3行まとめ
AI需要予測で粗利益率44.7%達成、在庫予測サイクルを6ヶ月から30分に短縮
Celect・Datalogue買収で獲得したAI需要予測技術により、ハイパーローカルな需要予測を実現。過剰在庫によるマークダウン削減と正価販売率向上で、FY2024の粗利益率は前年比110ベーシスポイント増を記録した。
Flyknit特許でLululemonに勝訴、デジタル特許が全体の44%を占める質的変化
2025年3月、Flyknit関連特許(US 8,266,749)を武器にLululemonへの侵害訴訟で勝訴。特許ポートフォリオは製造業から情報産業へシフトし、ブロックチェーンやAR関連の「デジタル化」特許が44%を占めるまでに拡大している。
サステナビリティとデジタル統合が次の投資軸、リサイクル技術のオープンイノベーションを加速
「Move to Zero」で2025年までに温室効果ガス0.5百万トン削減を目標に掲げ、SyreやLoop Industriesと循環型ポリエステルの供給契約を締結。RTFKTの技術資産を.SWOOSHプラットフォームに統合し、メタバース領域での新たな収益源確立を目指す。
この記事の内容
NIKE, Inc.(以下、NIKE)の財務構造は、過去5年間にわたる「Consumer Direct Acceleration(CDA)」戦略の実行により、従来の卸売中心モデルから技術主導型の直販(DTC)モデルへと不可逆的な変貌を遂げています。2024年5月期(FY2024)の決算において、総売上高は514億ドルに達し、前年比で微増(為替変動の影響を除き1%増)を維持しましたが、その内訳と利益構造には技術投資の明確な成果と課題が混在しています 1。特筆すべきは粗利益率(Gross Margin)の改善であり、前年比110ベーシスポイント増の44.7%を記録しました 1。この利益率向上の背景には、単なる価格転嫁だけでなく、サプライチェーンのデジタル化による「値引き販売の抑制」と「在庫回転率の最適化」が存在します。
NIKEは、2019年のCelect社および2021年のDatalogue社の買収を通じて獲得したAI需要予測技術(Demand Sensing)を全社的に実装しました 2。これにより、従来6ヶ月を要していた在庫需要予測サイクルを30分単位にまで短縮し、特定の市場や店舗における「ハイパーローカル」な需要をピンポイントで予測することが可能となりました 4。結果として、過剰在庫によるマークダウン(値下げ)処分が減少し、正価販売率(Full-price sell-through)が向上したことが、売上原価の上昇圧力を吸収し利益率を押し上げる要因となっています 1。一方で、デジタルチャネルであるNIKE Directの売上は第4四半期に8%減少しており 1、デジタル・トラフィックの獲得コスト上昇や競争激化といった新たな課題も浮き彫りになっています。これは、技術投資が「効率化」には寄与しているものの、「トップラインの爆発的成長」を牽引するフェーズから、より成熟した運用フェーズへと移行しつつあることを示唆しています。
NIKEの技術開発ポートフォリオは、物理的な製品製造の自動化と、デジタル空間における顧客体験の拡張という二つの極に集中しています。物理領域においては、「Flyknit」技術が依然として中核を占めています。これは、高強度の糸を精密に制御された編み機で一体成型する技術であり、従来の裁断・縫製プロセスで発生していた材料廃棄物を大幅に削減すると同時に、労働集約的な工程を自動化するものです 5。さらに、2024年4月には新たな3Dプリンティング関連特許(米国特許第12,226,973号)が付与されており、デジタルデザインをファブリック上に直接印刷し、ソール構造までを一体化させる製造プロセスの実用化が進んでいます 7。
デジタルサービス領域では、Web3とメタバースへの進出が戦略的な転換点を迎えています。2021年に買収したRTFKTスタジオを通じて蓄積したNFT(非代替性トークン)やブロックチェーン技術は、自社プラットフォーム「.SWOOSH」へと統合されつつあります 8。2025年1月をもってRTFKTのブランド運営を終了するという決定は 10、投機的なデジタル資産販売から、ゲーム内ウェアラブル(In-Game Wearables)や実製品と連動したデジタルツイン(Phygital)の提供といった、より実需に基づいたビジネスモデルへの移行を意味します 11。また、Invertex社の買収により獲得したコンピュータビジョン技術は「Nike Fit」としてアプリに実装され、顧客の足をスキャンして最適なサイズを推奨することで、ECにおける返品率削減という具体的な課題解決に貢献しています 12。
NIKEの特許ポートフォリオは、量的な拡大だけでなく、その質において「製造業」から「情報産業」へのシフトを鮮明に反映しています。従来の特許出願がソール構造(Air technology)やクッション素材に集中していたのに対し、近年の出願傾向は製造プロセス(Method of manufacturing)およびデータ処理(Data processing)へと多様化しています。特にFlyknitに関連する特許群(例:米国特許第8,266,749号)は、完成品のデザインだけでなく「編み方」そのものを権利化しており、他社が同様のニットシューズを製造する際の回避を極めて困難にしています 14。
さらに、米国特許商標庁(USPTO)のデータベース分析によれば、NIKEは「Cryptographically secured digital assets(暗号化されたデジタル資産)」に関する特許(米国特許第10,505,726号)を取得しており 16、これは物理的な靴のIDとデジタル資産をブロックチェーン上で紐付けるシステムをカバーしています。また、拡張現実(AR)に関連するG06T(画像データ処理)やG06Q(データ処理システム)といったCPC分類コードの出願が増加しており 17、NIKEが自身をハードウェアとソフトウェアを融合させたテクノロジープラットフォーマーとして法的に定義しようとしていることが読み取れます。これらの特許は、単なる技術保護にとどまらず、将来的なデジタル市場における「プラットフォーム使用料」や「ライセンス収益」の源泉となる可能性を秘めています。
NIKEは、圧倒的なR&D投資規模と攻撃的な特許訴訟戦略により、競合他社に対する技術的参入障壁(Moat)を構築しています。Lululemonとの係争においては、2025年3月に連邦陪審員がNIKEの特許権侵害を認め、Lululemonに対し損害賠償の支払いを命じる評決を下しました 14。これは、アパレルブランドがフットウェア市場に参入する際の技術的ハードルがいかに高いかを如実に示す事例となりました。また、Adidasとの長年にわたるFlyknit対Primeknitの特許紛争も2022年に和解に至り、NIKEの基本特許の有効性が間接的に維持された形となりました 5。
しかし、ビジネスモデルの観点からは、DTCへの急激なシフトが副作用をもたらしています。卸売パートナー(Wholesale)との取引縮小により、店舗棚(Shelf space)におけるNIKE製品の露出が減少し、その隙間をHokaやOn Runningといった新興の高機能ランニングブランドが埋める結果となりました 21。これらの新興ブランドは、特定の機能(厚底クッションや独自のクラウド技術)に特化することでニッチ市場を切り崩しており、NIKEが持つ「全方位的な技術ポートフォリオ」が、必ずしも特定のカテゴリーにおける絶対的な優位性を保証しないという現実を突きつけています。2024年以降、NIKEは卸売チャネルとの関係再構築を模索しており、技術的優位性を市場シェアに再転換するための流通戦略の修正が急務となっています。
今後のR&D投資は、「サステナビリティ(Sustainability)」と「デジタル基盤の統合(Integration)」という二つの主要テーマに収斂していきます。環境負荷低減を目指す「Move to Zero」イニシアチブの下、2025年までに温室効果ガス排出量を0.5百万トン削減し、廃棄物の100%を埋め立てから転換するという野心的な目標が設定されています 23。これを実現するための技術投資として、2024年にはSyreおよびLoop Industriesとの間で、繊維廃棄物からポリエステルを再生するケミカルリサイクル技術に関する大規模な供給契約を締結しました 24。これは、NIKEがリサイクル技術を自社開発するのではなく、有望なスタートアップの技術をサプライチェーンに組み込む「オープンイノベーション」戦略を加速させていることを示しています。
組織面では、2025年10月に「イノベーション、デザイン、製品」の各チームを統合した新たな「クリエーション・エンジン」を発足させました 26。これは、分断されていた開発プロセスを一元化し、アスリートのデータから製品化までのリードタイムを劇的に短縮することを目的としています。デジタル領域では、RTFKTの技術資産を「.SWOOSH」へと完全移行し、ポリゴン(Polygon)ブロックチェーンを活用したデジタルアイテムの取引基盤を強化することで、ゲームやメタバース空間における新たな収益源の確立を目指しています 11。
NIKEの財務報告において、技術開発やイノベーションへの投資は単一の「研究開発費(R&D)」勘定としては開示されていません。これらのコストは、主に「Demand Creation Expense(需要創出費)」および「Operating Overhead Expense(運営間接費)」、あるいは「Global Brand Divisions」セグメントの費用として計上されています。特に「Product Creation(製品創出)」やデジタルプラットフォームへの投資は、Operating Overheadの増加要因として頻繁に言及されています 28。
以下の表は、NIKEのイノベーション投資の規模感を把握するための代替指標として、関連する財務項目の推移をまとめたものです。
表1:NIKE, Inc. イノベーション関連投資および主要財務指標の推移 (Fiscal Years ended May 31)
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項目 (単位: 百万ドル) |
FY2020 |
FY2021 |
FY2022 |
FY2023 |
FY2024 |
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総売上高 (Revenues) |
37,403 |
44,538 |
46,710 |
51,217 |
51,362 |
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売上総利益率 (Gross Margin) |
43.4% |
44.8% |
46.0% |
43.5% |
44.7% |
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需要創出費 (Demand Creation Expense) |
3,592 |
3,114 |
3,850 |
4,060 |
4,300 |
|
運営間接費 (Operating Overhead Expense) |
9,534 |
9,911 |
10,954 |
12,317 |
12,300 |
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対売上高間接費率 |
25.5% |
22.3% |
23.5% |
24.0% |
23.9% |
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主な技術的マイルストーン |
Celect統合開始
CDA戦略発表 |
Datalogue買収
データ統合基盤強化 |
RTFKT買収
Web3参入 |
.SWOOSH開始
メタバース展開 |
Syre/Loop提携
RTFKT統合開始 |
詳細解説:
NIKEの「Operating Overhead Expense」は、FY2020からFY2024にかけて約29億ドル増加しています。この増加の背景には、Celect(2019年)、Datalogue(2021年)、RTFKT(2021年)といった一連のテクノロジー企業買収と、それに伴う統合費用(PMI)、およびデータサイエンスチームの人件費増強があります 2。特にFY2023には前年比で約14億ドルの大幅な増加を記録しており、これはデジタル変革(DX)への投資がピークに達した時期と重なります。
しかし、FY2024においてはOperating Overheadが123億ドルと横ばい(Flat)に推移しました。NIKEの公式発表によれば、賃金関連費用の上昇があったものの、「テクノロジー関連支出の減少(lower technology spend)」と「組織再編によるコスト削減」が相殺したと説明されています 1。これは、過去数年間のインフラ構築フェーズが一段落し、投資回収と効率化のフェーズに入ったことを示唆しています。一方で、Demand Creation ExpenseはFY2024に6%増加しており、開発されたイノベーションを市場に浸透させるためのブランドマーケティングには引き続き資金が投下されています。
比較対象として、Adidasの2023年度の研究開発費(R&D Expenses)は1億5,100万ユーロ(約1.6億ドル)であり 33、NIKEのOperating Overhead規模と比較すると桁が異なります。NIKEの投資規模は、単なる製品開発を超え、サプライチェーン全体のデジタル化を含む巨大なシステム投資であることを物語っています。
企業のトップメッセージは、技術戦略の方向性を決定づける羅針盤です。過去数年間のCEOの発言からは、NIKEが「テクノロジー企業」としてのアイデンティティを確立しようとする強い意志と、その後の軌道修正が読み取れます。
ブロック引用:John Donahoe (President & CEO, 2020-2024)
"We are taking our near-term challenges head-on, while making continued progress in the areas that matter most to NIKE's future – serving the athlete through performance innovation, moving at the pace of the consumer and growing the complete marketplace."
(我々は、NIKEの将来にとって最も重要な分野、すなわちパフォーマンス・イノベーションを通じてアスリートに貢献し、消費者のペースに合わせて動き、市場全体を成長させることにおいて継続的な進歩を遂げながら、短期的な課題に真っ向から取り組んでいる。)
1
"Our investment in innovation and our digital leadership are fueling broad-based growth across our portfolio of brands, as we create value by serving the future of sport."
(イノベーションへの投資とデジタル・リーダーシップは、スポーツの未来に貢献することで価値を創造し、ブランド・ポートフォリオ全体にわたる広範な成長を加速させている。)
29
ブロック引用:Elliott Hill (President & CEO, 2024-Present)
"Most importantly, we have a world-class team that is passionate, highly talented, and fully committed to our mission. Our entire team is ready to run toward something bigger and write the next great chapter for Nike."
(最も重要なことは、情熱的で非常に才能があり、我々のミッションに完全にコミットしているワールドクラスのチームがあることだ。チーム全員が、より大きな何かに向かって走り出し、NIKEの次の偉大な章を記す準備ができている。)
31
詳細解説:
John Donahoe前CEOの在任期間(2020-2024)は、NIKEが最も「シリコンバレー的」なアプローチをとった時代でした。「Digital Leadership」という言葉が多用され、メタバースやWeb3への積極的な投資が行われました。彼のバックグラウンド(ServiceNowやeBayのCEO経験)が、NIKEをデータドリブンなプラットフォーム企業へと変革する原動力となりました。
一方、2024年後半に就任したElliott Hill新CEOのメッセージは、より人間中心的であり、「チーム」や「ミッション」への回帰を強調しています。これは、過度なデジタル化によって希薄化した現場の士気や、卸売パートナーとの関係修復を優先する姿勢の表れと解釈できます。RTFKTの終了決定もこの文脈で理解することができ、技術を「目的」とするのではなく、あくまで「アスリートと製品を支える手段」として再定義する戦略的揺り戻しが起きています。
NIKEの技術開発は、物理的な製品の「作り方」を変える製造革新と、製品の「届け方・体験」を変えるデジタル革新の二軸で進行しています。
表2:NIKEの重点技術領域と実装状況
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技術領域 |
プロジェクト/ブランド |
技術概要と特許的背景 |
製品への実装状況 |
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Advanced Manufacturing |
Flyknit |
概要: 高強度の糸を一本の連続したアッパーとして編み上げる技術。従来の裁断・縫製工程を排除し、廃棄物を60%以上削減。
関連特許: US 8,266,749 (製造方法), US 9,375,046 (埋め込み引張要素) 5 |
ランニング、サッカー(Mercurial)、バスケットボールシューズ全般に展開。Lululemon等への訴訟の核心技術。 |
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Automated Design |
3D Printing / Manuf. |
概要: デジタルデータから直接3Dプリンターで靴のアッパーやソールを形成。接着剤や縫製を不要にする。
関連特許: US 12,226,973 (2024年付与: 3D printed footwear process) 7 |
「Vapor Laser Talon」等の高性能スパイクや、プロトタイピングの高速化に適用。 |
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Digital Experience |
Nike Fit / AR |
概要: スマートフォンのカメラとコンピュータビジョンを用い、足の形状をミリ単位でスキャンしてサイズ推奨を行う。
関連技術: Invertex買収による技術統合 12 |
NIKE公式アプリに標準機能として実装。EC返品率の低下に貢献。 |
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Web3 / Digital Assets |
.SWOOSH |
概要: ポリゴン(Polygon)ブロックチェーン基盤のデジタルアイテム取引・共創プラットフォーム。
関連特許: US 10,505,726 (Cryptographically secured digital assets) 16 |
「Our Force 1」などのバーチャルスニーカー販売、フォートナイト等のゲーム内ウェアラブル連携 11。 |
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Demand Sensing |
Celect Integration |
概要: 高次元データ分析による需要予測。AIが気象、イベント、トレンドを分析し、ローカルな需要を予測。
関連技術: Celect買収技術 2 |
グローバルサプライチェーン全体の在庫配分システムに統合。予測リードタイムを数ヶ月から30分に短縮 4。 |
詳細解説:
Flyknit技術は、NIKEの知財戦略における「城壁」です。特許第8,266,749号(通称 '749特許)は、単に編み込みシューズのデザインを保護するだけでなく、「異なるテクスチャを持つエリアを単一の編み工程で同時に形成する製造方法」を包括的に権利化しています 14。この特許の強力さは、完成品の見た目を模倣するだけでなく、効率的な製造プロセスそのものを他社が採用することを防ぐ点にあります。Lululemonがランニングシューズ市場に参入した際、NIKEはこの特許を武器に即座に提訴し、2025年の勝訴につなげました。
また、2024年4月に付与された3Dプリンティング関連特許(US 12,226,973)は、NIKEが製造の未来を見据えていることを示しています 7。この技術は、アッパー素材の上に直接ポリマーを印刷し、ソール構造を一体成型するもので、従来のアセンブリ工程(接着・圧着)を根底から覆す可能性を持っています。これにより、接着剤の使用削減(環境負荷低減)と、完全自動化工場での生産が可能になります。
NIKEの特許出願ポートフォリオは、物理的な「A43B(履物)」から、デジタル処理を示す「G06(コンピューティング)」系列へとその重心を拡大しています。
表3:NIKEの特許・IPポートフォリオの特性と主要CPC分類
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分類 |
主要CPCコード/分類名 |
内容とビジネス上の意味 |
最近の動向 (2024-2025) |
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A43B |
Footwear Characteristics |
靴の構造、素材、機能性に関する基本特許。 |
「脱ぎ履きが容易な構造(Easy on/off)」においてSkechersと激しく競合 35。 |
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D04B |
Knitting |
Flyknit関連の編み機、編み方、テキスタイル構造。 |
基本特許網が完成し、権利行使(訴訟)による市場防衛フェーズに移行。 |
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G06Q |
Data Processing (Admin/Financial) |
在庫管理、サプライチェーン、NFT取引管理システム。 |
ブロックチェーンを用いた製品追跡や在庫管理に関する出願が増加 17。 |
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G06T |
Image Data Processing |
AR、3Dモデリング、仮想現実、Nike Fit。 |
「G06T 19/006 (Mixed Reality)」分類での出願が増加。AR試着やメタバース体験の基盤技術 17。 |
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H04L |
Transmission of Digital Info |
暗号化通信、ブロックチェーンセキュリティ。 |
デジタル資産(Cryptokicks)の所有権移転プロトコル 17。 |
詳細解説:
2024年第1四半期のデータによれば、NIKEの特許付与シェアにおいて「デジタル化(Digitalization)」をテーマとするものが44%を占めるに至っています 37。特に重要なのが、特許 US 10,505,726 B1「Cryptographically secured digital assets」です。この特許は、物理的な靴を購入すると同時に、その靴のユニークID(デジタルツイン)が生成され、EthereumERC-721トークンのようにブロックチェーン上で所有権が管理されるシステムを記述しています 16。
この特許には、デジタル靴同士を交配(Breed)させて新しい靴のデザインを生成する機能(CryptoKittiesのようなメカニズム)も含まれており、NIKEが単なるNFT販売だけでなく、デジタル資産の生成・流通・管理のエコシステム全体を特許で押さえようとしていることが分かります。これは、StockXのような二次流通プラットフォームが、NIKEの許可なくNFTを生成・販売することを防ぐための法的な「地雷原」として機能します。
NIKEの知財戦略は、特許を「守り」に使うだけでなく、ビジネスモデルを「売り切り」から「継続的な最適化」へと変革するドライバーとして機能しています。
NIKEは自社開発にこだわらず、必要な技術ピースを外部から迅速に取り込む「Buy vs. Build」戦略を明確にしています。
表4:主要な技術獲得を目的としたM&Aおよびパートナーシップ
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対象企業/組織 |
時期 |
カテゴリ |
獲得技術・戦略的狙い |
現在のステータス |
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Celect |
2019年8月 |
AI/Analytics |
マサチューセッツ工科大学(MIT)教授らが設立。非構造化データを用いた需要予測技術 2。 |
NIKEグローバルオペレーションチームに完全統合。在庫最適化の中核エンジンとして稼働。 |
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Datalogue |
2021年2月 |
Data Integration |
異なるソースのデータを機械学習で自動統合するプラットフォーム。アプリデータとサプライチェーンデータの即時連携 3。 |
CDA戦略のデータパイプライン基盤として稼働中。 |
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RTFKT |
2021年12月 |
Web3/Metaverse |
バーチャルスニーカー、NFT制作。デジタルネイティブなクリエイターコミュニティとDAO的運営ノウハウ 40。 |
2025年1月末でブランド運営終了。技術資産とコミュニティは「.SWOOSH」へ吸収 10。 |
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Invertex |
2018年4月 |
Computer Vision |
イスラエルのコンピュータビジョン企業。足の3Dスキャンと解剖学的モデリング技術 12。 |
「Nike Fit」機能としてNIKEアプリに実装済み。 |
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Syre |
2024年 |
Sustainability |
繊維to繊維(Textile-to-textile)の循環型ポリエステル製造技術。H&Mグループ等が出資 24。 |
戦略的サプライヤー契約締結。将来の素材調達基盤としてベトナム工場からの供給を予定。 |
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Loop Industries |
2024年 |
Sustainability |
低価値の廃プラスチックや繊維から高純度の再生樹脂を製造する解重合技術 24。 |
インドの「Infinite Loop」施設からの供給契約締結。 |
詳細解説:
RTFKTの買収とその後の終了プロセスは、NIKEのデジタル戦略における重要なケーススタディです。2021年のNFTブーム時に買収し、CloneXなどのヒット作を生み出しましたが、市場の沈静化と共に2025年にブランドを閉鎖する決断を下しました。しかし、これは失敗ではなく「統合」と見るべきです。NIKEはRTFKTを通じてブロックチェーン上での商取引やコミュニティ形成のノウハウを吸収し、それをより広範な顧客層向けの自社プラットフォーム「.SWOOSH」に移植しました 10。
また、2024年のSyreおよびLoop Industriesとの提携は、NIKEのサプライチェーン戦略の要です。ポリエステルはNIKE製品の主要素材ですが、原油由来のバージン材に依存することは環境リスクとコスト変動リスクの両方を招きます。これらのスタートアップと長期供給契約を結ぶことで、NIKEは「廃棄物を原料とする」安定したサプライチェーンを確保し、素材コストの脱炭素化と安定化を同時に進めようとしています 42。
NIKEの法務部門は、獲得した特許ポートフォリオを極めて攻撃的に活用し、競合他社の製品展開を牽制しています。
表5:主要な知財係争の記録
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相手方 |
争点 (対象製品/特許) |
状況・結果 |
主な主張・判決内容 (原文引用含む) |
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Lululemon |
Flyknit侵害
Chargefeel, Blissfeel等
Patent: US 8,266,749他 |
NIKE勝訴
(2025年3月)
賠償額: $355,450 |
陪審員はLululemonの製品がNIKEの'749特許を侵害していると認定。ただし、NIKEが求めた売上の5%(約280万ドル)ではなく、合理的ロイヤリティとして約35万ドルの支払いを命じた。
Quote: "The jury found in Nike's favor that Lululemon infringed Nike's '749 patent... awarded Nike damages in the amount of $355,450" 14 |
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Adidas |
Flyknit vs Primeknit
Patent: US 8,266,749, 7,814,598 |
和解
(2022年8月) |
米国ITCへの提訴、ドイツでの訴訟、特許無効審判の応酬の末、両社は全紛争を取り下げることで合意。和解条件は非開示だが、相互のビジネス継続を優先。
Quote: "Adidas and Nike reached an agreement to settle all on-going patent disputes and dismiss all claims" 20 |
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StockX |
NFT商標権侵害/偽造品
Nikeの靴画像をNFT化して販売 |
和解
(2025年8月) |
NIKEはStockXが販売した靴に偽造品が含まれていたことを証明(37足)。StockXの「100%本物保証」に対する虚偽広告主張は退けられたが、最終的に和解により全請求を取り下げ。
Quote: "StockX had indeed sold 37 counterfeit pairs of Nike sneakers... all claims are dismissed with prejudice" 45 |
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Skechers |
デザイン/技術特許
Slip-ins技術等の模倣主張 |
継続中 |
NIKEはSkechersが「competitor's designsをコピーするビジネスモデル」であると主張し、複数の特許侵害で提訴中 35。 |
詳細解説:
Lululemonに対する2025年の勝訴は、金額こそ少額(NIKEの規模からすれば誤差範囲)ですが、戦略的勝利と言えます。これにより、アパレル企業が安易にニットシューズ市場に参入することに対し、「特許侵害リスク」という高い参入障壁を設置しました。Lululemon側は控訴の意向を示していますが、第一審での侵害認定はNIKEの特許網の強固さを証明するものです 48。
StockXとの訴訟において、NIKEは「NFTは単なるデジタルレシートではなく、NIKEブランドを冠した商品である」という立場を貫きました。和解により明確な司法判断は避けられましたが、StockXがその後NFT関連のプログラムを縮小している現状を見れば、NIKEの実質的な目的(二次流通プラットフォームによるブランドただ乗りの阻止)は達成されたと言えます。
NIKEは、模倣品対策として物理とデジタルを融合させたトレーサビリティ・システムの構築を進めています。Auburn大学のRFIDラボと共同で実施した「Project CHIP」では、RFIDタグとブロックチェーンを組み合わせ、製造から販売までの全データをシリアル化して追跡する実証実験を行いました 49。また、NIKEの特許 US 10,505,726では、製品の真正性を証明するために、物理製品のIDとブロックチェーン上のトークンをペアリングする仕組みが詳述されています 17。これにより、真正品のみがデジタル空間(メタバースやゲーム)で利用可能となるインセンティブ設計を行い、消費者を正規ルートへと誘導する「守りのDX」を展開しています。
NIKEの戦略を、主要な競合であるAdidas、Lululemon、Under Armourと比較することで、その独自性を浮き彫りにします。
表6:主要競合4社の技術・財務・戦略比較 (2023-2024データ)
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指標 |
NIKE (FY24) |
Adidas (FY24 Forecast/Result) |
Lululemon (FY23) |
Under Armour (FY24) |
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売上高 |
$51.4 Billion 1 |
€21.4 Billion (FY23) 33 |
$9.6 Billion 51 |
$5.7 Billion 52 |
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R&D/Innovation投資 |
~$878 Million (推計) / Tech含むOverheadは巨額 |
€151 Million (FY23) 33 |
不開示 (Product Design費として管理) 51 |
~$140 Million (推計) 22 |
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技術的焦点 |
Flyknit (製造), Digital (App/Web3), Demand Sensing |
4D (3D Print), Bio-materials, ADIZERO (Running) |
Fabric (素材開発), Connected Fitness (Mirror) |
Connected Footwear, Fabric Performance |
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主な知財係争 |
対Lulu, Skechers, StockX (攻撃的) |
対Nike (防衛・和解) |
対Nike (防衛・敗訴) |
目立った大型訴訟なし |
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DTC/Digital比率 |
DTC売上比率 約44% 22 |
DTC推進中だが卸売回帰も示唆 |
DTC比率 45% (高水準) |
DTC比率 42% 52 |
詳細解説:
NIKEの強みは「規模」と「技術の垂直統合」です。Adidasも3Dプリンティング(4Dソール)やバイオ素材に投資していますが、R&D投資額の絶対値(約1.5億ユーロ)においてNIKE(推計で数倍〜十倍規模のテクノロジー投資)には及びません 33。Adidasは「ADIZERO」シリーズでランニング市場での存在感を取り戻しつつありますが、NIKEのような「AIによる全社的需要予測」や「ブロックチェーンプラットフォーム」といったバックエンドの巨大システム投資には至っていません。
Lululemonは、素材(Fabric)の開発力には定評がありますが、フットウェアという新領域においてNIKEの特許網に捕まりました。また、買収したConnected Fitness事業(Mirror)が不振に終わり、ハードウェアとソフトウェアの融合においてはNIKEほどの成功を収めていません。Under Armourは売上規模が小さく、投資余力が限られるため、既存技術の改良に留まっている印象です。
NIKEの課題は、巨大なDTC投資に見合うリターンを維持できるかです。On RunningやHokaといった新興勢力は、特定の機能(クッション性など)に特化し、卸売チャネルを通じて急速にシェアを伸ばしています。NIKEの「全方位戦略」に対し、これらの「ゲリラ戦」を仕掛ける競合への対応が、今後の市場シェア防衛の鍵となります。
NIKEが公表している中期的な技術・サステナビリティ目標は以下の通りです。
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