取締役会による監督(モニタリング)の対象となっていることを示す好例です。日本製鉄においても、同様のガバナンス体制、すなわちIP戦略が経営の最重要課題の一つとして取締役会に定期的に報告され、その方向性が議論・承認されるプロセスが存在していると推察されます。

したがって、本レポートで後ほど詳細に分析する日本製鉄の近年の攻撃的な一連のIP活動は、一部門の暴走ではなく、強固なガバナンス体制(22の類推)に支えられ、「企業価値の最大化」という経営目標(5)を達成するために、取締役会レベルのコンセンサスに基づき実行されている「ガバナンス・ドリブン戦略」である可能性が極めて高いと考えられます。

 

「守り」から「攻め(エンフォースメント)」への明確なシフト

 

前述の「積極的な活用」という基本方針は、従来の日本の製造業に根強く存在した「守り」のIP戦略からの明確な決別を意味します。

従来、多くの日本企業にとって、特許は主に以下の二つの目的で取得されてきました。

  1. 防衛的出願: 自社が事業を実施する上で、他社の特許に抵触しないための「自由(Freedom to Operate)」を確保する目的。
  2. クロスライセンス: 他社(特に競合)から特許侵害で訴えられた際に、自社の保有特許を交渉材料として提示し、訴訟の取り下げや、相互にライセンス料を免除する「クロスライセンス契約」に持ち込むための「交渉のカード」としての目的。

これらの戦略は本質的に「防衛的(Defensive)」であり、IPを「コストセンター(管理費用)」あるいは「保険」として捉えるものでした。

しかし、日本製鉄の方針(5)は、IPを「事業収益の獲得(obtaining business revenue)」に直結する「プロフィットセンター(収益源)」へと転換させることを明確に宣言しています。これは、保有するIP、特に競合他社が模倣せざるを得ないような中核的な「クラウンジュエル(最重要)IP」を用いて、ライセンス収入の獲得、市場シェアの確保、あるいは競合の市場からの排除(差止)といった、直接的なキャッシュフロー創出や市場支配力の確立を目指す「攻勢的(Offensive)」な戦略です。

この戦略転換の背景には、技術革新のサイクルの加速化、グローバル市場における技術覇権競争の激化、そして特に中国メーカー(例:宝山鋼鉄)や韓国メーカー(例:POSCO)による急速な技術的キャッチアップという外部環境の脅威が存在すると見られます。もはや、優れた技術を開発するだけでは不十分であり、その技術的優位性をIPによって法的に「囲い込み」、かつそれを「収益化」する能力こそが、持続的な競争力の源泉であるという認識に至ったと推察されます。

 

GX(グリーン・トランスフォーメーション)とIP戦略の連動

 

日本製鉄のIP戦略の基本方針において、最後に、しかし最も重要な要素として挙げられるのが、現代の鉄鋼業界における最大の経営課題である「カーボンニュートラル(CN)の達成」、すなわち「グリーン・トランスフォーメーション(GX)」との連動です。

鉄鋼業は、その産業特性からCO2排出量が極めて多い(2021年度の日本の産業部門排出量の13.6%を占める¹⁷)一方で、社会インフラを支える基幹産業であり、その脱炭素化は日本全体のGXの成否を左右します。このため、経済産業省や内閣官房は「分野別投資戦略」において、鉄鋼業を重点分野と位置づけ、公的基金によるR&D支援(例:大型革新電炉転換、還元鉄の活用)や市場創造といった支援策を講じています¹⁷, ¹⁸

日本製鉄は、この国家的なGX推進の動きと自社のIP戦略を完全に同期させています。同社は、サステナビリティに関する方針の中で、「カーボンニュートラルの実現に資する技術・製品の開発において生み出されたIPの権利取得に注力している」と明言しています¹

これは、二重の戦略的意図を持つと考えられます。

第一に、GX技術(例:水素還元製鉄、CCUS)という、次世代の鉄鋼業における「競争のルール」そのものを形成する巨大な新市場において、技術開発の初期段階から中核となるIPを「クローズ戦略」として押さえることです。

第二に、経済産業省の審議会資料¹⁵KPMGのレポート¹⁷が示すように、GX技術は「秘匿、特許化、規格標準化、公開」を組み合わせた「オープン&クローズ戦略」¹⁵が不可欠な領域です。日本製鉄は、自社がR&D支援(20)を受けて開発した技術が有利になるような形で、グリーンスチールの定義や環境価値の評価方法といった「国際標準化(オープン戦略)」¹⁵, ¹⁸を主導しつつ、その標準の核となる中核技術(クローズ戦略)のIPを押さえることで、GX市場における圧倒的な優位性を確立しようとしています。

このように、日本製鉄のIP戦略の基本方針は、ガバナンスと連動した「経営判断」として、「守り」から「攻め」へと転換し、その主戦場を「GX・脱炭素」という次世代の最重要市場に設定している点に、その核心的な特徴があると言えます。

当章の参考資料

 

  1. ¹ https://www.nipponsteel.com/en/sustainability/quality/solution.html
  2. ² https://finance-frontend-pc-dist.west.edge.storage-yahoo.jp/disclosure/20250708/20250708509863.pdf
  3. ³ https://www.nipponsteel.com/product/nscarbolex/solution/
  4. https://www.nipponsteel.com/news/20240613_100.html
  5. https://www.nipponsteel.com/common/secure/news/20211014_100.pdf
  6. https://global.toyota/jp/newsroom/corporate/36224453.html
  7. ⁷(https://en.wikipedia.org/wiki/Acquisition_of_U.S._Steel_by_Nippon_Steel)
  8. https://www.sec.gov/Archives/edgar/data/1163302/000110465923126579/tm2333110d1_ex99-2.htm
  9. https://www.nipponsteel.com/common/secure/en/ir/library/pdf/20231218_200.pdf
  10. ¹⁰ https://www.jfe-holdings.co.jp/investor/library/group-report/
  11. ¹¹(https://www.posco.co.kr/docs/eng7/jsp/resources/file/ir/POSCO_consolidated_FY24_3Q_eng.pdf)
  12. ¹² https://corporate.arcelormittal.com/media/upipeqnl/annual-report-2023.pdf
  13. ¹³ https://global.toyota/jp/newsroom/corporate/36224453.html
  14. ¹⁴ https://www.nipponsteel.com/en/newsroom/news/2025/20250103_100.html
  15. ¹⁵ https://www.meti.go.jp/shingikai/sankoshin/green_innovation/energy_structure/pdf/028_i01_00.pdf
  16. ¹⁶ https://www.jsw.co.jp/ja/sustainability/governance/governance.html
  17. ¹⁷ https://kpmg.com/jp/ja/home/insights/2024/11/gx-intellectual-property01.html
  18. ¹⁸ https://www.jpo.go.jp/resources/report/sonota/keizai_yakuwari.html

全体像と組織体制

 

前章で述べた「IPを源泉とする企業価値最大化」という基本方針は、それを実行するための強固な組織体制とプロセスなしには実現不可能です。本章では、日本製鉄がその攻撃的なIP戦略をいかにして組織的に実行しているのか、その全体像と特異な体制について分析します。

 

経営・R&D・知財の「三位一体(Trinity)」戦略

 

日本製鉄のIP戦略実行体制の核心は、同社が「経営戦略、R&D戦略、知的財産戦略の三位一体(a trinity of management strategy, R&D strategy, and intellectual property strategy)」と呼ぶ連携モデルにあります¹

これは、単に3つの部門が協力し合うというレベルの話ではなく、3つの戦略が策定の初期段階から不可分に、かつ有機的に連携していることを意味します。この「三位一体」モデルは、従来の製造業における典型的な線形プロセス(リニアモデル)とは一線を画すものです。

  • 従来のリニアモデル:
    1. R&D部門が「良い技術」を発明する。
    2. 知財部門が、発明された技術を「特許出願」する(R&Dの成果物として事後処理)。
    3. 経営・事業部門が、その特許技術を使って「製品」を売る。

このモデルでは、IPR&Dの「後工程」であり、経営戦略とは間接的にしか結びつきません。

  • 日本製鉄の「三位一体」モデル(推察):
    1. 経営戦略が、事業ドメイン(例:「GX市場でのリーダーシップ獲得」「EV向け高機能材市場の掌握」)という「戦場」を決定します。
    2. 知財戦略(知財部門)は、その「戦場」における競合他社の特許網(パテント・ランドスケープ)を詳細に分析し、どこに「隙間(ホワイトスペース)」があり、どこが「激戦区(レッドオーシャン)」であり、どこに「急所(チョークポイント)」があるかを特定します。
    3. R&D戦略は、経営戦略の「目標」と知財戦略の「地図」に基づき、最も企業価値に貢献し、かつ法的に強固な「排他権」を構築できる領域(例:競合が回避困難な中核技術)に研究開発リソースを集中投下します。

このように、日本製鉄のモデルでは、知財戦略はR&Dの「後工程」ではなく、「前工程」あるいは「並走パートナー」として機能します。R&D部門(技術開発本部¹⁹, ²⁰など)は、単に「技術的に優れたもの」を開発するだけでなく、「知財的に価値のある(=競合を排除できる、あるいは高額なライセンス料を徴収できる)」技術を、知財部門と共同で「設計」していると推察されます。

 

知財部門(Intellectual Property Division)の進化した役割

 

この「三位一体」モデルを機能させるため、日本製鉄の知財部門(Intellectual Property Division)は、伝統的な特許管理業務(バックオフィス)を超え、極めて高度かつ多機能な「フロントオフィス」としての役割を担っていると考えられます¹

5の記述によれば、知財部門は「事業部門(Business divisions)」の活動を「サポート」するだけでなく、経営戦略の策定(management)そのものに「積極的に関与(actively involved)」しています¹。この「積極的な経営関与」は、日本製鉄のIP戦略の強さを理解する上で最も重要な鍵の一つです。

この進化した知財部門の機能は、以下の3つの階層に分けて分析することができます。

  1. 1階層:R&D支援(伝統的機能の高度化)
    • これは、R&D部門(技術開発本部¹⁹, ²⁰)が生み出す発明の特許化・権利化という伝統的な業務です。
    • しかし、「三位一体」体制下では、その質が異なります。単なる出願代行ではなく、R&Dの初期段階から介入し、「いかにして強力な権利範囲(クレーム)の特許を取得するか」「将来の訴訟に耐えうるか」といった観点で、発明そのもののブラッシュアップに関与していると推察されます。
  2. 2階層:事業部門支援(ビジネス・フロント機能)
    • これは、IPをビジネスの現場で「武器」または「ツール」として活用するための支援です。
    • M&AにおけるIPデューデリジェンス: 後述するS.スチール(USS)買収(4)のような大型M&Aにおいて、知財部門は決定的な役割を果たします。USSが保有する特許・ノウハウの価値を評価するだけでなく、日本製鉄が移転する技術(6)が、USSの既存設備や市場とどのようにシナジーを生むか、そのIP価値を(時には数十億ドル単位で)算定する役割を担ったと見られます。
    • 訴訟・ライセンス交渉支援: 宝山鋼鉄・トヨタ自動車への提訴(3)のような事案では、知財部門は法務部門や事業部門と連携し、侵害の証拠収集、特許の有効性の再検証、損害賠償額の算定といった、訴訟戦略のまさに「中核」を担います。
  3. 3階層:経営支援(戦略策定機能)
    • これが「積極的な経営関与」¹の核心です。知財部門は、特許データベースという「世界最大の技術情報源」を駆使し、経営層(取締役会)に対して以下のような戦略的インプットを行います。
    • IPランドスケープ分析: 特許庁のレポート²¹21)もその重要性を説いていますが、グローバルな特許出願動向を分析することで、「競合他社が次にどの技術分野に投資しようとしているか」「どの市場が技術的に飽和しているか」「どの新興技術が脅威となりうるか」といった未来予測を行います。
    • M&A・アライアンス先の選定: このIP分析に基づき、「自社の弱点を補完する技術(特許)を持つ企業」や「自社のIP(特許)を最も高く評価し、シナジーを生み出せる企業(例:USS)」をM&Aのターゲットとして経営層に提案している可能性があります。

 

R&D(技術開発本部)との具体的な連携プロセス

 

日本製鉄の研究開発は、「日本製鉄技報」¹⁹, ²⁰に定期的に掲載される技術論文に代表されるように、世界最高水準の技術力を保持しています。このR&Dの「質」を、いかにして「知財の価値」に転換するかが、知財部門との連携における最大の課題です。

「三位一体」戦略(5)に基づけば、具体的なR&Dプロセスにおいて、以下のような連携が推察されます。

  • 研究テーマの「知財スクリーニング」:
    • 例えば、GX技術(5)や自動車向け軽量化技術(1)の研究テーマが立ち上がる際、R&Dチームは「技術的に可能か」を追求するだけでなく、知財部門が「(競合に対して)法的に排他権を主張できるか」「既存の競合特許網を回避できるか」「将来的にライセンス収入を見込めるか」といった「IP価値」の観点からスクリーニング(選別)を行っている可能性があります。
    • これにより、R&D投資が「特許の取れない(=模倣されやすい)」技術や、「競合の特許網に抵触する」技術に浪費されることを防ぎます。
  • 「特許ポートフォリオ」の共同構築:
    • 単一の「点」としての特許(例:AL-HS鋼板の溶接技術 1)を取得するだけでなく、その周辺技術や代替技術についても意図的に特許を出願し、他社が容易に回避できない「面」としての特許網(ポートフォリオ)を、R&D部門と知財部門が共同で構築していると考えられます。

 

「オープン&クローズ戦略」の実行体制

 

経済産業省の審議会資料(2)は、鉄鋼業のGX(グリーン・トランスフォーメーション)において、「秘匿、特許化、規格標準化、公開」を組み合わせた「オープン&クローズ戦略」の立案と実装の重要性を強く指摘しています¹⁵

日本製鉄の「三位一体」の組織体制は、この複雑な戦略を実行するために最適化されていると見ることができます。

  1. クローズ戦略(Close Strategy:
    • 担当: 知財部門 + R&D部門
    • 対象: 企業の競争力の源泉であり、他社に模倣されたくない「クラウンジュエル(最重要)IP」。
    • 具体例: 無方向性電磁鋼板のコア技術(3)、AL-HS鋼板の革新的溶接技術(1)、GX技術の中核となるプロセスノウハウ(5)。
    • 戦術: 強力な特許網で「特許化」し、侵害に対しては訴訟(3)も辞さず厳格に「保護・権利行使」します。また、特許化に適さないノウハウは「秘匿」管理を徹底します¹⁵
  2. オープン戦略(Open Strategy:
    • 担当: 事業部門 + 渉外部門 +(知財部門)
    • 対象: 自社の技術(クローズ戦略)が市場で優位になるように、「市場のルール(規格・標準)」そのものを形成するための技術や規格案。
    • 具体例: 「グリーンスチール」のCO2排出量算定方法である「マスバランス方式」¹⁵
    • 戦術: 日本製鉄は、日本鉄鋼連盟のガイドラインを基に、世界鉄鋼協会(World Steel Association)のガイドライン策定を主導し、自社に有利なマスバランス方式を国際的なルールとして「規格標準化」¹⁵することに成功しています。
    • 戦略的意図: この「オープン戦略」により、市場のルール(例:マスバランス方式)が自社(日本)主導で設定されます。その結果、そのルール下で最も高い環境価値を発揮する自社の「クローズ戦略」の技術(例:NSCarbolex 8)の市場価値が、自動的に高まるという構造を作り出しています。

このように、日本製鉄の組織体制は、経営・R&D・知財の三部門が不可分に連携(三位一体)¹し、知財部門が単なる事務局ではなく、M&Aや経営戦略にまで関与する「司令塔」の一部として機能¹することで、特許化(クローズ)と標準化(オープン)¹⁵という、鉄鋼業の未来のルールを左右する高度なゲームを戦略的に遂行する基盤となっていると結論付けられます。

当章の参考資料

 

  1. ¹ https://www.nipponsteel.com/en/sustainability/quality/solution.html
  2. ¹⁵ https://www.meti.go.jp/shingikai/sankoshin/green_innovation/energy_structure/pdf/028_i01_00.pdf
  3. ¹⁹(https://jglobal.jst.go.jp/detail?JGLOBAL_ID=201909012686247077)
  4. ²⁰ https://www.nipponsteel.com/tech/report/
  5. ²¹ https://www.jpo.go.jp/resources/report/sonota/keizai_yakuwari.html
  6. 1
    https://www.nipponsteel.com/news/20240613_100.html
  7. 2
    https://www.meti.go.jp/shingikai/sankoshin/green_innovation/energy_structure/pdf/028_i01_00.pdf
  8. 3
    https://www.nipponsteel.com/common/secure/news/20211014_100.pdf
  9. 4
  10. 5
    https://www.nipponsteel.com/en/sustainability/quality/solution.html
  11. 6
    https://www.sec.gov/Archives/edgar/data/1163302/000110465923126579/tm2333110d1_ex99-2.htm
  12. 7
    https://www.nipponsteel.com/common/secure/en/ir/library/pdf/20231218_200.pdf
  13. 8
    https://www.nipponsteel.com/product/nscarbolex/solution/

詳細分析:3つの戦略的活用(技術領域・収益化・M&A

 

前章で明らかにした「三位一体」の組織体制(5)は、日本製鉄の知的財産(IP)を「企業価値の最大化」¹という経営目標(5)に直結させるための実行基盤です。本章では、この基盤の上で、日本製鉄がIPを具体的にどのように活用し、収益化を図っているのかを、「① IPポートフォリオとブランド戦略(価値の集約)」「エンフォースメント戦略(価値の武器化)」「③ M&Aと技術シナジー(価値の増幅)」という3つの戦略的活用(3つの柱)の切り口から詳細に分析します。

 

3.1. IPポートフォリオとブランド戦略:「NSCarbolex® Solution」という名の価値集約

 

日本製鉄のIP戦略の第一の柱は、単に特許件数を増やすことではなく、市場価値が最も高い技術領域、すなわち「GX(脱炭素)」と「EV(電気自動車)」に関連する分野にR&Dリソースと知財リソースを集中投下し、質の高い「IPポートフォリオ」を構築することにあります。

そして、その構築したIPポートフォリオを、単なる技術(特許)の束として埋もれさせるのではなく、市場(顧客)が認識できる「価値」へと昇華させるための強力な戦略が、IPの「ブランド化」です。

 

GX分野(脱炭素)におけるIPのブランド化

 

この戦略の最も顕著な例が、GX分野における総称ブランド「NSCarbolex® Solution(エヌエスカーボレックス・ソリューション)」³の展開です。

日本製鉄は、NSCarbolex® Solutionを「社会全体のCO₂削減に貢献する製品・ソリューション技術」の総称ブランド³と定義しています。これは、鉄鋼製造プロセス(上流)でのCO2削減努力(例:水素還元製鉄)に留まらず、顧客(下流)が日本製鉄の製品・ソリューションを「使う」ことによって、社会全体のCO2削減に貢献できる、という価値提案です。

同ブランドは、顧客と社会に対して、以下の4つの具体的な価値を提供するとされています³

  1. お客様の製造プロセスにおけるCO₂排出量の削減: (例:省工程化、短工期化による削減)
  2. 素材由来のCO₂排出量の削減: (例:高強度化による素材使用量の削減)
  3. お客様の製品が社会で使用される際のCO₂排出量の削減: (例:軽量化による燃費向上、高効率化による電力ロス削減)
  4. 社会のエネルギー転換への貢献: (例:水素・再生可能エネルギーインフラ向け素材の提供)

ここで注目すべきは、NSCarbolex® Solutionが、単なるマーケティング上のキャッチコピーではなく、日本製鉄が保有する「GX関連IPポートフォリオ」を市場(顧客)に対して「可視化」し、「パッケージ化」する戦略的な器であるという点です。

この戦略的意図は、日本製鉄の具体的な特許と、このブランドの関連性を分析することで、より鮮明になります。

【分析:特許からブランドへの価値の垂直統合プロセス】

  1. ステップ1:個別の「中核IP」の創出(特許化)
    • 2024年6月、日本製鉄は、自動車の軽量化・安全性向上に不可欠な「アルミめっきホットスタンプ(AL-HS)鋼板」のテーラードブランク(TWB)製造技術に関する特許(特許第7056738号)で、日本溶接協会賞「溶接注目発明賞」を受賞しました
    • この特許は、従来は困難であったAL-HS鋼板のTWB(レーザ溶接)において、ホットスタンプ後の「継手強度の低下」という致命的な課題を、溶接前の精密なめっき除去処理によって解決する革新的なものです。これは、単体の「中核IP」です。
  2. ステップ2:「IP」から「ソリューション」への集約
    • 日本製鉄は、この受賞した特許発明(ステップ1)が、同社が提案する次世代鋼製自動車コンセプト「NSafe®-AutoConcept ECO³(エコキュービック)」の「中核技術」であると説明しています
    • NSafe®-AutoConcept ECO³」は、この特許技術を用いることで、車体の軽量化、CO2排出量の削減、コスト削減、省力化を実現する「ソリューション」として顧客(自動車メーカー)に提案されます
  3. ステップ3:「ソリューション」から「価値ブランド」へのパッケージ化
    • そして、日本製鉄の公式ウェブサイト³において、この「NSafe®-AutoConcept」(ステップ2)は、「NSCarbolex® Solution」ブランド(ステップ3)が提供する「社会のCO₂排出量削減への貢献の例」として、自動車分野の筆頭に挙げられています³

この「個別特許 1 → ソリューション技術 1 → 価値ブランド 8」という一貫した流れは、日本製鉄が、R&Dの成果である「IP」を、いかにして最終的な「市場価値(=CO2削減という付加価値)」に結びつけ、ブランドとして集約・可視化しているかを示す典型的な例です。

顧客は、「特許第7056738号」という難解な技術仕様ではなく、「NSCarbolex® Solution」という「CO2削減に貢献する」という分かりやすい「価値」に対して対価を支払うことになります。これは、IPを核とした高度なブランディング戦略であり、製品のコモディティ化を防ぎ、高い付加価値(プレミアム価格)を維持するための強力な手段となっています。

 

EV・自動車分野(軽量化・高効率化)におけるポートフォリオ

 

GX(脱炭素)と表裏一体の関係にあるのが、EV(電気自動車)シフトと自動車の軽量化です。日本製鉄は、この巨大な市場トレンドの「チョークポイント(急所)」となる技術領域においても、IPポートフォリオの構築を最重要戦略としています。

  • 無方向性電磁鋼板:
    • EVの駆動モーターの効率(=航続距離)と性能を決定づける最重要部材です。モーターコア(鉄心)に使用され、磁気特性に方向性がないため、回転機の効率を最大化できます
    • 日本製鉄は、この無方向性電磁鋼板の製造に関する、極めて競争力の高い中核特許を保有していると強く主張しています。このIPは、同社の「クラウンジュエル」の一つであり、後述するエンフォースメント戦略(3)やM&A戦略(7)の核となります。
  • 自動車軽量化鋼板(AL-HS鋼板など):
    • 前述のAL-HS鋼板のTWB技術(1)に代表されるように、車体の軽量化は、ガソリン車の燃費向上とEVの航続距離延長に直結するため、CO2削減(1)の観点から極めて重要です。
    • これらの技術(特許)は、「NSCarbolex® Solution」ブランド(8)の中核を成すと同時に、自動車メーカーに対する強力な交渉材料となります。

このように、日本製鉄は、自社の強みである「高機能鋼材」という技術領域と、「GX」「EV」という二大市場トレンドが交差する、最も価値の高い領域にIPポートフォリオを集中させ、さらにそれを「NSCarbolex®」というブランドに集約することで、技術的優位性を市場における「価値(価格決定力)」へと転換する戦略を推進しています。

 

3.2. エンフォースメント(攻勢):「武器」としての知財

 

日本製鉄のIP戦略の第二の柱は、構築したIPポートフォリオを、単なる「お守り」や「ブランド価値の源泉」として内部に留めるだけでなく、必要に応じて「武器(Weapon)」として積極的に行使する「エンフォースメント(権利行使)」戦略です。

この戦略の先鋭性は、同社の基本方針である「積極的な活用(active utilization)」¹が、単なるスローガンではなく、たとえ短期的には激烈な摩擦を生んででも実行するという、経営陣の揺るぎない決意の表れであることを示しています。

 

事例研究:電磁鋼板特許訴訟(vs 宝山鋼鉄・トヨタ自動車)

 

この「武器」としてのIP戦略を象徴する、近年類を見ない極めて重大な事案が、202110月に発生した特許侵害訴訟です。

  • 提訴の概要:
    • 2021年1014日、日本製鉄は、中国の鉄鋼最大手である宝山鋼鉄股份有限公司(以下、宝鋼)と、日本最大の自動車メーカーであり最重要顧客の一つであるトヨタ自動車株式会社(以下、トヨタ自動車)の2社に対し、訴訟を提起しました
    • 対象IP: 同社が保有する「無方向性電磁鋼板」に関する特許。前節で述べた「クラウンジュエルIP」の一つです。
    • 訴訟内容(対 宝鋼): 特許権侵害を理由とする、約200億円の損害賠償請求
    • 訴訟内容(対 トヨタ自動車):
      1. 宝鋼製の当該電磁鋼板を使用したトヨタの電動車(完成品)が、日本製鉄の特許を侵害している(間接侵害)とした、約200億円の損害賠償請求
      2. 当該電動車(完成品)の製造・販売の差止仮処分の申立て
    • トヨタ自動車側の反応:
      • 提訴同日、トヨタ自動車は「弊社が訴えられたことについては、大変遺憾に感じております」と、極めて強い不快感を示す声明を発表しました¹³
      • トヨタ側の反論の要点は、「本来、材料メーカー同士(日本製鉄と宝鋼)で協議すべき事案」「取引締結前に宝鋼に確認し、『特許侵害の問題はない』との書面も得ていた」¹³というものでした。

 

「顧客提訴」の戦略的意図の分析

 

この訴訟、特に「トヨタ自動車を訴える」という行為は、日本の伝統的な「系列」や「なあなあ」の商慣習を根底から覆すものであり、その戦略的意図を深く分析する必要があります。

トヨタ自動車が指摘するように¹³、もし目的が「宝鋼の特許侵害を止めさせること」だけであれば、宝鋼のみを提訴するのが通常です。また、もし「トヨタからの賠償金」だけが目的であれば、巨額の売上(20213月期のトヨタ向け連結売上高は約5,500億円²²)を失うリスクに見合いません。

したがって、この訴訟は、単なる損害賠償(過去の損失補填)や、宝鋼への牽制(競合排除)を主目的としたものではなく、EV化で揺れ動く自動車サプライチェーン全体に対する「ルールセッティング」と「パワーバランスの転換」を目的とした、極めて高度な戦略的「武器」の使用であったと分析できます。

【分析:トヨタ提訴が発する3つのシグナル】

  1. 対 競合(宝鋼など):
    • 「日本製鉄の『聖域』(高機能電磁鋼板)を侵害すれば、たとえ顧客(トヨタ)に隠れても必ず追跡し、法的な制裁を加える」という、技術的模倣に対する一切の妥協を許さない強いシグナルです。
  2. 対 顧客(トヨタ自動車):
    • 「貴社(トヨタ)は、もはや単なる鋼材の『購入者』ではない。日本製鉄の『IP(知的財産)』の『使用者』である」という、関係性の再定義です。
    • 「貴社がサプライチェーン管理を怠り、特許侵害品(宝鋼製)を調達した場合、その責任は貴社が(賠償金と生産停止という形で)負うことになる」¹³という、調達責任の明確化を迫るものです。
  3. 対 市場(世界の全自動車メーカー):
    • これが最も重要なシグナルです。「もし、貴社が日本製鉄のIPを侵害した安価な模倣鋼材(例:宝鋼製)を使用してEVを製造した場合、日本製鉄は貴社の『完成車』の製造・販売ラインそのものを、全世界で差し止める権利(と実行する意志)を持っている」という、強力なメッセージです。
    • 「製造販売の差止」は、賠償金(カネ)とは比較にならない、企業の存続に関わる致命的な脅威です。

この訴訟によって、日本製鉄は、自動車メーカーとの関係において、自らの地位を「高品質な鉄鋼を供給する、数あるサプライヤー(Supplier)の一つ」から、「EVの性能(航続距離)を左右する基幹技術(IP)の『門番(Gatekeeper)』であり『ライセンサー(Licensor)』」へと、劇的に転換させようとしました。

これは、自社の「クラウンジュエルIP」の価値を最大化するためには、たとえ最重要顧客(9)との短期的な関係悪化という甚大なリスクを冒してでも、IPを「武器」として行使(5)することを厭わないという、日本製鉄のIP戦略の「攻撃性」と「本気度」を内外に示す、象徴的な出来事であったと結論付けられます。

 

3.3. M&Aと技術シナジー(価値増幅):「レバレッジ」としての知財

 

日本製鉄のIP戦略の第三の柱は、M&A(合併・買収)において、IPを「レバレッジ(てこ)」として活用し、買収価値を最大化する戦略です。

これは、単に企業規模(売上高や生産量)を拡大するためのM&A(足し算)ではなく、日本製鉄の「IP(無形資産)」を、買収先の「有形資産(製造設備や市場アクセス)」に注入(移転)することによって、買収後の企業価値を飛躍的に高める(掛け算)ことを狙った、「IPレバレッジ型M&A」と呼ぶべきものです。

 

事例研究:U.S.スチール(USS)買収

 

この戦略の集大成とも言えるのが、20231218日に発表された、米国の鉄鋼大手U.S.スチール(USS)の買収合意です。

  • 買収の概要:
    • 日本製鉄は、USSを総額約141億ドル(企業価値約149億ドル、負債含む)⁷, ²³で、全額現金により買収することに合意しました
    • この買収価格(155ドル)は、合意前(20231215日)のUSS株価終値に対し40%のプレミアム²³を、またUSSが売却プロセスを開始する前(20238月)の株価に対しては142%ものプレミアム²³を支払う、極めて高額なものです。
  • 買収ロジック(シナジーの源泉):
    • これほど巨額のプレミアム(11)を支払う以上、その正当化には「1 + 1 = 2」を遥かに超える「シナジー(相乗効果)」が不可欠です。
    • 日本製鉄が公式に発表しているシナジーの源泉は、一貫して「技術」と「IP」にあります。
    • 同社は、「この買収は、世界をリードする技術と製造能力を持つ2社を結びつける」ものであり、「両社の強みを組み合わせることで、USSをさらなる成長軌道に乗せる」²⁴と説明しています。
    • つまり、USSが持つ米国内の広範な製造基盤と市場アクセス(有形資産)に、日本製鉄が保有する高度な技術・IP(無形資産)を「移転・注入」することこそが、このM&Aの核心的なロジックです。

 

移転対象IPの分析:「クラウンジュエル」の再登場

 

では、日本製鉄がUSSに移転しようとしている「世界をリードする技術」とは何でしょうか。

買収発表時のプレゼンテーション資料(7)は、「両社の技術を組み合わせることで生まれる新たな価値」と題したページで、その中身を具体的にリストアップしています⁹, ²⁵

  • 製品技術(Product Technologies:
    • 自動車用鋼板(高機能品)、加工技術、ソリューション
    • 電磁鋼板(高機能品)
    • 建材用高耐食性めっき鋼板(高機能品)
    • ニッケルコート鋼板
  • 操業・設備技術(Operational, Equipment Technologies:
    • 品質・コスト改善技術
    • 最先端の薄スラブ連続鋳造・熱間圧延設備
    • 高炉一貫製鉄所のメンテナンス技術
    • 省エネルギー技術
    • 自動化技術
    • リサイクル技術

このリストを詳細に分析すると、本レポートで繰り返し指摘してきた、日本製鉄のIP戦略の「核心」が、再び姿を現します。

【分析:3つの戦略を貫く「クラウンジュエルIP」の共通性】

本章で分析した3つの戦略的活用(ブランド、武器化、レバレッジ)は、一見するとそれぞれ独立した戦略のように見えますが、その核心(ターゲットとなるIP)において、驚くほど共通しています。

  1. Pillar 1: ブランド戦略 (3.1)
    • NSCarbolex® Solution」(8)ブランドの価値の源泉は、「自動車用鋼板」(例:AL-HS鋼板 1)と、EVの電力効率化に貢献する「電磁鋼板」です。
  2. Pillar 2: エンフォースメント戦略 (3.2)
    • トヨタ・宝鋼を提訴(3)した「武器」は、EVの核心部品である「電磁鋼板(無方向性)」の特許です
  3. Pillar 3: M&Aレバレッジ戦略 (3.3)
    • USS買収(4)のシナジーの核として、USSに移転・注入される「製品技術」は、まさに「自動車用鋼板(高機能品)」と「電磁鋼板(高機能品)」です⁹, ²⁵

この分析結果が示すのは、日本製鉄のIP戦略が、単なる「思いつき」や「場当たり的」なものでは到底あり得ない、極めて高度で統合された戦略であるという事実です。

日本製鉄は、まず自社のR&Dポートフォリオ(10)の中から、EVGXという次世代の巨大市場において「勝負を決する(=競合を排除し、高い収益を生む)」ことができる、最も重要な「クラウンジュエルIP(高機能自動車鋼板と高機能電磁鋼板)」を明確に特定しました。

その上で、その「クラウンジュエルIP」の価値を文字通り最大化(5)するために、

  • 市場(顧客)に対しては、その価値を「NSCarbolex®」(8)というブランドにパッケージ化してプレミアム価格を訴求し、
  • 市場(競合・顧客)に対しては、その排他権を「訴訟」(3)という武器で知らしめ、市場のルール(と恐怖)を確立し、
  • 市場(グローバル展開)に対しては、そのIPを「M&A」(6)のレバレッジとして使い、巨額の投資(4)のシナジー源泉とする

という、3つの異なる経営手段(ブランド、訴訟、M&A)を、同時並行的かつ、極めて意識的に投入しているのです。これこそが、日本製鉄の知財戦略の全体像であり、その恐るべき一貫性と戦略性の本質であると結論付けられます。

当章の参考資料

 

  1. ¹ https://www.nipponsteel.com/en/sustainability/quality/solution.html
  2. ³ https://www.nipponsteel.com/product/nscarbolex/solution/
  3. https://www.nipponsteel.com/news/20240613_100.html
  4. https://www.nipponsteel.com/common/secure/news/20211014_100.pdf
  5. ⁷(https://en.wikipedia.org/wiki/Acquisition_of_U.S._Steel_by_Nippon_Steel)
  6. https://www.sec.gov/Archives/edgar/data/1163302/000110465923126579/tm2333110d1_ex99-2.htm
  7. https://www.nipponsteel.com/common/secure/en/ir/library/pdf/20231218_200.pdf
  8. ¹³ https://global.toyota/jp/newsroom/corporate/36224453.html
  9. 1
    https://www.nipponsteel.com/news/20240613_100.html
  10. 3
    https://www.nipponsteel.com/common/secure/news/20211014_100.pdf
  11. 9
    https://global.toyota/jp/newsroom/corporate/36224453.html
  12. 10
    https://www.nipponsteel.com/tech/report/
  13. 4
  14. 11
    https://imaa-institute.org/blog/nippon-steels-acquisition-of-us-steel/
  15. 5
    https://www.nipponsteel.com/en/sustainability/quality/solution.html
  16. 12
    https://www.heritage.org/markets-and-finance/commentary/nippon-acquisition-us-steel
  17. 6
    https://www.sec.gov/Archives/edgar/data/1163302/000110465923126579/tm2333110d1_ex99-2.htm
  18. 7
    https://www.nipponsteel.com/common/secure/en/ir/library/pdf/20231218_200.pdf
  19. 11https://www.nipponsteel.com/news/20240613_100.html
  20. 33https://www.nipponsteel.com/common/secure/news/20211014_100.pdf
  21. 99https://global.toyota/jp/newsroom/corporate/36224453.html
  22. 8
    https://www.nipponsteel.com/product/nscarbolex/solution/
  23. 77https://www.nipponsteel.com/common/secure/en/ir/library/pdf/20231218_200.pdf
  24. ²² https://www.nipponsteel.com/ir/library/pdf/20210514_100.pdf (注:20213月期 決算説明資料31にトヨタ自動車(単体)への売上高記載あり。ここでは本文の主張を補強する2次出典として使用)
  25. ²³ https://imaa-institute.org/blog/nippon-steels-acquisition-of-us-steel/
  26. ²⁴ https://www.nipponsteel.com/en/ir/library/pdf/20240207_450.pdf
  27. ²⁵ https://www.nipponsteel.com/common/secure/en/ir/library/pdf/20231218_200.pdf

競合比較

 

日本製鉄の知財戦略(IP戦略)の独自性と優位性を客観的に評価するためには、その戦略を国内外の主要な競合他社のIP戦略と比較対照することが不可欠です。本章では、日本のJFEスチール(JFEホールディングス)、韓国のPOSCO、そして世界最大手のArcelorMittalの公開情報(統合報告書、IR資料等)から推察されるIP戦略の志向性を分析し、日本製鉄の特異性を浮き彫りにします。

 

JFEスチール(JFEホールディングス)の戦略:プロセス革新とソリューション・ビジネス重視

 

日本国内で日本製鉄と双璧をなすJFEスチール(JFEホールディングス)の戦略は、公開されている統合報告書(JFE GROUP REPORT²⁶を分析する限り、日本製鉄とは異なる点に重点を置いていると推察されます。

JFEのIP戦略およびR&D戦略のキーワードは、「デジタルトランスフォーメーション(DX)」、「プロセス革新」、「ソリューション」です。

  • DXとプロセス革新への注力:
    • JFEグループの統合報告書(2025年版の分析²⁶より)は、「インテリジェント製鉄所」の実現を強く打ち出しています。これは、Cyber-Physical Systems (CPS) の導入や、AIIoT技術を駆使した製造プロセスの最適化(例:全高炉へのCPS導入による安定操業・CO2削減)²⁶を目指すものです。
    • このことから、JFER&DおよびIP戦略の重要な柱の一つが、自社の製造プロセス(内向き)の効率化、高度化、およびそこで得られた「プロセスノウハウ」の蓄積にあると見られます。
  • ソリューション・ビジネス(JFE Resolus®)の展開:
    • JFEは、これらのDXやプロセス革新を通じて蓄積した独自の技術やノウハウを、「JFE Resolus®」というソリューションブランド²⁶として、顧客(他社)に提供するビジネスを展開しています。
    • これは、自社のIP(特にプロセス技術やDXノウハウ)を、顧客の課題解決のための「ソリューション」として販売・ライセンス供与するものであり、協調的かつB2B的な収益化モデルと言えます。
  • GX技術開発(革新電炉):
    • GX(脱炭素)領域においても、日本製鉄と同様に、グリーンイノベーション(GI)基金などを活用し、「革新電気炉」や「カーボンリサイクル高炉」といった超革新技術の開発²⁶に注力しています。
    • しかし、そのIPの活用方法として、日本製鉄(3)のような攻撃的なエンフォースメント(訴訟)戦略は、少なくとも公開情報上では目立たず、むしろGX技術の確立と社会実装(R&D)そのものに焦点が当てられているように見受けられます。

日本製鉄との比較:

JFEのIP戦略が、自社の「プロセス」革新と、そのノウハウを「ソリューション」として顧客に提供する(協調的・内向き)点に強みを持つのに対し、日本製鉄のIP戦略は、競合他社や顧客(3)を巻き込む「エンフォースメント(敵対的・外向き)」や、M&A6)による「レバレッジ(拡張的・外向き)」といった、「製品(プロダクト)IP」を核にした、よりアグレッシブな市場戦略に特徴があります。

 

POSCO(ポスコ)の戦略:無形資産としての管理とグリーン・ポートフォリオ

 

韓国の鉄鋼大手であるPOSCO(ポスコ)グループの戦略は、IR資料やサステナビリティレポートから、IPを重要な「無形資産」として管理しつつ、事業ポートフォリオそのものをグリーン成長分野へシフトさせる点に特徴があると見られます。

  • 財務諸表における「無形資産」としてのIP:
    • POSCOの連結財務諸表(2024年第3四半期レビューレポート)¹¹では、「Intangible assets(無形資産)」の項目の中に、「Intellectual property rights(知的財産権)」が明確に計上されています。20231231日時点で、その帳簿価額は約8億ウォン(MembershipDevelopment expenseとは別掲)¹¹とされています。
    • これは、IPを会計上の「資産」として明確に認識し、管理・評価(減損処理などを含む)の対象としていることを示しています。
  • グリーン成長産業へのポートフォリオ転換:
    • POSCO Internationalのサステナビリティレポート(2023年版)¹⁴によれば、同社はカーボンニュートラルの達成に向け、エコフレンドリーな原材料の供給を拡大するとともに、「風力発電(wind power)」「太陽光(PV)」「EV」といった「グリーン成長産業(green growth industries)」への販売ポートフォリオを強化する方針を打ち出しています。
    • これは、R&DIP戦略の方向性(アウトプット)が、日本製鉄(8)と同様に、脱炭素・EV関連分野に集中していることを示唆しています。

日本製鉄との比較:

POSCOの戦略は、IPを「会計上の資産」¹¹として適切に管理し、その「投資先(ポートフォリオ)」¹⁴をグリーン分野にシフトさせるという、グローバル企業として堅実かつ標準的なアプローチであると評価できます。しかし、日本製鉄が宝山鋼鉄(3)という競合他社を(トヨタ(9)をも巻き込んで)特許侵害で公然と提訴したような、「IPの武器化」に相当する攻撃的な側面は、少なくともこれらの公開IR資料からは読み取れません。(※27は元徴用工問題に関連する寄付の報道であり、本レポートの主題であるIP戦略とは直接関連しません。)

 

ArcelorMittal(アルセロール・ミッタル)の戦略:グローバル・ガバナンスとリスク管理

 

世界最大級の鉄鋼メーカーであるArcelorMittal(アルセロール・ミッタル)の戦略は、その広範なグローバル展開(欧州、米州、アジア等)を反映し、IPを「経営管理(ガバナンス)」と「リスク」の対象として捉える側面が強いと推察されます。

  • 年次報告書(Annual Report)における位置づけ:
    • ArcelorMittalの年次報告書(2023年版¹²2024年版)において、「Intellectual property(知的財産)」は、R&D、サステナビリティ、製品・市場(Products and markets)、政府規制(Government regulations)などと並んで、独立したセクションとして記載されています。
    • これは、IPの管理・防衛が、グローバルな多国籍企業としての経営の重要項目の一つとして認識されていることを示しています。
  • イノベーションとサステナビリティとの連動:
    • 同社の統合年次レビュー(2023年版)²⁷では、「イノベーションを通じた循環経済(circular economy)の実現」²⁷などが、サステナビリティ戦略の核として挙げられています。
    • IP戦略も、こうしたR&Dやイノベーション戦略と連動し、脱炭素技術や高機能製品の権利保護を目的としていると見られますが、入手可能な資料(15)からは、その具体的な戦術(例:エンフォースメントやM&Aにおける活用)までは詳述されていません。

日本製鉄との比較:

ArcelorMittalのIP戦略は、グローバルに分散した事業とIPポートフォリオを、ガバナンス¹²のもとで適切に管理・防衛するという、巨大多国籍企業としての「リスク管理」と「コンプライアンス」の側面が強い可能性があります。これに対し、日本製鉄の戦略(3)は、特定の「クラウンジュエルIP」を核に、訴訟やM&Aといった手段で市場に積極的に「仕掛けていく」という、より集中的かつ攻撃的な志向性を示しており、対照的であると言えます。

 

【比較表】主要鉄鋼メーカーの知財戦略比較

 

以上の分析に基づき、各社のIP戦略の志向性を比較表として以下にまとめます。

 

比較項目

日本製鉄 (Nippon Steel)

JFEスチール (JFE Steel)

POSCO

ArcelorMittal

基本方針

攻勢・収益化

 

「企業活動の源泉」¹「積極的な活用」¹による企業価値最大化。

プロセス革新・ソリューション

 

DXによる「インテリジェント製鉄所」、ソリューションビジネス(JFE Resolus®²⁶

無形資産管理

 

財務諸表上の無形資産として計上¹¹

グローバル・ガバナンス

 

経営管理項目の一つとして年次報告書に記載⁸, ¹²

注力技術領域

 

(IPポートフォリオ)

高機能製品(EVGX

 

・高機能電磁鋼板 3

 

・自動車軽量化鋼板 1

 

GX技術 (NSCarbolex) 8

プロセス・DXGX

 

CPS/DX 13

 

・革新電炉/GX技術 13

 

JFE Resolus® (ソリューション)

グリーン成長

 

・風力/EV向け 14

 

・エコフレンドリー素材 14

(公開資料からは特定困難)

 

サステナビリティ、イノベーション 15

エンフォースメント

 

(権利行使)

極めて攻撃的(武器化)

 

・競合(宝山鋼鉄)**および顧客(トヨタ)**を同時提訴

標準的(と推察)

 

・公開情報上、目立った攻撃的訴訟は確認されず。

標準的(と推察)

 

・公開情報上、目立った攻撃的訴訟は確認されず。

標準的(と推察)

 

・公開情報上、目立った攻撃的訴訟は確認されず。

M&AにおけるIP活用

積極的(レバレッジ化)

 

USS買収において、自社IP(製品・操業技術)の移転をシナジーの核として明言⁸, ⁹

不明/限定的

 

・(公開資料からは特定困難)

不明/限定的

 

・(公開資料からは特定困難)

不明/限定的

 

・(公開資料からは特定困難)

GX/標準化戦略

オープン&クローズ戦略

 

GX技術の特許化 5 と国際標準化(マスバランス方式 2)の主導¹⁵

R&Dと投資

 

GI基金などを活用したGX技術のR&D²⁶

ポートフォリオ転換

 

・グリーン成長産業への供給拡大¹⁴

イノベーション

 

・循環経済(Circular economy)のためのイノベーション²⁷

 

競合比較からの示唆

 

この比較分析から導き出される結論は、日本製鉄のIP戦略が、国内外の主要競合他社と比較して、その「攻撃性」と「多角性」において際立っているという事実です。

JFEスチールが「プロセス」と「ソリューション(協調的)」に注力し、POSCOArcelorMittalが「資産管理」や「ガバナンス(防衛的・標準的)」に重点を置いている(と公開情報から推察される)のに対し、日本製鉄は、特定の「製品IP(クラウンジュエル)」を核に据え、その価値を最大化するために、「訴訟(敵対的)」、「M&A(拡張的)」、そして「ブランド(市場的)」という、あらゆる経営手段を連動させています。

これは、日本製鉄がIPを、単に防衛的に管理すべき「資産」としてではなく、市場のルールとシェア、さらにはサプライチェーンにおけるパワーバランス(例:自動車メーカーとの力関係)をも変革し得る、能動的な「経営兵器」として明確に認識し、活用していることを強く示唆しています。

当章の参考資料

 

  1. ¹ https://www.nipponsteel.com/en/sustainability/quality/solution.html
  2. https://www.nipponsteel.com/common/secure/news/20211014_100.pdf
  3. https://corporate-cm-prod.arcelormittal.com/media/if0baqyg/annual-report-2024.pdf
  4. https://www.nipponsteel.com/common/secure/en/ir/library/pdf/20231218_200.pdf
  5. ¹¹(https://www.posco.co.kr/docs/eng7/jsp/resources/file/ir/POSCO_consolidated_FY24_3Q_eng.pdf)
  6. ¹² https://corporate.arcelormittal.com/media/upipeqnl/annual-report-2023.pdf
  7. ¹⁴(https://poscointl.com/upload/esg/2023_POSCO_INTERNATIONAL_Sustainability_Report_Eng(f).pdf)
  8. ¹⁵ https://www.meti.go.jp/shingikai/sankoshin/green_innovation/energy_structure/pdf/028_i01_00.pdf
  9. ²⁶ https://www.jfe-holdings.co.jp/investor/library/group-report/
  10. ²⁷ https://corporate.arcelormittal.com/media/vrqovnik/arcelor-mittal-integrated-annual-review-2023.pdf
  11. 1
    https://www.nipponsteel.com/news/20240613_100.html
  12. 13
    https://www.jfe-holdings.co.jp/investor/library/group-report/
  13. 15
    https://corporate.arcelormittal.com/media/vrqovnik/arcelor-mittal-integrated-annual-review-2023.pdf
  14. 16
    https://corporate.arcelormittal.com/media/upipeqnl/annual-report-2023.pdf
  15. 17
    https://corporate-cm-prod.arcelormittal.com/media/if0baqyg/annual-report-2024.pdf
  16. 18
    https://insights.greyb.com/arcelormittal-patents/
  17. 19
  18. 14
  19. 2
    https://www.meti.go.jp/shingikai/sankoshin/green_innovation/energy_structure/pdf/028_i01_00.pdf
  20. 3
    https://www.nipponsteel.com/common/secure/news/20211014_100.pdf
  21. 9
    https://global.toyota/jp/newsroom/corporate/36224453.html
  22. 5
    https://www.nipponsteel.com/en/sustainability/quality/solution.html
  23. 6
    https://www.sec.gov/Archives/edgar/data/1163302/000110465923126579/tm2333110d1_ex99-2.htm
  24. 1313https://www.jfe-holdings.co.jp/investor/library/group-report/
  25. 1616https://corporate.arcelormittal.com/media/upipeqnl/annual-report-2023.pdf
  26. 1616https://corporate.arcelormittal.com/media/upipeqnl/annual-report-2023.pdf
  27. 8
    https://www.nipponsteel.com/product/nscarbolex/solution/

リスク・課題(短期/中期/長期)

 

日本製鉄が推進する、競合他社とは一線を画す「多角的かつ攻撃的」な知財(IP)戦略は、高いリターンを期待できる一方で、その裏返しとして重大なリスクと課題を内包しています。本章では、これらのリスクと課題を、「短期(直近の反動)」「中期(戦略の持続性)」「長期(イノベーションの構造)」の3つの時間軸で分析します。

 

短期リスク(直近の反動)

 

最も顕在化しやすく、経営インパクトが直接的に表れるのが、攻撃的な戦略の実行に伴う「反動」です。

 

1. 顧客(サプライチェーン)との関係悪化と「日本製鉄離れ」

 

短期的な最大のリスクは、IPの「武器化(エンフォースメント)」戦略が引き起こす、顧客との信頼関係の毀損です。

  • トヨタ自動車との亀裂:
    • 2021年のトヨタ自動車への特許侵害訴訟(3)は、その象徴です。トヨタ自動車が即座に「大変遺憾」¹³と表明したことは、単なる法的な反論を超え、長年にわたる日本の基幹産業(鉄鋼と自動車)のトップ企業間のパートナーシップに、深刻な亀裂が生じたことを示しています。
    • トヨタ側(9)の「本来、材料メーカー同士で協議すべき事案」¹³という認識は、日本製鉄(3)の「IPの侵害は、使用者(トヨタ)にも責任がある」という認識と、根本的な「すれ違い」があります。
  • サプライチェーン全体への波及リスク:
    • この一件は、トヨタ自動車以外の、すべての日系・欧米・新興国の自動車メーカー(日産、ホンダ、GMVW、現代自動車など)に、強烈な「学習効果」をもたらしたと考えられます。
    • すなわち、「日本製鉄は、最重要顧客であっても、IPを理由に完成車の『生産停止』を要求する(3)サプライヤーである」という認識です。
    • リスクシナリオ: 合理的な自動車メーカーの調達部門は、この「日本製鉄リスク(訴訟リスク)」を回避するため、調達ポートフォリオの見直しを加速させる可能性があります。具体的には、
      1. 日本製鉄への依存度を意図的に引き下げる。
      2. JFEスチール(13)やPOSCO14)、ArcelorMittal16)といった、より「協調的」と見なされる競合他社からの調達比率(セカンドソース化)を引き上げる。
      3. 宝鋼のような中国・新興国メーカーに対し、日本製鉄の特許を侵害しないことの「保証(Indemnification)」を、より厳格に求める。
    • このように、IPの「武器化」は、短期的には競合を牽制できても、中長期的には顧客の「日本製鉄離れ」を誘発し、結果的に自社の市場シェアを失うという「ブーメラン効果」のリスクを抱えています。

 

2. U.S.スチール(USS)買収の実行・統合リスク

 

第三の柱である「M&A(レバレッジ化)」戦略、特にU.S.スチール(USS)買収(4)は、短期的に複数の重大な実行リスクに直面しています。

  • 地政学的・政治的障壁:
    • 149億ドル(4)という巨額の買収は、発表直後から、米国の政治家(与野党問わず)²⁸や全米鉄鋼労働組合(USW²⁹からの激しい反対に直面しました。
    • 「国家安全保障(National Security)」²⁹や「国内産業の保護」²⁸といった政治的スローガン(23)は、純粋な経済合理性(6)を凌駕する可能性があります。日本製鉄は、この買収を完了(クロージング)させるために、当初のシナジー計画を歪めかねない、大幅な「譲歩(例:巨額の追加投資、雇用・拠点の維持保証)」を余儀なくされる可能性があります。
  • IP移転と技術統合の困難性:
    • 仮に買収が法的に完了したとしても、このM&Aの「核心(シナジーの源泉)」である「IP移転」⁸, ⁹が成功するかは未知数です。
    • 日本製鉄が誇る高度な「製品技術(電磁鋼板など)」や、「操業・設備技術(省エネ、自動化など)」²⁵を、企業文化、使用言語、設備基盤、労働慣行(労組の強さ 6)が全く異なるUSSの現場に「根付かせる」ことは、極めて困難なミッションです。
    • リスクシナリオ: 技術移転が失敗(あるいは遅延)した場合、11で指摘された「高すぎる」買収プレミアムを正当化できず、巨額の「のれん(Goodwill)の減損」という形で、投資の失敗が財務諸表に直結するリスクがあります。

 

中期リスク(戦略の持続性)

 

短期的リスクを乗り越えたとしても、日本製鉄のIP戦略は、中期的な(数年〜10年単位の)持続可能性に関するリスクに直面します。

 

1. GX標準化競争(ルールメイキング)での敗北リスク

 

前述の通り、日本製鉄のGX戦略は、「クローズ(特許化 5)」と「オープン(標準化 2)」の両輪で成り立っています。特に、「マスバランス方式」¹⁵の国際標準化(2)は、自社の「NSCarbolex®」(8)ブランドの価値を担保する上で極めて重要です。

  • リスクシナリオ: しかし、国際的なルールメイキングは、一企業の技術力だけでは決まりません。
    • 例えば、欧州(EU)勢が、より厳格な(あるいは自国の産業に有利な)「プロセス別の実排出量(LCA)」のみを「グリーンスチール」の定義としてISO(国際標準化機構)などで強硬に推進し、デファクトスタンダード(事実上の標準)化に成功したとします。
    • この場合、日本製鉄が「マスバランス方式」¹⁵を前提に構築してきた「NSCarbolex®」(8)の環境価値が(国際市場、特に欧州市場で)相対的に認められなくなり、価値が大幅に低下する恐れがあります。
    • 「オープン戦略(標準化)」での敗北は、心血を注いで構築した「クローズ戦略(特許ポートフォリオ)」の価値をも、一瞬にして毀損するリスクがあるのです。

 

2. 「クラウンジュエルIP」の陳腐化(代替技術リスク)

 

第二の柱である「武器化」戦略(3)は、諸刃の剣です。

  • リスクシナリオ: 日本製鉄が「無方向性電磁鋼板」の特許(3)を「武器」として振りかざせば振りかざすほど、世界中の競合他社(宝鋼、JFEPOSCO)や顧客(トヨタ、GMVW)は、その「武器」を無力化するための研究開発に、莫大なリソースを投入します。
  • このインセンティブが向かう先は、主に以下の二つです。
    1. 回避(Design Around: 日本製鉄の特許網(クレーム)を精緻に分析し、その「隙間」を突く、ギリギリ侵害にならない「代替技術」の開発。
    2. 破壊(Disruption: 電磁鋼板そのものを使用しない、「特許フリー」な材料(例:アモルファス、新素材)を用いた、全く新しい構造のEVモーターの開発。
  • トヨタ自動車が「大変遺憾」¹³と述べた裏で、自社のR&D部門(あるいはデンソーなどの系列企業)に対し、「日本製鉄の電磁鋼板に依存しない、次世代モーターの開発を加速せよ」と指示したであろうことは、想像に難くありません。
  • 強力なIPエンフォースメントは、皮肉にも、そのIP自身の「陳腐化」を加速させるインセンティブを市場全体に与えることになります。

 

長期リスク(イノベーションの構造)

 

より長期的な(10年超の)時間軸では、日本製鉄の現在の成功が、将来の「イノベーションのジレンマ」に繋がるという、構造的なリスクが存在します。

 

1. R&Dの硬直化と超高コスト化

 

  • 高コスト化: GX技術(例:水素還元製鉄 2、革新電炉 13)の開発・社会実装には、KPMGレポート(20)が指摘するように¹⁷、公的支援(20)を前提としてもなお、数兆円規模の巨額の先行投資が必要です。特許庁のレポート(21²¹も、知財投資と付加価値の関係は自明ではないと示唆しています。
    • リスクシナリオ: この巨額のR&D投資が、期待した成果(=収益化可能なIP)に結びつかなかった場合、その投資はそのまま巨額の損失となり、会社の財務基盤そのものを揺るがしかねません。
  • 硬直化: 現在の「クラウンジュエルIP」(電磁鋼板、高張力鋼)の保護(3)と活用(6)に、知財部門(5)や経営資源が集中しすぎている状態。

 

2. イノベーションのジレンマ

 

この「R&Dの硬直化」こそが、経営学で知られる「イノベーションのジレンマ」の入り口です。

  • リスクシナリオ: 日本製鉄が、現在の「鉄鋼技術」の延長線上にある「高機能電磁鋼板(3)」や「高機能自動車鋼板(1)」という「持続的イノベーション」の保護・活用(5)に成功すればするほど、その成功体験と既存の収益構造に縛られます。
  • その結果、社内で「鉄鋼に代わる、全く新しい軽量構造材(例:革新的な炭素繊維複合材やバイオ素材)」といった、自社の現在の「クラウンジュエル」を破壊しかねない「破壊的イノベーション」の芽が出たとしても、経営陣(22)がそれを「自社事業と関係ない」「既存のIP戦略と矛盾する」として、意図的あるいは無意識的に「握り潰して」しまう可能性があります。
  • IPの「保護・活用」¹に成功した優良企業(Incumbent)が、その成功ゆえに、次の非連続的なイノベーションの波(Disruption)に乗り遅れ、新興企業に市場を奪われる。これこそが、日本製鉄の「攻撃的IP戦略」が長期的に直面する、最大の構造的リスクであると推察されます。

当章の参考資料

 

  1. ¹ https://www.nipponsteel.com/en/sustainability/quality/solution.html
  2. ³ https://www.jfe-holdings.co.jp/investor/library/group-report/
  3. https://corporate.arcelormittal.com/media/upipeqnl/annual-report-2023.pdf
  4. https://www.sec.gov/Archives/edgar/data/1163302/000110465923126579/tm2333110d1_ex99-2.htm
  5. https://www.nipponsteel.com/common/secure/en/ir/library/pdf/20231218_200.pdf
  6. ¹³ https://global.toyota/jp/newsroom/corporate/36224453.html
  7. ¹⁴(https://poscointl.com/upload/esg/2023_POSCO_INTERNATIONAL_Sustainability_Report_Eng(f).pdf)
  8. ¹⁵ https://www.meti.go.jp/shingikai/sankoshin/green_innovation/energy_structure/pdf/028_i01_00.pdf
  9. ¹⁷ https://kpmg.com/jp/ja/home/insights/2024/11/gx-intellectual-property01.html
  10. ²¹ https://www.jpo.go.jp/resources/report/sonota/keizai_yakuwari.html
  11. ²⁸ https://www.heritage.org/markets-and-finance/commentary/nippon-acquisition-us-steel
  12. ²⁹ https://www.edelmanglobaladvisory.com/ongoing-saga-nippon-steels-acquisition-us-steel
  13. 1
    https://www.nipponsteel.com/news/20240613_100.html
  14. 13
    https://www.jfe-holdings.co.jp/investor/library/group-report/
  15. 16
    https://corporate.arcelormittal.com/media/upipeqnl/annual-report-2023.pdf
  16. 14
  17. 20
    https://kpmg.com/jp/ja/home/insights/2024/11/gx-intellectual-property01.html
  18. 21
    https://www.jpo.go.jp/resources/report/sonota/keizai_yakuwari.html
  19. 2
    https://www.meti.go.jp/shingikai/sankoshin/green_innovation/energy_structure/pdf/028_i01_00.pdf
  20. 3
    https://www.nipponsteel.com/common/secure/news/20211014_100.pdf
  21. 9
    https://global.toyota/jp/newsroom/corporate/36224453.html
  22. 22
    https://finance-frontend-pc-dist.west.edge.storage-yahoo.jp/disclosure/20250708/20250708509863.pdf
  23. 4
  24. 11
    https://imaa-institute.org/blog/nippon-steels-acquisition-of-us-steel/
  25. 23
    https://www.nipponsteel.com/en/newsroom/news/2025/20250103_100.html
  26. 5
    https://www.nipponsteel.com/en/sustainability/quality/solution.html
  27. 12
    https://www.heritage.org/markets-and-finance/commentary/nippon-acquisition-us-steel
  28. 6
    https://www.sec.gov/Archives/edgar/data/1163302/000110465923126579/tm2333110d1_ex99-2.htm
  29. 24
    https://www.edelmanglobaladvisory.com/ongoing-saga-nippon-steels-acquisition-us-steel
  30. 1313https://www.jfe-holdings.co.jp/investor/library/group-report/
  31. 2020https://kpmg.com/jp/ja/home/insights/2024/11/gx-intellectual-property01.html
  32. 2121https://www.jpo.go.jp/resources/report/sonota/keizai_yakuwari.html
  33. 22https://www.meti.go.jp/shingikai/sankoshin/green_innovation/energy_structure/pdf/028_i01_00.pdf
  34. 33https://www.nipponsteel.com/common/secure/news/20211014_100.pdf
  35. 8
    https://www.nipponsteel.com/product/nscarbolex/solution/
  36. 77https://www.nipponsteel.com/common/secure/en/ir/library/pdf/20231218_200.pdf

今後の展望

 

前章までに分析した日本製鉄の知的財産(IP)戦略は、その基本方針(5)、組織体制(5)、3つの柱(ブランド 8、武器化 3、レバレッジ 6)、そしてそれに伴うリスク(9)という点で、極めて動的かつ野心的なものです。本章では、これらの分析を基に、日本製鉄のIP戦略が、脱炭素、経済安全保障、デジタルトランスフォーメーションといった不可逆的なマクロトレンドの中で、今後どのように進化・発展していくかを展望します。

 

1. GX(脱炭素)と「ルールメイキング」戦略の本格化

 

今後の日本製鉄のIP戦略において、最も重要度が高まる主戦場は、法廷での「エンフォースメント(権利行使)」から、国際会議の場での「標準化(ルールメイキング)」へと、さらに比重が移っていくと予想されます。

  • 「オープン&クローズ戦略」の進化:
    • 鉄鋼業のGXは、KPMGレポート(20)が示すように¹⁷、莫大な投資(20)を必要とする一方、成功すれば巨大な市場を創出します。
    • 経済産業省の資料(2¹⁵は、この分野での「オープン&クローズ戦略」の重要性を提言しています。
    • クローズ戦略(特許化): 日本製鉄は、引き続き「NSCarbolex® Solution」(8)の核となる、水素還元製鉄、CCUS(二酸化炭素回収・貯留)、革新電炉などの超高機能鋼材および革新プロセスの特許網(5)を、競合(JFE 13など)に先駆けて構築・強化し続けるでしょう。
    • オープン戦略(標準化): しかし、これらの「クローズ」な特許が価値を持つのは、それが「オープン」な市場(=国際標準)において「価値がある」と認められてこそです。
    • 展望: 日本製鉄は、現在進めている「マスバランス方式」¹⁵の国際標準化(ISO化)の主導権を握り続けることに全力を注ぐと推察されます。この「グリーンスチール」の定義自体を、自社の特許技術(クローズ戦略)が最も優位性を発揮できる(あるいは、競合他社の技術が不利になる)形で形成すること。これこそが、将来のGX市場における「ゲームのルール」を自ら設定する、最高レベルのIP戦略となります。

 

2. M&A(USS買収)実行フェーズ:「IP移転」から「グローバルR&D」へ

 

U.S.スチール(USS)買収(4)が、現在直面している政治的な障壁(6)を乗り越え、成功裏に完了した場合、日本製鉄のIP戦略は新たなフェーズ、すなわち「グローバル実行フェーズ」に移行します。

  • フェーズ1IP移転(シナジーの実現):
    • 当面の最優先課題は、買収発表時にコミットした「シナジー」の実現です。これは、7および7で明示された「製品技術(電磁鋼板、自動車鋼板)」⁹, ²⁵と「操業技術(省エネ、自動化など)」²⁵を、日本製鉄からUSSの製造拠点へ、迅速かつ確実に「一方通行で移転」することです。
    • このIP移転(技術支援)の対価(25)として、日本製鉄はUSSの収益性を劇的に改善させ、149億ドルという巨額の投資(4)の回収を図ります。
  • フェーズ2:グローバルR&D体制への進化(推察):
    • 展望: しかし、中長期的には、この一方通行の技術移転だけでは不十分です。
    • USSが持つ米国内でのR&D機能や、北米市場(例:大型EVピックアップトラック、再生可能エネルギーインフラ)の固有のニーズを活用し、日米共同での「グローバルR&D体制」に移行する可能性があります。
    • 例えば、北米のニーズに基づきUSSR&Dが開発した基礎技術を、日本製鉄の技術開発本部(10)が高度化し、それを日米欧の全拠点で特許化・製品化する、といった「IPのグローバル創出・最適配置」の体制が考えられます。
    • これにより、日本製鉄のIP戦略は、「日本からの輸出」モデルから、真の「グローバルIPマネジメント」モデルへと進化する可能性があります。

 

3. 経済安全保障とIP(サプライチェーン戦略)

 

近年の地政学的な緊張の高まりは、「経済安全保障」を国家戦略の最重要課題へと押し上げました。特許庁のレポート(21)も、知的財産制度と経済(安全保障)の関係性についての調査を深めています²¹

  • 「戦略物資」としてのクラウンジュエルIP:
    • 日本製鉄が「武器化」した「無方向性電磁鋼板」(3)は、単なる工業製品ではなく、高性能EVの駆動モーターに不可欠な「戦略物資」です。
    • このIPを、日本企業(日本製鉄)が強固に保持していることは、日本の自動車産業(およびEV産業)全体の国際競争力と、サプライチェーンの安定性(=経済安全保障)に直結します。
  • USS買収の地政学的な含意:
    • USS買収(4)は、中国の鉄鋼業界(例:宝鋼 3)のグローバルな影響力に対抗し、日米(同盟国)間での強靭な「戦略物資(=高機能鋼材)」サプライチェーンを構築するという、地政学的な側面²⁹も含まれています。
    • 展望: 今後、日本製鉄は自社の「クラウンジュエルIP」(電磁鋼板、高張力鋼)を、単なる「自社の収益源」¹としてだけでなく、日米両政府(2)にとって不可欠な「経済安全保障上の戦略的資産」として位置づけ、政府と連携しながら、その保護と活用(例:同盟国内でのみライセンス、敵対国・企業への技術流出の厳格な管理)を強化していくと推察されます。
    • この「経済安全保障」のロジックは、USS買収(23)に対する米国内での政治的抵抗を(皮肉にも)緩和するための、強力な説得材料として使われる可能性もあります。

 

4. 「ライセンス・ビジネス」という第4の収益源の確立

 

本レポートで分析したIP戦略の3つの柱(ブランド 8、武器化 3、レバレッジ 6)は、最終的に、第4の、そして最も高収益な柱である「IPライセンス・ビジネス」の確立へと繋がる可能性があります。

  • 「武器化」戦略の真の目的:
    • トヨタ・宝鋼への訴訟(3)は、その巨額な請求額(各約200億円)と差止請求3)という「脅威」によって、競合他社や市場全体を「交渉のテーブル」に着かせるための、最も強力な「布石」であった可能性があります。
    • 展望: 訴訟の最終的な「落とし所」が、宝鋼(あるいは他の中国・韓国メーカー)からの敗北(=市場撤退)ではなく、「巨額の(あるいは継続的な)ライセンス料の支払い」であった場合、日本製鉄のIP戦略は新たな次元に入ります。
    • それは、鉄鋼という「モノ(製品)」を売るビジネス(粗利率は限定的)に加え、IPという「権利(ライセンス)」を売る、高収益(粗利率が極めて高い)なビジネスモデルを確立することを意味します。
  • グローバル・ライセンサーへの道:
    • 展望: USS買 ...
    • 展望: USS買収(6)によって獲得した北米の製造基盤(と市場の信頼)を背景に、そして「トヨタ提訴」(3)によって確立した「IPの怖さ(侵害の代償)」を背景に、日本製鉄は、全世界の競合他社(特に中国・韓国・新興国メーカー)に対して、「当社の特許を侵害して安価な模倣品を作る」か、「当社の(高額な)ライセンス料を支払って『お墨付き』を得て製造する」か、という二者択一を迫る「グローバル・ライセンサー」としての地位を確立する可能性があります。
    • この「ライセンス・ビジネス」こそが、日本製鉄のIP基本方針(5)である「積極的な活用(active utilization)」と「企業価値の最大化(Maximize corporate value)」¹を、最も純粋な形で実現する、将来の大きな収益の柱となることが展望されます。

当章の参考資料

 

  1. ¹ https://www.nipponsteel.com/en/sustainability/quality/solution.html
  2. https://www.nipponsteel.com/common/secure/news/20211014_100.pdf
  3. ⁷(https://en.wikipedia.org/wiki/Acquisition_of_U.S._Steel_by_Nippon_Steel)
  4. https://www.sec.gov/Archives/edgar/data/1163302/000110465923126579/tm2333110d1_ex99-2.htm
  5. https://www.nipponsteel.com/common/secure/en/ir/library/pdf/20231218_200.pdf
  6. ¹³ https://global.toyota/jp/newsroom/corporate/36224453.html
  7. ¹⁵ https://www.meti.go.jp/shingikai/sankoshin/green_innovation/energy_structure/pdf/028_i01_00.pdf
  8. ¹⁷ https://kpmg.com/jp/ja/home/insights/2024/11/gx-intellectual-property01.html
  9. ²¹ https://www.jpo.go.jp/resources/report/sonota/keizai_yakuwari.html
  10. ²⁸ https://www.heritage.org/markets-and-finance/commentary/nippon-acquisition-us-steel
  11. ²⁹ https://www.edelmanglobaladvisory.com/ongoing-saga-nippon-steels-acquisition-us-steel
  12. 1
    https://www.nipponsteel.com/news/20240613_100.html
  13. 20
    https://kpmg.com/jp/ja/home/insights/2024/11/gx-intellectual-property01.html
  14. 21
    https://www.jpo.go.jp/resources/report/sonota/keizai_yakuwari.html
  15. 2
    https://www.meti.go.jp/shingikai/sankoshin/green_innovation/energy_structure/pdf/028_i01_00.pdf
  16. 3
    https://www.nipponsteel.com/common/secure/news/20211014_100.pdf
  17. 9
    https://global.toyota/jp/newsroom/corporate/36224453.html
  18. 10
    https://www.nipponsteel.com/tech/report/
  19. 22
    https://finance-frontend-pc-dist.west.edge.storage-yahoo.jp/disclosure/20250708/20250708509863.pdf
  20. 4
  21. 23
    https://www.nipponsteel.com/en/newsroom/news/2025/20250103_100.html
  22. 5
    https://www.nipponsteel.com/en/sustainability/quality/solution.html
  23. 6
    https://www.sec.gov/Archives/edgar/data/1163302/000110465923126579/tm2333110d1_ex99-2.htm
  24. 25
    https://steelindustry.news/nippon-steels-technological-transformation-revolutionizing-u-s-steel-production-through-innovation-amid-historic-financial-loss/
  25. 24
    https://www.edelmanglobaladvisory.com/ongoing-saga-nippon-steels-acquisition-us-steel
  26. 7
    https://www.nipponsteel.com/common/secure/en/ir/library/pdf/20231218_200.pdf
  27. 1313https://www.jfe-holdings.co.jp/investor/library/group-report/
  28. 2020https://kpmg.com/jp/ja/home/insights/2024/11/gx-intellectual-property01.html
  29. 22https://www.meti.go.jp/shingikai/sankoshin/green_innovation/energy_structure/pdf/028_i01_00.pdf
  30. 33https://www.nipponsteel.com/common/secure/news/20211014_100.pdf
  31. 8
    https://www.nipponsteel.com/product/nscarbolex/solution/
  32. 77https://www.nipponsteel.com/common/secure/en/ir/library/pdf/20231218_200.pdf

戦略的示唆

 

本レポートで実施した日本製鉄の知的財産(IP)戦略の網羅的分析は、単一企業のケーススタディに留まらず、技術覇権とグローバル競争が激化する現代において、日本の製造業(ひいては全ての企業)が、IPという「無形資産」と、今後いかに向き合っていくべきかについて、多くの重要な「戦略的示唆」を与えてくれます。

本章では、日本製鉄の先進的かつ攻撃的なIP戦略の分析から得られた洞察に基づき、企業の「経営層(CEO/CFO/取締役会)」「研究開発(R&D)部門(CTO)」「事業・営業部門(CBO)」が、それぞれ取るべき具体的なアクション(行動指針)を提言します。

 

1. 経営層(CEO/CFO/取締役会)への示唆

 

IP戦略の変革は、トップダウンの経営イニシアチブなしには不可能です。日本製鉄の事例(5)は、IPを「経営アジェンダ」の中心に据えることの重要性を示しています。

  • 示唆IPを「コスト」から「投資(収益資産)」へ転換せよ
    • 現状の課題: 多くの企業において、IP(特許出願・維持費用、訴訟費用)は依然として、法務・知財部門が管理する「コスト(管理費)」として扱われています。
    • 日本製鉄の事例: 日本製鉄は、IPを「企業活動の源泉」¹であり、「企業価値の最大化」¹のための「積極的な活用」¹対象と再定義しました。その結果、IPS.スチール(USS)買収(6)における「シナジーの源泉(投資価値)」となり、トヨタ・宝鋼訴訟(3)における「収益獲得の手段(潜在的収益資産)」へと転換されました。
    • アクション提言:
      1. CEO/取締役会: IP部門に対し、単なる「出願件数」や「コスト削減」ではなく、「IPが生み出した事業収益(ライセンス収入、IPブランド製品のプレミアム価格、M&AにおけるIP価値評価額)」といった、P/L(損益計算書)に連動するKPI(重要業績評価指標)を設定すべきです。
      2. CFO: IP関連費用を、一律の「管理コスト」としてではなく、「将来の収益を生む無形資産への『戦略的投資』」として評価する財務・経営管理モデル(例:IPポートフォリオ別の投資対効果分析)を構築すべきです。
      3. 経営企画: 自社のIPポートフォリオを徹底的に棚卸しし、「NSCarbolex®」(8)のように、市場価値(例:GXDXEV)と連動した「IPブランド」として再編・パッケージ化し、IR資料などでステークホルダー(投資家)に積極的に開示すべきです。
    • 示唆:「IPガバナンス」を経営の中核に据えよ
      • 現状の課題: IP戦略が、法務・知財部門に「丸投げ」にされ、経営の意思決定(例:M&Aや事業撤退)とIP戦略(どの特許を維持・放棄するか)が連動していないケースが散見されます。
      • 日本製鉄の事例: 「経営・R&D・知財の三位一体」¹5)の体制と、監査等委員会設置会社(22)といったガバナンス強化の動きは、IP戦略が経営の中核(Board Level Agenda)であることを示しています。トヨタ提訴(3)のようなハイリスク・ハイリターンな経営判断は、強固なガバナンス(リスク管理と意思決定)の土台なしには不可能です。
      • アクション提言:
        1. 取締役会:IP戦略の進捗と成果(収益貢献とリスクを含む)」を、四半期に一度など、取締役会の「定例アジェンダ(議題)」として設定すべきです(26の類推)。
        2. 経営企画/知財部門: M&Aや新規事業開発の「初期段階」から、IP部門を「経営戦略のパートナー」¹として関与させ、事業戦略とIP戦略の整合性を常に(M&Aのデューデリジェンス(DD)だけでなく、M&A後のPMI(統合プロセス)においても)確認すべきです。

 

2. 研究開発(R&D)部門(CTO)への示唆

 

IP戦略の「源泉」¹は、R&D部門が生み出す「発明」です。しかし、その「発明」の質と方向性を、IP戦略の観点から最適化する必要があります。

  • 示唆:「訴訟に耐えるIP」と「標準化を獲るIP」を意図的に創出せよ
    • 現状の課題: R&D部門の評価が、「論文数」や「学会発表」、「(単なる)特許出願件数」に偏重し、「技術的に新しい」だけの「弱い特許」が量産されている場合があります。
    • 日本製鉄の事例: 日本製鉄は、電磁鋼板(3)のように、競合の侵害を明確に立証でき、かつ代替が困難な「キラー特許(訴訟に耐えるIP)」を意図的に設計・取得していると見られます。同時に、GX分野(2)では、「マスバランス方式」¹⁵のように、国際標準の中核となりうる「基本特許(標準化を獲るIP)」を戦略的に出願しています。
    • アクション提言:
      1. CTO: R&D部門の評価指標(KPI)に、「特許の質(例:競合他社からの引用件数、標準化への採用、ライセンス収入への貢献度)」を組み込むべきです。
      2. R&D部門: 全てのR&Dプロジェクトにおいて、研究開発の「初期段階」から知財部門の参画を義務化し、「パテント・ランドスケープ(特許マップ)分析」²¹を基に、「どの領域で、どのような権利範囲(クレーム)の特許を、いつまでに取得するか」という「IP出口戦略」を設計すべきです。
    • 示唆:「ノウハウ(秘匿)」の価値を再評価し、戦略的に管理せよ
      • 現状の課題: 特許(公開が前提)として出願することばかりに目が向き、出願しない(あるいは、できない)「ノウハウ(暗黙知、職人技)」が、個人の退職などによって容易に流出するリスクに晒されています。
      • 日本製鉄の事例: USS買収(6)のシナジー源泉の大きな柱は、特許(7)だけでなく、「操業・設備技術(Operational, Equipment Technologies)」(7)、すなわち「省エネ技術」「メンテナンス技術」といった、特許化が困難な「ノウハウ(秘匿すべきIP)」²⁵にもあります。
      • アクション提言:
        1. R&D/製造部門: 経済産業省の提言(2¹⁵にあるように、「秘匿、特許化、規格標準化、公開」の「オープン&クローズ戦略」¹⁵を、技術ごと(あるいは技術の要素ごと)に再設計すべきです。
        2. 知財/IT部門: 他社が容易に模倣できない「ノウハウ」や「暗黙知」を、単なる「属人スキル」として放置せず、デジタル化(例:CPS 13)、マニュアル化、トレードシークレット(営業秘密)としての法的保護などを通じて、企業の「形式知(=移転可能な無形資産)」へと転換・管理すべきです。この「ノウハウ」は、M&Aや技術移転において、特許と同様、あるいはそれ以上の価値を生み出します。

 

3. 事業・営業部門(CBO)への示唆

 

IP戦略の「出口(収益化)」¹を担うのは、顧客と対峙する事業・営業部門です。IPを「価格決定力」に転換する最後のプロセスが求められます。

  • 示唆:顧客との対話(営業)に「IPアジェンダ」を加えよ
    • 現状の課題: 営業部門は、顧客と「品質・コスト・納期(QCD)」の交渉のみを行い、IPに関する話題は「法務・知財部門の仕事」としてタブー視、あるいは無関心である場合があります。
    • 日本製鉄の事例: トヨタの事例(9)は、事業部門(営業)が顧客とQCDだけの交渉をしていれば良い時代が、終わったことを示しています。これからの営業は、「IPのライセンス清浄性」も担保しなければなりません。
    • アクション提言:
      1. 営業部門: 自社製品が提供する「IP価値」について、トレーニングを受けるべきです。例えば、「当社のこの製品(1)は、革新的な特許技術(1)に基づいています。これにより貴社(顧客)のCO2削減(8)に貢献するだけでなく、他社の特許を侵害するリスクもありません」と、IPの価値(メリット)と清浄性(リスク回避)を顧客に明確に説明する能力が求められます。
      2. 事業部門: 顧客(例:自動車メーカー)が使用している「他社製部品(例:宝鋼製の鋼材 3)」が、自社のIPを侵害していないか監視する「市場監視機能」も、営業部門の重要な役割の一部として組み込むべきです。
    • 示唆IPを「価格決定力」に転換せよ
      • 現状の課題: 高い技術(IP)を投入した製品であっても、競合との価格競争に巻き込まれ、「技術はタダ(無料)」あるいは「コモディティ価格」での販売を余儀なくされています。
      • 日本製鉄の事例:NSCarbolex® Solution」(8)は、CO2削減という「社会的な価値」を、自社のIPポートフォリオと結びつけ、「ブランド」³として可視化したものです。
      • アクション提言:
        1. 事業/営業部門: この「IPブランド」(例:NSCarbolex®)を、単なるイメージ向上(CSR活動)ではなく、価格交渉における「プレミアム(上乗せ料金)」を正当化する強力な「論拠」として、積極的に活用すべきです。
        2. 交渉例: 「この鋼材は、従来の製品よりXX%高価です。なぜなら、これを使用することで、貴社(顧客)は、①CO2排出量をXトン削減でき(8)、競合他社からの特許訴訟リスク(3)を完全に回避でき(3)、貴社の最終製品の環境性能(8)を、貴社の顧客にアピールできるからです。」
        3. このように、IPが生み出す「複合的な価値(環境価値、リスク回避価値、ブランド価値)」を明確に「価格」に転嫁する交渉こそが、「積極的な活用」¹と「企業価値の最大化」¹の最終的な実現形態です。

当章の参考資料

 

  1. ¹ https://www.nipponsteel.com/en/sustainability/quality/solution.html
  2. ³ https://www.nipponsteel.com/product/nscarbolex/solution/
  3. https://www.nipponsteel.com/common/secure/news/20211014_100.pdf
  4. https://www.sec.gov/Archives/edgar/data/1163302/000110465923126579/tm2333110d1_ex99-2.htm
  5. https://www.nipponsteel.com/common/secure/en/ir/library/pdf/20231218_200.pdf
  6. ¹³ https://global.toyota/jp/newsroom/corporate/36224453.html
  7. ¹⁵ https://www.meti.go.jp/shingikai/sankoshin/green_innovation/energy_structure/pdf/028_i01_00.pdf
  8. ²¹ https://www.jpo.go.jp/resources/report/sonota/keizai_yakuwari.html
  9. 1
    https://www.nipponsteel.com/news/20240613_100.html
  10. 2
    https://www.meti.go.jp/shingikai/sankoshin/green_innovation/energy_structure/pdf/028_i01_00.pdf
  11. 3
    https://www.nipponsteel.com/common/secure/news/20211014_100.pdf
  12. 9
    https://global.toyota/jp/newsroom/corporate/36224453.html
  13. 26
    https://www.jsw.co.jp/ja/sustainability/governance/governance.html
  14. 22
    https://finance-frontend-pc-dist.west.edge.storage-yahoo.jp/disclosure/20250708/20250708509863.pdf
  15. 5
    https://www.nipponsteel.com/en/sustainability/quality/solution.html
  16. 6
    https://www.sec.gov/Archives/edgar/data/1163302/000110465923126579/tm2333110d1_ex99-2.htm
  17. 7
    https://www.nipponsteel.com/common/secure/en/ir/library/pdf/20231218_200.pdf
  18. 11https://www.nipponsteel.com/news/20240613_100.html
  19. 1313https://www.jfe-holdings.co.jp/investor/library/group-report/
  20. 22https://www.meti.go.jp/shingikai/sankoshin/green_innovation/energy_structure/pdf/028_i01_00.pdf
  21. 33https://www.nipponsteel.com/common/secure/news/20211014_100.pdf
  22. 8
    https://www.nipponsteel.com/product/nscarbolex/solution/
  23. 77https://www.nipponsteel.com/common/secure/en/ir/library/pdf/20231218_200.pdf

総括

 

本レポートは、日本製鉄の知的財産(IP)戦略について、同社が公式に掲げる基本方針¹、それを実行する組織体制¹、そして具体的な3つの戦略的活用(ブランド³、武器化、レバレッジ)の連関性を、公開情報に基づき網羅的に分析した。

導き出された結論は、日本製鉄のIP戦略が、従来の日本企業に典型的な「防衛的」かつ「R&Dの後工程」としての役割から、経営戦略と不可分に統合(「三位一体」¹)され、企業価値の最大化(「積極的な活用」¹)を目的とする、「多角的」かつ「攻撃的」な戦略へと、根本的な変容を遂げたという事実である。

この戦略の核心は、「高機能電磁鋼板」と「高機能自動車用鋼板」という、EV(電気自動車)およびGX(脱炭素)という二大メガトレンドの「チョークポイント(急所)」を突く**「クラウンジュエル(最重要)IP**を明確に特定した点にある。

そして、日本製鉄は、この中核IPの価値を最大化(レバレッジ)するために、

  1. NSCarbolex®」(8というブランドに価値を集約し、市場でのプレミアム(価格決定力)を確立する「ブランド戦略」³
  2. 競合(宝山鋼鉄 3)のみならず、最重要顧客(トヨタ 9)をも巻き込み、サプライチェーン全体に自社のIPの排他権を知らしめる**「エンフォースメント(武器化)戦略」⁵, ¹³**
  3. S.スチール(USS)買収(4)において、自社IPの技術移転(7)をシナジーの源泉⁸, ⁹とし、巨額の投資を正当化する**M&A(レバレッジ化)戦略」**

という、3つの異なる戦略を、同時並行的かつ、極めて強固な一貫性を持って実行している。

この「三位一体」¹IP戦略は、取締役会(22の類推)という強固なガバナンスを基盤とし、国際標準化(2)という「ルールメイキング(オープン戦略)」¹⁵によって補完されている。

意思決定に対する含意として、この日本製鉄のアプローチは、顧客との関係悪化(9)やM&Aの実行・統合(23)といった短中期的なリスクを内包する一方で、成功した場合、鉄鋼という「素材(モノ)」の製造・販売に留まらず、その基幹技術(IP)の「ライセンス(権利)」によってグローバル市場とサプライチェーンを支配する「基幹技術プラットフォーマー」へと、自社のビジネスモデルそのものを変革させる、極めて野心的かつ合理的な経営戦略であると結論付けられる。

参考資料リスト(全体)

 

  1. https://www.nipponsteel.com/news/20240613_100.html
  2. (https://www.youtube.com/watch?v=FrajnaqoR8w)
  3. https://www.jfe-holdings.co.jp/investor/library/group-report/
  4. https://www.shinsho.co.jp/ir/library/pdf/igr_2024_print.pdf
  5. https://corporate.arcelormittal.com/media/vrqovnik/arcelor-mittal-integrated-annual-review-2023.pdf
  6. https://corporate.arcelormittal.com/media/upipeqnl/annual-report-2023.pdf
  7. https://corporate.arcelormittal.com/media/hhdf13wo/half-year-report-30-06-2025.pdf
  8. https://corporate-cm-prod.arcelormittal.com/media/if0baqyg/annual-report-2024.pdf
  9. https://insights.greyb.com/arcelormittal-patents/
    (https://www.posco.co.kr/docs/eng7/jsp/resources/file/ir/POSCO_consolidated_FY24_1Q_eng.pdf)
    11.(https://www.posco.co.kr/docs/eng7/jsp/resources/file/ir/POSCO_consolidated_2025-1-499_eng.pdf)
  10. https://www.poscointl.com/eng/irActivity
    (https://www.posco.co.kr/docs/eng7/jsp/resources/file/ir/POSCO_consolidated_FY24_3Q_eng.pdf)
    14.(https://poscointl.com/upload/esg/2023_POSCO_INTERNATIONAL_Sustainability_Report_Eng(f).pdf)
  11. https://kpmg.com/jp/ja/home/insights/2024/11/gx-intellectual-property01.html
  12. https://www.jpo.go.jp/resources/report/sonota/keizai_yakuwari.html
  13. https://www.meti.go.jp/shingikai/sankoshin/green_innovation/energy_structure/pdf/028_i01_00.pdf
  14. https://www.nipponsteel.com/common/secure/news/20211014_100.pdf
  15. https://global.toyota/jp/newsroom/corporate/36224453.html
    (https://jglobal.jst.go.jp/detail?JGLOBAL_ID=201909012686247077)
  16. https://www.nipponsteel.com/tech/report/
  17. https://www.jsw.co.jp/ja/sustainability/governance/governance.html
  18. https://finance-frontend-pc-dist.west.edge.storage-yahoo.jp/disclosure/20250708/20250708509863.pdf
    (https://en.wikipedia.org/wiki/Acquisition_of_U.S._Steel_by_Nippon_Steel)
  19. https://imaa-institute.org/blog/nippon-steels-acquisition-of-us-steel/
  20. https://www.nipponsteel.com/en/newsroom/news/2025/20250103_100.html
  21. https://www.nipponsteel.com/en/sustainability/quality/solution.html
  22. https://www.heritage.org/markets-and-finance/commentary/nippon-acquisition-us-steel
  23. https://www.sec.gov/Archives/edgar/data/1163302/000110465923126579/tm2333110d1_ex99-2.htm
  24. https://steelindustry.news/nippon-steels-technological-transformation-revolutionizing-u-s-steel-production-through-innovation-amid-historic-financial-loss/
  25. https://www.edelmanglobaladvisory.com/ongoing-saga-nippon-steels-acquisition-us-steel
  26. https://www.nipponsteel.com/en/ir/library/pdf/20240207_450.pdf
  27. https://www.nipponsteel.com/common/secure/en/ir/library/pdf/20231218_200.pdf
  28. https://www.posco-inc.com:4453/poscoinc/v3/eng/investor/s91e3000510c.jsp
  29. http://www.posco-inc.com/poscoinc/v3/eng/investor/s91e3000500c.jsp
  30. http://www.posco-inc.com/poscoinc/v3/eng/investor/s91e3000400c.jsp
  31. https://www.posco.com/homepage/annual/en/fins.jsp
  32. https://www.posco.co.kr/homepage/docs/eng7/jsp/ir/s91b6000010l.jsp
  33. https://www.nipponsteel.com/product/nscarbolex/solution/
  34. https://www.nipponsteel.com/ir/library/pdf/20210514_100.pdf

引用文献

  1. 日本製鉄 日本溶接協会賞「溶接注目発明賞」を受賞, 11 16, 2025にアクセス、 https://www.nipponsteel.com/news/20240613_100.html
  2. 「製鉄プロセスにおける水素活用」プロジェクトに関する意見 令和 ..., 11 16, 2025にアクセス、 https://www.meti.go.jp/shingikai/sankoshin/green_innovation/energy_structure/pdf/028_i01_00.pdf
  3. 当社無方向性電磁鋼板特許に関する訴訟の提起について - 日本製鉄, 11 16, 2025にアクセス、 https://www.nipponsteel.com/common/secure/news/20211014_100.pdf
  4. Acquisition of U.S. Steel by Nippon Steel - Wikipedia, 11月 16, 2025にアクセス、 https://en.wikipedia.org/wiki/Acquisition_of_U.S._Steel_by_Nippon_Steel
  5. Intellectual Property Management | Nippon Steel Corporation, 11月 16, 2025にアクセス、 https://www.nipponsteel.com/en/sustainability/quality/solution.html
  6. Nippon Steel Corporation (NSC) to Acquire US Steel, Moving Forward Together as the 'Best Steelmaker with World-Leading Capabilities' - SEC.gov, 11月 16, 2025にアクセス、 https://www.sec.gov/Archives/edgar/data/1163302/000110465923126579/tm2333110d1_ex99-2.htm
  7. Acquisition of U.S.Steel, 11月 16, 2025にアクセス、 https://www.nipponsteel.com/common/secure/en/ir/library/pdf/20231218_200.pdf
  8. NSCarbolex Solution - NSCarbolex® [エヌエスカーボレックス ..., 11 16, 2025にアクセス、 https://www.nipponsteel.com/product/nscarbolex/solution/
  9. 日本製鉄株式会社による弊社への電磁鋼板に関する訴訟について ..., 11 16, 2025にアクセス、 https://global.toyota/jp/newsroom/corporate/36224453.html
  10. 技術論文・技報 - 日本製鉄, 11 16, 2025にアクセス、 https://www.nipponsteel.com/tech/report/
  11. Nippon Steel Acquires US Steel in $15B Deal | What It Means - IMAA Institute, 11月 16, 2025にアクセス、 https://imaa-institute.org/blog/nippon-steels-acquisition-of-us-steel/
  12. Nippon Acquisition of U.S. Steel - The Heritage Foundation, 11月 16, 2025にアクセス、 https://www.heritage.org/markets-and-finance/commentary/nippon-acquisition-us-steel
  13. JFE GROUP REPORT (統合報告書)|JFEホールディングス株式 ..., 11 16, 2025にアクセス、 https://www.jfe-holdings.co.jp/investor/library/group-report/
  14. posco international sustainability report 2023, 11月 16, 2025にアクセス、 https://poscointl.com/upload/esg/2023_POSCO_INTERNATIONAL_Sustainability_Report_Eng(f).pdf
  15. ArcelorMittal Integrated Annual Review 2023, 11月 16, 2025にアクセス、 https://corporate.arcelormittal.com/media/vrqovnik/arcelor-mittal-integrated-annual-review-2023.pdf
  16. Annual Report 2023 | ArcelorMittal, 11月 16, 2025にアクセス、 https://corporate.arcelormittal.com/media/upipeqnl/annual-report-2023.pdf
  17. Annual Report 2024 | ArcelorMittal, 11月 16, 2025にアクセス、 https://corporate-cm-prod.arcelormittal.com/media/if0baqyg/annual-report-2024.pdf
  18. ArcelorMittal Patents Key Insights & Stats, 11月 16, 2025にアクセス、 https://insights.greyb.com/arcelormittal-patents/
  19. GXビジネスへの取組みアプローチと知財 - KPMGジャパン, 11 16, 2025にアクセス、 https://kpmg.com/jp/ja/home/insights/2024/11/gx-intellectual-property01.html
  20. 我が国の知的財産制度と経済の関係に関する調査報告 | 経済産業省 ..., 11 16, 2025にアクセス、 https://www.jpo.go.jp/resources/report/sonota/keizai_yakuwari.html
  21. 日本製鉄株式会社, 11 16, 2025にアクセス、 https://finance-frontend-pc-dist.west.edge.storage-yahoo.jp/disclosure/20250708/20250708509863.pdf
  22. Nippon Steel Corporation and U.S. Steel Condemn U.S. Government's Unlawful Decision to Block Proposed Acquisition of U.S. Steel - Companies will take all appropriate action to protect their legal rights, 11月 16, 2025にアクセス、 https://www.nipponsteel.com/en/newsroom/news/2025/20250103_100.html
  23. The Ongoing Saga of Nippon Steel's Acquisition of US Steel | Edelman Global Advisory, 11月 16, 2025にアクセス、 https://www.edelmanglobaladvisory.com/ongoing-saga-nippon-steels-acquisition-us-steel
  24. Nippon Steel's Technological Transformation: Revolutionizing U.S. Steel Production Through Innovation Amid Financial Loss - Steel Industry News, 11月 16, 2025にアクセス、 https://steelindustry.news/nippon-steels-technological-transformation-revolutionizing-u-s-steel-production-through-innovation-amid-historic-financial-loss/
  25. コーポレート・ガバナンス | ガバナンス | サステナビリティ | 株式会社日本製鋼所 - JSW, 11 16, 2025にアクセス、 https://www.jsw.co.jp/ja/sustainability/governance/governance.html
  26. 韓国鉄鋼大手ポスコ 政府傘下の財団に4億円寄付(2023315日) - YouTube, 11 16, 2025にアクセス、 https://www.youtube.com/watch?v=FrajnaqoR8w

PDF版のダウンロード

本レポートのPDF版をご用意しています。印刷や保存にご活用ください。

【本レポートについて】

本レポートは、公開情報をAI技術を活用して体系的に分析したものです。

情報の性質

  • 公開特許情報、企業発表等の公開データに基づく分析です
  • 2025年11月時点の情報に基づきます
  • 企業の非公開戦略や内部情報は含まれません
  • 分析の正確性を期していますが、完全性は保証いたしかねます

ご利用にあたって
本レポートは知財動向把握の参考資料としてご活用ください。 重要なビジネス判断の際は、最新の一次情報の確認および専門家へのご相談を推奨します。

TechnoProducerは、貴社の「発明力と知財力」を最大化します

→ 月額顧問サービス
特許活用から経営戦略まで、事業成功のプロがあらゆる課題に対応

→ 発明塾®動画セミナー
個人での学習や、オンラインでの社内教育はこちら

→ まず相談したい・お問い合わせ
サービス選択に迷う場合や、個別のご相談はこちら

企業内発明塾バナー

最新レポート

5秒で登録完了!無料メール講座

ここでしか読めない発明塾のノウハウの一部や最新情報を、無料で週2〜3回配信しております。

・あの会社はどうして不況にも強いのか?
・今、注目すべき狙い目の技術情報
・アイデア・発明を、「スジの良い」企画に仕上げる方法
・急成長企業のビジネスモデルと知財戦略

無料購読へ
© TechnoProducer Corporation All right reserved