3行まとめ
「量より質」の知財戦略と高収益化の実証
売上高の約1.8〜2.0%に規律されたR&D投資で高付加価値製品へ転換し、対Nova訴訟での6.45億カナダドルの賠償金獲得により、知財が収益を守る「要塞」であることを証明しました。
脱炭素とデジタル変革による「Decarbonize & Grow」
資源をネットゼロ・エチレン製造のPath2ZeroやAI配合プラットフォームDOW™ Paint Visionに集中させ、製品販売だけでなくデータ活用による「Materials as a Service」モデルを構築しています。
パートナーシップ主導のエコシステム型リスク管理
自前主義を排し、高度リサイクルでMura Technology社、SMRでX-energy社と提携することで、巨額の設備投資リスクを分散しながら技術実装のスピードを加速させています。
この記事の内容
ダウ(Dow Inc.)の技術経営戦略は、かつての「汎用化学品による規模の経済」の追求から、高度な特許網に保護された「高付加価値スペシャリティ製品」への転換を、財務構造の根底から牽引しています。2023年度および2024年度の財務データ分析によると、ダウは世界的な化学品市況の軟化による売上高の減少(2023年:446億ドル、前年比約22%減)に直面しながらも、営業EBIT(利払い・税引き前利益)マージンの維持において、知財が集約された機能性材料(Performance Materials & Coatings)やパッケージング・スペシャリティプラスチック(P&SP)部門が決定的な下支え役を果たしています 11。特に注目すべきは、同社がR&D投資額を純売上高の約1.8%〜2.0%(年間約8億ドル前後)という極めて規律ある水準にコントロールしながら、その投資配分を「Decarbonize & Grow(脱炭素と成長)」戦略に直結するプロジェクトへ集中させている点です 2。この「選択と集中」は、コモディティ製品の価格変動リスクを、技術的な参入障壁を持つ特許製品群によって相殺するポートフォリオ変革を意図しています。さらに、対Nova Chemicals訴訟における6.45億カナダドルの賠償金獲得に見られるように、ダウの知財戦略はバランスシート上の無形資産としてだけでなく、直接的なキャッシュフロー創出源としても機能しており、技術的独占権が企業の収益性を物理的に防衛する「要塞」として確立されています 34。
ダウの研究開発および技術実装は、「サーキュラーエコノミー(循環経済)」、「気候変動対策(脱炭素)」、「新素材(モビリティ・電子材料)」の3大領域に戦略的に集約されており、それぞれの領域で競合他社との差別化を図る独自の技術ロードマップが進行しています。循環経済においては、英国Mura Technology社との提携を通じて、超臨界水蒸気を用いた高度リサイクル技術(HydroPRS™)の実装を推進しており、従来の機械的リサイクルでは処理不能なプラスチック廃棄物をバージン材同等の原料へ戻すプロセスを確立しつつあります 5。脱炭素領域では、カナダ・アルバータ州フォートサスカチュワンにおける「Path2Zero」プロジェクトが中核を担い、自己熱分解型改質器(ATR)と炭素回収貯留(CCS)を統合した世界初のネットゼロ・エチレンクラッカーの建設を進めていますが、マクロ経済の不確実性を背景に建設ペースの調整が行われています 6。デジタルサービス分野においては、単なる素材供給にとどまらず、AIを活用した塗料配合プラットフォーム「DOW™ Paint Vision」を市場投入し、顧客の研究開発プロセスそのものをデジタル化・効率化する「Materials as a Service(MaaS)」モデルへの転換を図っています 77。
ダウの特許戦略は、出願件数の単なる量的拡大(Volume)よりも、事業の独占性を担保する「質的強度(Quality)」と「ポートフォリオの最適化」に明確に重点を置いています。外部の特許資産評価(Patent Asset Index)において、ダウはBASFと並び化学業界で最高水準の「競争力(Competitive Impact)」を維持しており、これは保有する特許一件あたりの引用数や市場独占力が極めて高いことを示唆しています 8。近年の特許出願動向(2024-2025年公開分)を詳細に分析すると、同社の収益の柱であるポリオレフィン(特に直鎖状低密度ポリエチレンの触媒・プロセス技術)に関する基本特許の防衛に加え、シリコーン化学を応用したEV向け熱マネジメント材料(Gap Filler等)や、無溶剤型接着剤といった成長市場向け技術への出願シフトが顕著です 910。また、X-energy社との提携に関連するSMR(小型モジュール炉)のプロセス統合技術など、エネルギー供給サイドの技術権利化も新たな戦略的潮流として浮上しており、知財ポートフォリオが素材化学からプロセスエンジニアリング領域へと拡張しています。
ダウは、主力製品であるポリエチレン(PE)およびエラストマー領域において、競合であるLyondellBasell(LYB)、BASF、SABIC、ExxonMobilに対し、独自のメタロセン触媒技術(INSITE™ technology)および溶液重合プロセスを基盤とした強力な特許網で明確な技術的優位性を保持しています。この優位性は、対Nova Chemicals訴訟での勝訴確定によって法的に証明されており、競合他社がダウの特許網を回避して同等性能の製品を開発することの難易度を極大化させています 11。一方で、次世代の競争軸となるケミカルリサイクル技術においては、LyondellBasellが独自開発した触媒熱分解技術「MoReTec」の商用プラント建設をドイツで先行して進めており(2026年稼働予定)、技術の自社保有(内製化)を進めるLYBに対し、パートナーシップ(Mura社)に依存するダウのアプローチは、技術実装のスピードとコントロール力において競合リスクを抱えています 12。また、BASFは絶対的なR&D投資額(約21億ユーロ)でダウを大きく上回っており、幅広い基礎研究能力に基づく多角的なイノベーション創出力においては、依然として強力な脅威となっています 13。
ダウは2030年および2050年の長期目標に向けた「Decarbonize & Grow」戦略の下、年間約10億ドルのCAPEX(設備投資)を脱炭素化と成長投資に充当する計画を掲げています 14。このロードマップの中核は、既存資産の低炭素化と次世代技術の段階的な実装です。短期的には、フォートサスカチュワンのPath2Zeroプロジェクト(フェーズ1の稼働は2027年以降に再調整の可能性)によるスコープ1・2排出量の大幅削減を目指し、中長期的には、テキサス州シードリフト拠点におけるX-energy社製SMR(Xe-100)の導入(2030年頃)を計画しています 1516。しかし、2025年の市場環境悪化(インフレ、地政学的リスク、関税不透明感)に伴い、これら大型プロジェクトの進捗ペースを意図的に減速させ、キャッシュフローの保全を優先する「Cash Preservation」モードへの移行を示唆しており、R&D投資もより短期でROI(投資対効果)が見込めるデボトルネッキングやデジタル化、高付加価値製品への転換へ一時的にシフトする可能性が高まっています 6。
ダウの過去5年間のR&D投資額および対売上比率の推移は、同社が直面する市場環境の変化と、それに対する経営陣の意思決定の履歴を如実に物語っています。以下の表は、各年度の年次報告書(10-K)から抽出された確定値に基づいています。
表1:ダウ(Dow Inc.) R&D投資額および対売上高比率の推移(2020-2024)
|
会計年度 |
R&D投資額 (百万ドル) |
純売上高 (百万ドル) |
R&D対売上高比率 (%) |
R&D費用の前年比増減率 |
主要な戦略的背景 |
|
2024 (TTM/Est) |
781 (TTM) |
42,964 |
~1.8% |
-4.9% (vs 2023) |
マクロ経済の逆風下でのコスト規律徹底、Path2Zero等のCAPEX調整局面 26 |
|
2023 |
829 |
44,622 |
1.86% |
-2.6% |
欧州エネルギー危機への対応、脱炭素技術への選択と集中 21 |
|
2022 |
851 |
56,902 |
1.50% |
-0.7% |
パンデミック後の需要回復期、サステナビリティ関連R&Dへのシフト加速 217 |
|
2021 |
857 |
55,000 (approx) |
~1.56% |
+11.6% |
景気回復に伴う積極投資、Digital Dow戦略の推進 218 |
|
2020 |
768 |
38,542 |
1.99% |
+0.4% |
パンデミック下での現金保全、しかしR&D比率は維持 2 |
出典: 2119 Macrotrends, Dow Annual Reports 10-K
表1のデータセットが示すR&D投資の推移には、ダウの経営戦略における3つの重要な意図が反映されています。
第一に、**「絶対額の抑制と効率化の追求」**です。2021年の8億5700万ドルをピークに、R&D投資額は減少トレンドにあります。2024年の直近12ヶ月(TTM)データでは7億8100万ドルまで低下しており、これは2020年のパンデミック期と同等の水準です。この減少は、単なるコストカットではなく、研究開発プロセスのデジタル化(マテリアルズ・インフォマティクスやAIシミュレーションの導入)による効率化の成果でもあります。物理的な実験回数を減らし、データ駆動型の開発へ移行することで、より少ない投資額で同等以上のイノベーション産出を目指す「Do More with Less」の哲学が浸透しています。例えば、ウレタン配合開発においてAIモデルを活用することで開発リードタイムを大幅に短縮した事例が報告されており、これが固定費の削減に寄与しています 20。
第二に、**「ポートフォリオの厳格な選別」**です。ダウはR&Dポートフォリオの90%以上をサステナビリティ領域(気候保護、循環経済、安全な素材)に関連するプロジェクトに集中させています 21。これは、投資リターンが不明確な基礎研究や、コモディティ製品の微細な改良から撤退し、将来の規制対応や顧客の脱炭素ニーズに直結する「必須技術」へリソースを全振りしていることを意味します。投資家向け説明会においても、Jim Fitterling CEOは「Decarbonize & Grow」戦略の下、2030年までに年間30億ドルのEBITDA成長を目指すとし、そのための技術投資を最優先する姿勢を崩していません 1415。
第三に、**「マクロ経済環境への防御的適応」**です。2023年から2025年にかけての化学業界は、中国経済の減速、欧州のエネルギーコスト高騰、そして関税リスクの増大という複合的な逆風に晒されています。2025年4月の報道によると、ダウは市場環境の不確実性を理由に、アルバータ州でのPath2Zeroプロジェクトを含む大型設備投資のペース調整(遅延)を発表しました 6。R&D費用の減少は、こうした全社的な「Cash Preservation(現金の保全)」戦略の一環であり、短期的な収益圧力を緩和しつつ、配当支払い能力とバランスシートの健全性を維持するための財務的な調整弁として機能しています。
企業の技術戦略は、経営トップのコミットメントによってその方向性が決定づけられます。ダウのJim Fitterling CEOおよび経営陣は、公式文書において技術とイノベーションを企業の生存条件として定義しています。
ブロック引用:CEOメッセージ(2023-2024)
"Fueled by the passion and expertise of Team Dow, we are committed to innovation, sustainability and circularity for the markets and customers we serve.... Our belief in the power of materials science to change the world is central to who we are. It is built on our 127-year history of innovation and is embedded in our purpose to deliver a sustainable future."
(訳:チーム・ダウの情熱と専門知識を原動力に、私たちは市場と顧客のためにイノベーション、サステナビリティ、サーキュラリティにコミットしています。... 材料科学が世界を変える力を持つという私たちの信念は、私たちのアイデンティティの中心にあります。それは127年にわたるイノベーションの歴史の上に築かれ、持続可能な未来を提供するという私たちのパーパスに組み込まれています。)
Source: 2024 Dow Annual Report 1
"In 2024, we made meaningful progress to answer customer demand for sustainable products, reduce greenhouse gas (GHG) emissions and drive circularity."
(訳:2024年、私たちは持続可能な製品への顧客需要に応え、温室効果ガス(GHG)排出量を削減し、サーキュラリティ(循環性)を推進するために意義ある進展を遂げました。)
Source: 2024 INtersections Progress Report 21
これらの発言において重要なのは、「イノベーション」が常に「サステナビリティ」および「顧客需要(Customer Demand)」とセットで語られている点です。技術開発は独立した活動ではなく、顧客の脱炭素目標(Scope 3削減)を達成するための手段であり、ひいてはダウ自身の収益成長(Grow)の源泉であるというロジックが貫かれています。また、2025年に向けたドイツ・デュッセルドルフでの「K 2025」展におけるテーマ「Generation Transformation」においても、ダウは単なる素材メーカーではなく、産業全体の変革を主導する「トランスフォーメーション・パートナー」としての立ち位置を強調しており、経営陣の技術に対する期待値が「製品改良」から「産業構造の転換」へと高まっていることが伺えます 2223。
ダウの事業セグメントは、「パッケージング & スペシャリティ・プラスチック(P&SP)」、「インダストリアル・インターミディエイツ & インフラストラクチャー(II&I)」、「パフォーマンス・マテリアルズ & コーティング(PM&C)」の3つに大別されます。各セグメントにおいて、ダウが競争優位性の源泉と定義し、重点的にリソースを配分している技術領域を以下に詳述します。
表2:ダウの重点技術領域と開発プロジェクトの進捗状況
|
技術領域 |
関連セグメント |
戦略的意義 |
主要プロジェクト/製品 |
進捗状況・特記事項 |
|
ネットゼロ・エチレン製造 (Path2Zero) |
P&SP |
脱炭素化: 従来のナフサ/エタンクラッカーからのCO2排出を実質ゼロにするプロセス革新。スコープ1・2排出量削減の切り札。 |
Fort Saskatchewan Path2Zero Project: 自己熱分解型改質器(ATR)によりオフガスを水素に変換し、燃料として循環利用+CCS。 |
遅延: 市場環境と関税リスクにより建設ペースを調整。フェーズ1稼働は2027年以降にずれ込む見通し 624。 |
|
高度リサイクル (Advanced Recycling) |
P&SP |
循環経済: 機械的リサイクル困難な廃プラを原料に戻すケミカルリサイクル。バージン同等品質の樹脂製造。 |
Mura Technology提携 (HydroPRS™): 超臨界水蒸気プロセス。生成油(Circular Feedstock)のオフテイク契約。 |
独Bohlen計画は再評価中。仏Valoregenとのハイブリッド拠点計画は進行中 52526。 |
|
SMRプロセス熱供給 (Nuclear Energy) |
II&I / P&SP |
エネルギー転換: 化学プラントへ高温蒸気と電力をカーボンフリー供給。ガス火力からの脱却。 |
Seadrift SMR Project: 米国テキサス州拠点へX-energy社製「Xe-100」を4基導入。DOE ARDP支援対象。 |
建設許可申請に向けた準備進行中。東洋炭素と黒鉛部品供給で連携 1627。 |
|
モビリティ・熱マネジメント (MobilityScience) |
PM&C / II&I |
電動化 (EV): バッテリーパックの熱制御、軽量化、電磁波シールド。 |
DOWSIL™ Gap Fillers: 高熱伝導性シリコーン材料。Carbonate Solvents: リチウムイオン電池電解液用溶剤。 |
米国DOE支援を受け、EV電池用炭酸エステル溶剤の生産施設建設を計画中 2829。 |
|
デジタル配合設計 (Digital Formulation) |
PM&C |
DX/サービス化: AIを活用した顧客向け配合推奨。実験工数の削減とスペックイン率向上。 |
DOW™ Paint Vision: クラウドベースの塗料配合プラットフォーム。物性予測AI搭載。 |
顧客の配合時間を約48%短縮。デジタル経由の売上貢献を拡大中 77。 |
Path2Zeroの戦略的意義と遅延のインパクト:
カナダ・アルバータ州フォートサスカチュワンにおける「Path2Zero」プロジェクトは、ダウにとって単なる新工場建設ではなく、化学産業の脱炭素化モデルを証明するためのフラッグシップ事業です。このプロジェクトでは、エチレン分解プロセスで発生するメタン等のオフガスを、自己熱分解型改質器(ATR)を用いて水素とCO2に変換します。水素は再び分解炉の燃料として使用され(これにより燃焼時のCO2排出がゼロになる)、分離されたCO2は隣接するCCSインフラ(Alberta Carbon Trunk Line等)を通じて地中貯留されます。この「水素循環+CCS」モデルは、電化(Electrification)に注力するBASFとは対照的なアプローチであり、豊富な天然ガス資源を持つ北米の地理的優位性を最大限に活用する戦略です。しかし、2025年の報道にある通り、マクロ経済の不確実性と関税政策の不透明感を理由にプロジェクトの進捗が調整されていることは、この巨大なCAPEXプロジェクトが市場環境に対して極めてセンシティブであることを示しています。
リサイクル技術における「Mura」対「MoReTec」:
高度リサイクル領域において、ダウは英国Mura Technology社の「HydroPRS™(超臨界水蒸気技術)」を採用し、パートナーシップを通じた技術実装を進めています。一方、競合のLyondellBasellは自社開発の触媒熱分解技術「MoReTec」の商用化をドイツで進めています。ダウのアプローチは、技術開発リスクをパートナーと分担し、自社は生成されたリサイクル原料(Pyrolysis Oil)のオフテイク(引取)と樹脂化に専念するという「アセットライト」な側面があります。しかし、ドイツ・ベーレン(Bohlen)での計画見直しに見られるように、パートナー依存型モデルは相手方の資金調達や進捗に左右されるリスクも孕んでいます。
ダウの知財ポートフォリオは、競合他社を圧倒する「質」によって特徴づけられます。以下のデータは、主要な特許調査機関および公開データに基づいています。
表3:主要化学企業の米国特許登録数およびポートフォリオ品質比較(2022-2024)
|
企業名 |
米国特許登録数 (2022) |
米国特許登録数 (2024概算) |
特許資産指数 (Qualitative Impact) |
注力技術分類 (CPC/IPC) |
|
Dow (The Dow Chemical Co.) |
309 |
357 (前年比38%増) |
高 (High) |
C08F (ポリオレフィン), C08L (ポリマー配合), C09J (接着剤) |
|
BASF |
240 |
- |
最高 (Highest) |
C07 (有機化学), A01N (農薬), C08G (重縮合) |
|
LyondellBasell (LYB) |
Top 50圏外 |
- |
中 (Medium) |
C10G (分解・精製), C08F (触媒) |
|
Saudi Aramco (SABIC含む) |
323 |
4,994 (累積) |
高 (High) |
C10G (石油化学), B01J (触媒) |
出典: 3083132
注: 特許登録数はHarrity LLPのPatent 300レポートに基づく。特許資産指数はLexisNexis PatentSightの分析に基づく。
LexisNexis PatentSightによる特許ポートフォリオ分析(Competitive Impact vs Portfolio Size)において、ダウはBASFと共に化学業界の右上の象限(リーダーシップ領域)に位置しています 8。これは、ダウの特許一件あたりの被引用数や技術的波及効果が極めて高いことを意味します。BASFが全方位的な化学技術をカバーする巨大なポートフォリオを持つのに対し、ダウはポリオレフィン(特にメタロセン触媒技術)やポリウレタン、シリコーンといった特定の強みを持つ領域に特許網を集中させており、効率的な「要塞」を築いています。
直近の公開特許からは、ダウのR&Dが「サステナビリティ」と「高機能化」へシフトしている様子が読み取れます。
ダウは、物理的な製品(Material)の販売に加え、蓄積された知財データを活用した「サービス(Intangible)」による収益モデルを構築しています。
表4:知財・技術を活用したデジタルサービスモデル
|
サービス名称 |
対象市場 |
技術的基盤 (Core IP) |
ビジネスインパクト (Revenue/Engagement) |
|
DOW™ Paint Vision |
塗料・コーティング |
AI/機械学習、配合データベース、物性予測モデル |
顧客の研究開発時間を約48%短縮。ダウ製添加剤・樹脂のスペックイン率向上による売上拡大 7。 |
|
Digital Dow Platform |
全産業 (B2B EC) |
統合型Eコマース、在庫可視化、リアルタイム価格提示 |
年間取引額120億ドル以上(一部報道/推計)、デジタル顧客接点率98.5% 34。 |
|
Pack Studios |
パッケージング |
ラミネート・充填設備のパイロットライン、評価技術 |
顧客との共創(Co-creation)による新製品開発加速。ダウ樹脂の採用確度向上。 |
「DOW™ Paint Vision」は、ダウのDX戦略を象徴する事例です。従来、塗料メーカーの技術者は、最適な配合を見つけるために数多くの物理実験を繰り返す必要がありました。Paint Visionは、ダウが数十年にわたり蓄積してきた原材料と塗膜物性の相関データ(営業秘密)をAIに学習させ、顧客が求める性能(光沢、硬度、耐候性など)を入力するだけで、最適な配合レシピを瞬時に提案します。
このプラットフォームの戦略的巧みさは、**「推奨される配合レシピが、ダウの製品(バインダー、増粘剤、分散剤)を使用することを前提に最適化されている」**点にあります。これにより、ダウは顧客の研究開発プロセスの上流に入り込み、製品選定の主導権を握ることができます。これは、単なる製品販売ではなく、顧客のイノベーションコストを削減するソリューション提供ビジネスであり、知財データを収益化する「Materials as a Service」モデルとして機能しています。
ダウは、自前主義(NIH: Not Invented Here)を排し、脱炭素や高度リサイクルといった単独では解決困難な課題に対して、各分野のトッププレイヤーと戦略的なエコシステムを形成しています。
表5:主要な技術提携・パートナーシップ(2023-2025)
|
パートナー企業/機関 |
提携分野 |
パートナーの役割 |
ダウの戦略的狙い |
参照 |
|
X-energy |
エネルギー (原子力) |
SMR技術提供: 高温ガス炉「Xe-100」の設計・製造。 |
テキサス州シードリフト拠点へのSMR導入によるプロセス熱・電力の脱炭素化。 |
1635 |
|
Toyo Tanso (東洋炭素) |
素材 (原子力部品) |
黒鉛部品供給: Xe-100炉心用の高純度黒鉛部材(IG-110)の製造・供給。 |
SMRサプライチェーンの確立。重要部材の調達安定化。 |
16 |
|
Mura Technology |
リサイクル (化学) |
HydroPRS™技術: 超臨界水蒸気による廃プラのオイル化プロセス提供。 |
生成油(Circular Feedstock)のオフテイクによる「循環型ポリマー」の原料確保。 |
5 |
|
Linde |
インフラ (ガス) |
水素・窒素供給: Path2Zero向けに20億ドル規模の製造設備を建設・所有・運営 (BOO)。 |
インフラ投資負担の軽減(オフバランス化)と、安定的な水素・窒素の調達。 |
36 |
|
ABB |
制御・自動化 |
DCS/自動化: Path2Zeroプロジェクトのメインオートメーションパートナー。 |
プラント運用のデジタル化と効率化。最新のプロセス制御技術の導入。 |
37 |
|
Valoregen |
リサイクル (ハイブリッド) |
統合リサイクル拠点: フランスにおける機械的・化学的リサイクルのハイブリッド工場運営。 |
欧州市場におけるポストコンシューマーリサイクル材(PCR)の確保。 |
26 |
表5から読み取れるダウのオープンイノベーション戦略の核心は、**「コアコンピタンスへの集中と周辺リスクの外部化」**です。
例えば、アルバータ州のPath2Zeroプロジェクトにおいて、ダウは水素製造や空気分離装置といったユーティリティ設備の建設・運営を産業ガス大手のLindeに委ねています。Lindeが20億ドル以上の投資を行うことで、ダウ自身は巨額のCAPEX負担を軽減し、自社のコアであるエチレン分解と誘導品製造に資金を集中させることができます。
同様に、SMRプロジェクトにおいても、ダウは原子炉の開発や製造を行わず、X-energy社の技術を採用し、さらにその重要部材である黒鉛供給を東洋炭素が担うというサプライチェーンを構築しています。ダウは「ユーザー」としての立場を堅持しつつ、技術実証の場(サイト)を提供することで、最先端技術の恩恵をいち早く享受するポジションを確保しています。この「ベスト・オブ・ブリード(各分野の最良企業の組み合わせ)」アプローチは、技術的不確実性の高い脱炭素プロジェクトにおいて、リスクを分散しつつ成功確率を高めるための極めて合理的な経営判断です。
ダウは、自社の技術的優位性を脅かす侵害行為に対して、極めて強力な法的対抗措置を講じることで知られています。特許権は単なる「防衛の盾」ではなく、競合他社の利益を吐き出させる「攻撃の剣」として運用されています。
ケーススタディ:Dow Chemical Canada ULC v. Nova Chemicals Corp.
ダウの立ち位置を明確にするため、主要競合であるBASF(ドイツ)およびLyondellBasell(オランダ/米国)との比較を行います。
表6:主要競合3社のR&D・財務・技術戦略比較(2023-2024)
|
指標 |
Dow Inc. |
BASF SE |
LyondellBasell (LYB) |
|
売上高 (2023) |
446億ドル |
689億ユーロ (約744億ドル) |
411億ドル |
|
R&D投資額 (2023) |
8.29億ドル (対売上 1.9%) |
21.3億ユーロ (対売上 3.1%) |
1.3億ドル (対売上 0.3%) ※純粋研究費のみ、関連費除く可能性あり |
|
特許戦略 |
集中型: ポリオレフィン、ウレタン、シリコーンに特化。質が高い。 |
全方位型: 化学全般をカバー。絶対数が圧倒的。 |
プロセス主導型: 触媒技術とプロセス効率化に重点。 |
|
リサイクル技術 |
パートナーシップ (Mura): 外部技術(HydroPRS)導入でリスク分散。オフテイク中心。 |
ChemCycling: 熱分解油の利用。自社およびパートナー(Quantafuel等)併用。 |
自社開発 (MoReTec): 独自の触媒熱分解技術。ドイツで商用機建設中(2026稼働)。 |
|
脱炭素アプローチ |
Path2Zero: 「水素燃焼+CCS」による既存プロセスの転換。北米有利。 |
電化 (Electrification): 巨大ヒートポンプやe-furnace(電気分解炉)の開発に注力。欧州中心。 |
Circular Focus: サーキュラー製品(Circulen)の拡大に資源集中。 |
対 BASF:
BASFはダウの約3倍近いR&D資金を投入しており、基礎研究の厚みと広さでは圧倒的です。しかし、ダウは「パッケージング」や「インフラ」といった特定のアプリケーション領域において、特許の被引用数などの「質」でBASFに対抗しています。また、脱炭素のアプローチにおいて、BASFが再生可能エネルギー由来の電力を用いた「電化」に注力しているのに対し、ダウは北米の安価なガス資源を活かした「水素+CCS」に賭けている点が決定的に異なります。これは、各社が拠点を置く地域(欧州 vs 北米)のエネルギー事情を反映した技術戦略です。
対 LyondellBasell (LYB):
LYBは、リサイクル技術「MoReTec」において自社技術の開発と保有(内製化)を強力に進めています。これに対し、ダウはMura Technology社との提携に見られるように、外部技術を活用するエコシステム型のアプローチを採っています。LYBが「技術のブラックボックス化」による差別化を狙う一方、ダウは「技術の社会実装スピード」と「投資負担の軽減」を重視しており、この戦略の違いが数年後のリサイクル市場における覇権争いにどう影響するかが注目されます。
ダウが公表しているIR資料および技術リリースに基づく、今後の主要なマイルストーンは以下の通りです。
本調査の範囲において、以下の事項については公開情報から確証が得られませんでした。経営層への報告にあたり、これらの「情報の空白」は追加調査が必要な領域です。
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本レポートは、公開情報をAI技術を活用して体系的に分析したものです。
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