3行まとめ
3つのメガトレンドへの事業再編と2026年の会社分割
ハネウェルは「オートメーション」「航空宇宙の未来」「エネルギー転換」の3つのメガトレンドに沿って事業を再編し、2026年後半に3つの独立した上場企業へ分割する計画を進めている。
世界最大級の特許ポートフォリオでソフトウェア企業へ変革
全世界で約29,109件の特許を保有し、その84%以上がアクティブな状態で維持されており、物理製品とソフトウェアを融合させる「ソフトウェア・インダストリアル企業」への変革を支えている。
外部技術の戦略的取り込みによるIPエコシステム構築
Honeywell Venturesによる量子コンピューティングなどへの投資や、Carrier社セキュリティ事業の49.5億ドルでの買収など、外部の先進技術とIPを積極的に獲得し、ハイブリッド型イノベーションエンジンを構築している。
この記事の内容
本レポートは、Honeywell International Inc.(以下、ハネウェル)の知的財産(IP)戦略について、一次情報を基に網羅的かつ分析的に詳述するものです。同社のIP戦略は、単なる技術保護の枠を超え、企業全体の事業変革を加速させるための能動的かつ戦略的なツールとして機能していることが明らかになりました。
ハネウェルの知的財産(IP)戦略を理解するためには、まず同社が現在推進している大規模な事業変革の文脈を把握することが不可欠です。近年のハネウェルは、伝統的な製造業の枠組みから脱却し、物理的な製品とソフトウェアを高度に融合させた「ソフトウェア・インダストリアル企業」へと変貌を遂げつつあります⁵。この変革の核心には、企業全体の方向性を規定する明確なビジョンと、それを支えるIP戦略の基本方針が存在します。本章では、ハネウェルの事業戦略の転換点を概観し、IPがその中でどのような役割を担うよう再定義されたのかを分析します。
2023年10月、ハネウェルは事業セグメントを「オートメーション」「航空宇宙の未来」「エネルギー転換」という3つの強力なメガトレンドに沿って再編する計画を発表しました¹⁸˒ ᵇ²。この決定は、単なる組織変更に留まらず、同社の経営資源、特に研究開発投資とIP創出活動の焦点を、長期的な成長が見込まれる分野に集中させるという明確な意思表示です。この戦略的ピボットは、同社が独自に開発した経営オペレーティングシステム「Honeywell Accelerator」と、統合ソフトウェアプラットフォームである「Honeywell Connected Enterprise (HCE)」によって技術的に下支えされています⁴˒ ¹⁸˒ ᵇ²。HCEは、顧客の資産、人材、プロセスを接続し、運用パフォーマンスやサステナビリティを向上させるためのソフトウェアソリューション群「Honeywell Forge」を提供しており、ハネウェルのデジタル化戦略の中核を成しています²⁶。このソフトウェアプラットフォームの競争力は、その基盤となるアルゴリズム、データ分析モデル、ユーザーインターフェースなど、多岐にわたるIPによって担保されていると見られます。
さらに、この事業ポートフォリオの再編は、2026年後半の完了を目指す3つの独立した上場企業(オートメーション、航空宇宙、先進材料)への会社分割計画へと繋がっています¹⁶˒ ¹⁷˒ ⁶⁵˒ ⁷⁵˒ ⁷⁶。この大規模な組織再編は、各事業領域がより高い専門性と機動性を持ち、それぞれの市場環境に即したIP戦略を追求することを可能にすると期待されます。一方で、これまで一体として管理されてきた膨大なIPポートフォリオを、各社の事業戦略に最適化する形で分割・再編するという、極めて複雑な課題も内包しています。このプロセスは、今後の各社の競争力を左右する重要な経営判断となるでしょう。
このような事業変革の背景には、より高い成長率と収益性を追求する経営目標があります。ハネウェルは2022年に長期的な財務目標を引き上げ、年平均4%から7%のオーガニック成長と、40から60ベーシスポイントの利益率拡大を目指す方針を掲げました⁴˒ ⁸⁴。注目すべきは、この目標達成に向けた施策として、2024年から全経営幹部の年間インセンティブ報酬の算定要素に「オーガニック成長」が加えられた点です⁴˒ ᵇ²。これは、模倣や価格競争に陥りやすい既存事業の延長線上ではなく、イノベーションとそれを保護するIPに裏打ちされた、付加価値の高い新たな製品・サービスによる成長を経営陣が強く求めていることの証左と言えます。
したがって、ハネウェルのIP戦略の基本方針は、もはや単なる「防衛的」な権利保護に留まるものではありません。それは、企業の成長目標を達成し、メガトレンド市場での競争優位性を確立するための「能動的」かつ「攻撃的」なエンジンとして再定義されています。具体的には、以下の3つの役割を担っていると推察されます。第一に、自社開発の革新的な製品やソフトウェアプラットフォームの競争優位性を法的に確保し、模倣を排除すること。第二に、ソフトウェアライセンスやサービス契約を通じて、高収益なリカーリング(継続的)レベニューモデルを構築・拡大すること。そして第三に、戦略的なパートナーシップ、ベンチャー投資、M&Aを通じて、外部の先進的な技術やIPを迅速に獲得し、自社の技術ポートフォリオを強化・補完することです。
この一連の動きは、ハネウェルのIP戦略が、企業の高次な経営戦略と不可分に結びついていることを示しています。IPポートフォリオは、もはや過去の発明の記録ではなく、未来の成長市場を勝ち抜くための戦略的資産として積極的に管理・活用されているのです。次の章以降では、この基本方針が具体的にどのように組織体制やポートフォリオ構築、事業活動に反映されているかを詳細に分析していきます。
当章の参考資料
ハネウェルの知的財産(IP)戦略が、企業の成長と変革を支える能動的な役割を担っていることを理解するためには、まずそのIP資産の全体像と、それを創出し管理する組織体制を把握することが不可欠です。同社は、1世紀以上にわたる技術革新の歴史を通じて、質・量ともに世界有数のIPポートフォリオを構築してきました。本章では、このポートフォリオの規模や地理的分布などの定量的側面を明らかにするとともに、IPのライフサイクル全体(創出、権利化、維持、活用)を担う組織的な仕組みを分析します。
まず、ハネウェルのIPポートフォリオの規模は極めて大きいことが確認されています。二次情報源の分析によれば、同社は全世界で合計約29,109件の特許を保有しており、これらは11,682件のユニークな特許ファミリーに属しています¹¹˒ ³⁴˒ ⁷⁰˒ ⁷⁹。このうち、権利が有効なアクティブな特許は21,645件、全保有特許の84%以上を占めており、ポートフォリオが陳腐化することなく、活発に維持・管理されていることが示唆されます¹¹˒ ³⁴。地理的な出願分布を見ると、最も多くの特許が登録されているのは本拠地である米国(約11,625件)であり、次いで欧州(約5,052件)、中国(約3,399件)と続きます¹¹˒ ³⁴。この分布は、ハネウェルの主要な事業展開地域と一致しており、研究開発、製造、販売の拠点がある重要市場において、事業活動を保護するためのIP網を戦略的に構築していることを示しています。また、米国特許商標庁(USPTO)における特許査定率が約81.5%と高い水準にあることも報告されており、これは出願される発明の質が高く、権利化に向けた手続きが適切に行われていることの表れと考えられます¹¹˒ ³⁴。
こうした膨大な特許ポートフォリオを効率的に管理し、その価値を最大化するための現代的な手法として、ハネウェルは「バーチャルパテントマーキング(VPM)」を導入しています⁹˒ ⁷³˒ ¹¹⁵˒ ᵇ¹⁴˒ ᵇ¹⁹。これは、製品自体やその包装に個別の特許番号を記載する代わりに、「Patent」または「Pat.」という表示と共に、関連特許リストを掲載したウェブサイトのアドレス(URL)を記載する手法です¹¹⁴˒ ¹¹⁸。この方法は、2011年の米国発明法(AIA)によって正式に認められたもので、複数の特許に保護された製品や、特許情報が頻繁に更新される製品について、表示の更新コストを大幅に削減できる利点があります¹¹⁴˒ ¹¹⁹。さらに法的な観点からは、VPMは第三者に対して特許の存在を告知する「擬制的な通知(constructive notice)」としての効力を持ち、特許侵害訴訟において損害賠償を請求する権利を確保するための重要な要件を満たすものとされています¹¹⁴˒ ¹¹⁹。ハネウェルが自社ウェブサイトにVPM専用ページを設け、製品名と関連特許番号のリストを公開している事実は、同社がIP管理の効率化と法的権利の保全を両立させるための先進的な取り組みを実践していることを示しています。
次に、これらのIP資産を創出し、管理する組織体制に目を向けます。ハネウェルのIP戦略は、単一の部門によって担われるのではなく、複数の組織が連携する複合的な体制によって推進されている点が特徴的です。この体制は、内部の技術革新と外部の技術導入を両輪とする「ハイブリッド型イノベーションエンジン」と表現することができます。
第一のエンジンは、伝統的な社内研究開発(R&D)部門です。ハネウェルは財務報告において、2023年1月1日より、従来「製品・サービス売上原価」に含めていた自社負担の研究開発費を「研究開発費」として独立した項目で開示する会計方針の変更を行いました¹²⁵。これは、研究開発投資の重要性と透明性を高める経営判断の表れと見なすことができます。この部門は、既存事業の競争力維持や、中核技術の漸進的な改良を担う、イノベーションの基盤です。
第二のエンジンは、コーポレートベンチャーキャピタル(CVC)部門であるHoneywell Venturesです。この組織の明確な目的は、ハネウェルの戦略的事業グループと連携し、新しい技術や市場、そして「知的財産」へのアクセスを提供してくれる、破壊的技術を持つアーリーステージの企業に投資することです¹³˒ ²⁵˒ ⁶¹˒ ¹¹²˒ ᵇ⁶。これは、自社単独では着手が困難な、高リスク・長期的視野に立つ基礎研究分野のイノベーションを、外部のスタートアップエコシステムを活用して効率的に取り込むための戦略的センサーであり、技術獲得チャネルとして機能しています。
第三のエンジンは、M&Aおよびポートフォリオ変革チームです。このチームは、49.5億ドルを投じたCarrier社のGlobal Access Solutions事業の買収に代表されるように⁴˒ ¹⁴⁹˒ ¹⁵⁰、特定の事業領域において、技術、IPポートフォリオ、市場シェアを一度に獲得するための大規模な「ボルトオン買収」を主導します。これにより、時間を要する有機的な成長を待たずして、市場でのリーダーシップを迅速に確立することが可能となります。
そして、これら3つのイノベーションエンジンを法的に支え、IPポートフォリオ全体を統括するのが、法務・知財部門です。この部門は、発明の出願・権利化プロセス、ポートフォリオの維持管理、ライセンス契約の交渉¹⁴、そして特許侵害訴訟への対応(防衛および攻勢)¹⁵といった、IPのライフサイクル全般にわたる専門的な業務を担います。
このように、ハネウェルの組織体制は、社内R&Dによる「自前主義」と、ベンチャー投資やM&Aによる「外部活用主義」を巧みに組み合わせた構造になっています。このハイブリッドアプローチにより、同社は既存事業の競争力を維持しつつ、次世代の破壊的技術の波に乗り遅れるリスクを低減し、同時に市場構造を大きく変えるような戦略的買収を断行する柔軟性を確保しています。IP戦略は、この複合的な組織体制を通じて、単なる権利の束としてではなく、企業の成長を多角的にドライブする動的な資産として管理されているのです。
当章の参考資料
ハネウェルの知的財産(IP)戦略は、単一の戦術ではなく、技術領域、収益モデル、パートナーシップ、M&Aという複数の側面から構成される複合的なアプローチです。本章では、これらの切り口から同社のIP戦略を多角的に分析し、無形資産が事業価値の創出にどのように貢献しているかを具体的に解き明かします。各分析は、同社のメガトレンド戦略との関連性を常に念頭に置いて行われます。
ハネウェルの特許ポートフォリオは、同社が注力する3つのメガトレンド、「オートメーション」「航空宇宙の未来」「エネルギー転換」を色濃く反映しています。近年の特許出願や戦略的投資の動向を分析すると、従来のハードウェア中心の技術基盤を維持しつつも、ソフトウェア、サステナビリティ、自律システムといった次世代領域への明確なシフトが見て取れます。このポートフォリオの構成は、ハネウェルの未来の事業展開を示すロードマップそのものと言えるでしょう。
オートメーション領域では、IP戦略の焦点は物理的な制御技術から、データを活用したインテリジェントなシステムへと移行しています。その中核を成すのが、IoTプラットフォーム「Honeywell Forge」を支える接続性、データ分析、AIに関連する技術群です⁴˒ ¹⁶。産業用プロセスの最適化や予知保全を可能にするこれらのソフトウェアIPは、同社の競争力の源泉となっています。また、物理世界との接点であるセンサー技術やロボティクスに関する特許も、引き続き重要な位置を占めています⁷˒ ¹³˒ ²⁵。特に注目すべきは、OT(Operational Technology)サイバーセキュリティへの注力です。ハネウェルは、IoTデバイス向けの分散型侵入検知システム(IDS)に関する特許(例:米国特許12432250号)を取得するなど⁷、自社技術の開発を進める一方で、後述するNozomi Networksとの戦略的提携を通じて、エコシステム全体のセキュリティ強化を図っています¹⁰²˒ ¹⁰⁴。これは、コネクテッドな産業環境において、製品の機能だけでなく、その安全性を担保することが不可欠であるとの認識に基づいていると推察されます。
航空宇宙の未来領域においては、伝統的な強みであるアビオニクス、環境制御システム、機械部品といった分野で強固な特許ポートフォリオを維持しています⁸˒ ⁷⁴。これらは、世界のほぼすべての民間・防衛航空機プラットフォームに採用されており⁵˒ ²⁶、安定した収益基盤を形成しています。同時に、未来の航空宇宙産業を見据えた先進技術へのIP投資も活発です。Honeywell Venturesの投資テーマには、航空機の電動化、自律飛行制御アーキテクチャ、代替航法技術などが明確に掲げられており¹³˒ ²⁵、これらの分野におけるスタートアップとの連携を通じて、次世代の航空技術に関するIPの確保を狙っています。さらに、エネルギー転換領域とも重なる持続可能な航空燃料(SAF)関連の技術開発も、同社のサステナビビリティ戦略と航空宇宙事業を繋ぐ重要なIP領域となっています¹³˒ ²⁵。
エネルギー転換領域は、ハネウェルのIP戦略において最もダイナミックな分野の一つです。同社は、水素関連技術、二酸化炭素の回収・利用・貯留(CCUS)、そしてグラフェンなどの先進材料といった、脱炭素社会の実現に不可欠な技術群に重点的に投資しています¹³˒ ²⁵。例えば、再生可能エネルギーの普及に伴い重要性が増すエネルギー貯蔵分野では、マイクログリッド向けのバッテリーエネルギー貯蔵システムを制御する技術に関する特許(例:米国特許12418179号)を取得しており⁷、グリッドの安定化に貢献するソリューション開発を進めていることがうかがえます。これらの技術は、将来独立企業となる「Advanced Materials」事業の中核を成すものであり、同事業は「世界的なIP保護を享受する革新的なソリューション」と「説得力のあるIPポートフォリオ」によって支えられていると公式に説明されています¹⁶˒ ³⁶˒ ⁷⁵。これは、エネルギー転換という規制主導で成長する市場において、強力なIP保護が事業の成功に不可欠であるとの認識を示しています。
このように、ハネウェルの技術ポートフォリオは、現在の収益基盤を支える成熟技術と、未来の成長を牽引する先端技術の両方をバランス良く含んでいます。そして、その重心は明確にソフトウェア、サステナビリティ、自律化へとシフトしており、企業のメガトレンド戦略が個々の特許出願や投資判断にまで浸透していることが、この分析から明らかになります。
当章の参考資料
ハネウェルは、その広範な知的財産(IP)ポートフォリオを、単に競合他社からの模倣を防ぐための「盾」としてだけでなく、積極的に収益を生み出し、戦略的優位性を築くための「矛」としても活用しています。同社のIP活用戦略は、製品販売の保護という基本的な役割から、ライセンス供与、戦略的提携、さらには法的な防衛・攻勢に至るまで、多岐にわたるモデルを組み合わせた洗練されたものです。このアプローチは、IPをコストセンターではなく、独立した価値創出源として捉える経営思想を反映しています。
最も基本的なIPの活用法は、製品販売とサービスの保護です。ハネウェルが提供する航空宇宙機器、ビルディングオートメーションシステム、産業用センサーといった物理的な製品は、数多くの特許によって保護されています。これにより、技術的優位性を維持し、価格競争を回避し、安定した市場シェアを確保することが可能になります。同社のバーチャルパテントマーキング(VPM)ページには、製品モデルごとに紐づけられた膨大な特許リストが公開されており⁹˒ ⁷³˒ ¹¹⁵、この直接的な関係性が示されています。近年、特に重要性が増しているのが、ソフトウェアIPの活用です。数億ドル規模の事業に成長した「Honeywell Connected Enterprise (HCE)」ソフトウェアプラットフォームとその主力製品「Honeywell Forge」は、特許や著作権、営業秘密によって保護された独自のアルゴリズムやデータモデルを基盤としています⁴˒ ⁶˒ ¹⁶。これらのソフトウェアIPは、顧客に継続的な価値を提供し、サブスクリプションベースの高収益なリカーリングレベニューモデルを支える根幹となっています。
次に、ハネウェルはライセンス供与と特許売却を通じて、IPポートフォリオから直接的な収益を生み出しています。特に航空宇宙部門では、自社で活用しきれていない特許を他社に売却またはライセンス供与するプログラムを公式に設けており、休眠資産の収益化を積極的に図っています⁸˒ ¹²˒ ⁷⁷。2010年に日本で開催された「ハネウェル・パートナリング・カンファレンス」のようなイベントは、同社がグローバルに技術ライセンスのパートナーを模索してきた長い歴史を物語っています²¹。また、SECへの提出書類には、特定の第三者との間で技術やノウハウ、IPの利用を許諾し、その対価としてロイヤルティを受け取るライセンス契約の詳細が記されている場合があり¹⁴、IPの収益化が体系的かつ契約ベースで行われていることが確認できます。
さらに、ハネウェルはIPポートフォリオを戦略的な交渉ツールとしても活用しています。その代表例が、クロスライセンス契約を通じた訴訟の解決です。2016年に発表されたGoogleとの長期的な特許クロスライセンス契約は、当時Google傘下であったNest Labsとの間で係争中だった特許訴訟を包括的に解決するものでした¹⁰。この合意は、巨額の訴訟費用や事業の不確実性を回避するだけでなく、互いの強固な特許ポートフォリオを認め合い、将来の製品革新を促進するための戦略的な取引であったと分析されます。これは、自社のIPポートフォリオを武器に、競合他社との関係を敵対的なものから協調的なものへと転換させ、市場全体の利益に繋げる高度なIP活用術と言えます。
最後に、ハネウェルは防衛的活用と積極的な訴訟戦略を組み合わせることで、IP資産の価値を守り、事業リスクを低減しています。特に、自らは製品を製造せず、特許侵害訴訟によって収益を得る「パテント・トロール」とも呼ばれる非実施主体(NPE)に対しては、単に和解金を支払うという安易な解決策を採らない姿勢が顕著です。カナダのNPEであるPatent Armory Inc.から訴訟を起こされた際、ハネウェルはテキサス州での訴訟を単に防御するだけでなく、自社の事業拠点があるノースカロライナ州で、非侵害の確認と州法(不正特許主張法)に基づく損害賠償を求める反訴(確認判決訴訟)を提起しました¹⁵。この「攻めの防御」戦略は、短期的な訴訟コストを度外視してでも、濫用的な特許主張のビジネスモデルそのものを非効率化させ、将来の同様の訴訟を抑止することを狙ったものと推察されます。
これらの多角的な活用モデルは、ハネウェルがIPポートフォリオを、技術的な発明の集合体としてだけでなく、売買、賃貸、交換が可能な金融資産や、戦略的交渉の切り札としてダイナミックに管理していることを示しています。この洗練されたIPマネジメント能力こそが、同社の持続的な競争力の源泉の一つとなっているのです。
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ハネウェルの知的財産(IP)戦略において、社内での発明創出と同等、あるいはそれ以上に重要な役割を担っているのが、外部のイノベーションを積極的に取り込むパートナー/エコシステム戦略です。特に、コーポレートベンチャーキャピタル部門であるHoneywell Venturesを通じた戦略的投資は、次世代の基盤技術に関するIPと専門知識を早期に確保するための、極めて効果的な手法として機能しています。この戦略は、すべての研究開発を自社で抱え込むことのリスクとコストを回避し、市場で最も有望な技術を持つスタートアップと協業することで、イノベーションの速度と効率を最大化することを目的としています。
Honeywell Venturesのミッションは、資金提供に留まりません。投資先企業に対し、ハネウェルが持つ広範な顧客基盤、グローバルな販売チャネル、高度な研究開発リソース、製造能力、そして世界的なブランドといった有形無形の資産へのアクセスを提供します¹³˒ ²⁵˒ ¹¹²˒ ᵇ⁶。これにより、スタートアップの成長を加速させると同時に、その革新的な技術やIPをハネウェルのエコシステムに深く統合することを目指しています。この戦略が特に顕著に表れているのが、量子コンピューティング、産業用生成AI、先進材料といった、将来の産業構造を根底から変える可能性を秘めたディープテック分野への投資です。
ケーススタディ1:Quantinuum(量子コンピューティング)
ハネウェルのエコシステム戦略を最も象徴するのが、量子コンピューティング企業Quantinuumとの関係です。Quantinuumは、ハネウェルの量子コンピューティング部門と、英国のソフトウェア企業Cambridge Quantum Computingが統合して誕生した企業であり、ハネウェルが過半数の株式を保有していますᵇ¹²。この形態は、単なるマイノリティ投資とは一線を画す、戦略的な事業インキュベーションと言えます。ハネウェルは、ハードウェア("Powered by Honeywell"のトラップイオン型量子コンピュータ)とソフトウェアの両面で開発を主導しつつ、外部資本を呼び込むことで開発リスクと資金負担を分散させています¹⁰⁹˒ ¹¹¹。Quantinuumが生み出すIPは、すでにハネウェルの事業に直接的な利益をもたらし始めています。例えば、量子乱数生成器「Quantum Origin」は、ハネウェル製品のサイバーセキュリティ基盤を強化するために組み込まれ、コネクテッド技術の信頼性を向上させていますᵇ¹²。また、量子化学計算プラットフォーム「InQuanto」は、新材料や触媒のシミュレーションを高速化し、ハネウェルの先進材料事業やエネルギー転換戦略に貢献することが期待されていますᵇ¹²˒ ¹¹⁰。これは、基礎研究段階から商用化までを見据えた、長期的かつ包括的なIP獲得戦略の好例です。
ケーススタディ2:Zapata Computing(産業用生成AI/量子ソフトウェア)
ハネウェルは、Quantinuumを通じてハードウェアの優位性を確保する一方で、その上で動作するソフトウェアとアルゴリズムの領域でもリーダーシップを確立しようとしています。2020年に行われたZapata Computingへの戦略的投資は、その一環です¹⁰⁸˒ ¹¹³˒ ᵇ¹⁸。Zapataは、産業向けの生成AIや、量子・古典ハイブリッドの計算ワークフローを構築するためのソフトウェアプラットフォーム「Orquestra™」を開発していますᵇ¹⁸。同社の技術は、化学、物流、金融、航空宇宙といった、ハネウェルの中核事業領域と直接的に関連する分野での複雑な問題解決を目指しており、ハネウェルの量子ハードウェアを補完し、実用的なアプリケーション開発を加速させる役割を担います¹⁰⁸。この投資は、量子コンピューティングという新たなパラダイムにおいて、ハードウェアからソフトウェア、アルゴリズムに至るまでのフルスタックでのIPポートフォリオを構築しようとするハネウェルの野心的な戦略を示唆しています。
ケーススタディ3:Lyten(先進材料)
エネルギー転換メガトレンドを支えるもう一つの柱が、先進材料技術です。ハネウェルは、3Dグラフェン™という革新的な素材と、それを用いたリチウム硫黄(Li-S)バッテリーを開発するLytenに出資しています⁶³˒ ⁶⁴˒ ᵇ¹³。Lytenの技術は、従来のバッテリーよりも高いエネルギー密度と軽量化を実現し、かつサステナブルな材料を使用することを目指しており、電気自動車(EV)市場や航空宇宙分野での応用が期待されていますᵇ¹³。この投資により、ハネウェルは次世代のエネルギー貯蔵および軽量複合材料に関する最先端のIPへの早期アクセスを確保し、自社のエネルギー転換およびサステナビリティ関連事業における将来の技術的優位性を築こうとしています。
これらの投資事例に加え、ハネウェルは技術提携も積極的に活用しています。2020年に発表されたOTサイバーセキュリティ企業Nozomi Networksとのパートナーシップは、その典型です¹⁰⁴˒ ¹⁰⁵˒ ¹⁰⁶˒ ¹⁰⁷˒ ᵇ¹⁷。自社で全てのセキュリティ機能を開発する代わりに、同分野で「ベスト・イン・ブリード(クラス最高)」と評価されるNozomiの脅威検知技術を自社のHoneywell Forgeプラットフォームに統合しました¹⁰⁴。これにより、顧客に対してより迅速に、包括的かつベンダーニュートラルなセキュリティソリューションを提供することが可能になりました。
結論として、ハネウェルのパートナー/エコシステム戦略は、一種の「アウトソースされた、リスク分散型の研究開発」モデルと見なすことができます。量子コンピューティングのような長期的で不確実性の高い基盤技術に対して、自社単独で全ての開発リスクを負うのではなく、外部の専門家集団に投資・提携することで、その成果であるIPへの優先的なアクセス権を確保する。この賢明なアプローチにより、ハネウェルは変化の激しい技術環境において、常に最前線に立ち続けるための戦略的柔軟性を手に入れているのです。
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ハネウェルの知的財産(IP)戦略において、ベンチャー投資が未来の技術の「種」を確保する活動であるとすれば、M&A(合併・買収)は、すでに成熟し市場で実績を上げている技術とIPエコシステムを丸ごと獲得し、事業を一気にスケールさせるための強力な手段です。同社は、2025年までにM&Aや配当などに少なくとも250億ドルを投じるというコミットメントを掲げており⁴˒ ⁵⁴˒ ⁸⁴、特に自社のメガトレンド戦略に合致する「ボルトオン型買収(事業補完型買収)」に焦点を当てています。この戦略は、単に売上や利益を積み増すだけでなく、買収対象が持つ技術スタック、ソフトウェアプラットフォーム、ブランド、顧客基盤といった無形資産を獲得し、市場における支配的な地位を短期間で確立することを目的としています。
このM&AによるIP獲得戦略を最も明確に示したのが、Carrier Global CorporationのGlobal Access Solutions事業の買収です。2023年12月に発表され、2024年6月に完了したこの49.5億ドルの全額現金による取引は⁴˒ ¹⁴⁹˒ ¹⁵⁰˒ ¹⁵¹˒ ¹⁵²˒ ¹⁵³、ハネウェルのIP戦略を理解する上で極めて重要なケーススタディとなります。
この買収の戦略的意義は、ハネウェルのビルディングオートメーション事業内に、10億ドルを超える規模のリーディングセキュリティプラットフォームを創出することにありました¹⁵⁰。ハネウェルは、自社の既存の火災・ビル管理システム事業に、Carrierが保有していた強力なセキュリティ事業を統合することで、この分野での競争力を飛躍的に高めることを狙いました。ここで重要なのは、ハネウェルが獲得したものが、単なる個別の製品や特許の集合体ではなかったという点です。
買収によってハネウェルのポートフォリオに加わったのは、LenelS2、Onity、Supraという、それぞれの市場で高い評価とブランド認知度を確立した3つの事業体です¹⁵⁰˒ ¹⁵¹。
これらの事業が持つ価値の源泉は、ハードウェアの設計図や製造ノウハウといった伝統的なIPだけに留まりません。むしろ、長年の事業活動を通じて蓄積されたソフトウェアのソースコード、クラウドベースのサービスプラットフォーム、膨大な数の導入実績に裏打ちされた顧客データ、そして市場からの信頼を勝ち得てきたブランドといった、より広範なIPエコシステムそのものにあります。ハネウェルはこの買収によって、これらの無形資産をすべて手に入れ、クラウドベースのセキュリティサービスという急成長市場での「イノベーションを加速させる」ための基盤を獲得したのです¹⁴⁹˒ ¹⁵⁰。
この取引は、ハネウェルがIP戦略を財務戦略と一体化させて実行していることを示しています。同社は、自社でゼロから同様のセキュリティプラットフォームを構築する場合にかかるであろう莫大な時間と開発コスト、そして市場浸透のリスクを、49.5億ドルという巨額の資本投下によって一挙に飛び越えたのです。これは、市場リーダーシップを「構築する(build)」のではなく、「購入する(buy)」という戦略の明確な実践例です。買収価格は2023年予測EBITDAの約13倍と、決して安価な買い物ではありませんが¹⁵⁰、これにより獲得したIPエコシステムがもたらす長期的な成長性、高い利益率、そして安定したリカーリングレベニューを考慮すれば、戦略的に合理的な投資判断であったと評価できます。
結論として、ハネウェルのM&A戦略は、IPを単なるデューデリジェンスの対象項目としてではなく、買収の最も重要な戦略的目標の一つとして位置づけています。特にソフトウェアとサービスが事業の中核を占める現代において、確立されたIPエコシステムを獲得することは、市場での競争優位性を確立するための最も確実かつ迅速な方法の一つです。Carrierのセキュリティ事業買収は、ハネウェルがこの原則を深く理解し、大胆な資本配分を通じてIP戦略を実行していることを雄弁に物語っています。
当章の参考資料
ハネウェルの知的財産(IP)戦略の独自性をより深く理解するためには、同業のグローバルなインダストリアル・テクノロジー企業との比較が不可欠です。特に、事業領域や企業規模で競合するSiemens AG(以下、シーメンス)およびGeneral Electric Company(以下、GE)のIP戦略との対比は、ハネウェルのアプローチの特異性を浮き彫りにします。これらの企業はいずれも洗練されたIP管理体制を有していますが、その戦略的重点には明確な違いが見られます。
ハネウェルのIP戦略は、本レポートで繰り返し論じてきたように、**「エコシステム・ドリブン型」**と特徴づけることができます。その核心は、社内R&Dによる有機的なイノベーションを基盤としつつも、それを補完・超越するために、ベンチャー投資やM&Aを通じて外部の優れた技術やIPを積極的に取り込み、自社のプラットフォーム(例:Honeywell Forge)を中心とした広範な技術エコシステムを構築することにあります。この戦略は、変化の速い市場において、自前主義に固執することなく、常に「ベスト・イン・ブリード」の技術を組み合わせて顧客に提供しようとする、柔軟かつ資本集約的なアプローチです。Quantinuumによる量子コンピューティング技術の囲い込みや、Carrierのセキュリティ事業買収による市場リーダーシップの獲得は、この戦略の象徴的な実践例です。
これに対し、シーメンスのIP戦略は**「質を重視したポートフォリオ最適化型」と表現できます。シーメンスは、かつて欧州で最多の特許出願件数を誇るなど、量を追求する戦略を採っていましたが、近年、その方針を転換し、単なる特許件数ではなく、個々の発明がもたらす事業価値やポートフォリオ全体の質を重視する戦略へと移行したことを公にしています⁴⁷。そのために、LexisNexis傘下のPatentSightが提供する「Patent Asset Index™」のような客観的な評価指標ツールを導入し、自社および競合他社の特許ポートフォリオの「強さ」を継続的に測定・分析しています⁴⁷。これにより、真に価値のある発明にリソースを集中させ、IP活動と事業モデルとの連携を強化しています。また、シーメンスも自社の中核事業以外の領域では、保有特許のライセンス供与に積極的であり、IPの収益化を図っています⁴⁵。ハネウェルとの主な違いは、シーメンスが主に社内で創出されたIPの価値を最大化することに戦略の重点を置いているのに対し、ハネウェルは外部からのIP獲得**により大きな比重を置いている点にあると推察されます。
一方、GEのIP戦略は、歴史的に**「ビジネスモデル革新のツール」**としての側面を強く持っていました。GEは、単に製品を保護するためにIPを分析するだけでなく、IPランドスケープ分析を通じて市場全体の収益構造や競合の弱点を把握し、そこから全く新しいビジネスモデルを創出する能力に長けていました。有名な事例として、同社のガスタービン事業が挙げられます。当初、遠隔監視技術をハードウェア製品として販売する案と、自社のサービスに統合する案が社内で対立しました。しかし、競合であるシーメンスの特許出願動向を含む詳細なIP分析を行った結果、ハードウェアを販売すれば競合にサービス市場を奪われるリスクが判明し、最終的にハードウェアをリースし、関連IPとサービス手順をライセンス供与するという、全く新しいビジネスモデルが考案されました⁵¹。このアプローチは、IP分析を事業戦略そのものを創造するためのインテリジェンスとして活用する、極めて高度なものです。近年、GEはGE AerospaceとGE Vernovaへの事業分割を完了し⁵⁰˒ ⁵²˒ ⁹⁸、各社がそれぞれの事業領域に特化したIP戦略を追求する段階に入っていますが、この「IPを起点とした戦略策定」というDNAは、今後も各社の競争力に影響を与える可能性があります。
この3社の比較から、ハネウェルの戦略的ポジショニングがより明確になります。シーメンスが「ポートフォリオの最適化」、GEが「ビジネスモデルの革新」にそれぞれ特徴的な強みを持つとすれば、ハネウェルは「エコシステムの構築」において他社をリードしていると見なすことができます。ハネウェルのアプローチは、外部のイノベーションを取り込むための積極的な資本投下を厭わない点で、特に米国的な資本市場のダイナミズムを反映しているとも言えるでしょう。これらの戦略に優劣はなく、それぞれが各社の企業文化、事業構造、戦略的目標を反映した合理的な選択です。しかし、この比較を通じて、ハネウェルのIP戦略が、いかに外向的で、資本集約的で、かつプラットフォーム志向であるかが明らかになります。
当章の参考資料
ハネウェルの知的財産(IP)戦略は、その積極性と先進性ゆえに、多くの機会を創出する一方で、相応のリスクと課題も内包しています。これらのリスクは、短期的なオペレーションレベルのものから、中長期的な戦略レベルのものまで多岐にわたります。本章では、ハネウェルのIP戦略が直面する主要なリスクと課題を、時間軸に沿って短期・中期・長期の3つのカテゴリーに分類し、分析します。
短期的リスクとしてまず挙げられるのは、M&Aの統合に伴うリスクです。CarrierのGlobal Access Solutions事業のような大規模買収は、ハネウェルのIPポートフォリオを飛躍的に強化する一方で、買収した技術、ソフトウェアプラットフォーム、そして何よりも異なる組織文化を円滑に統合するという実行上の大きな課題を伴います。IPポートフォリオの重複の整理、技術者チームの連携、ブランド戦略の再構築などが計画通りに進まない場合、期待されたシナジーが実現せず、買収の価値が損なわれる可能性があります。また、訴訟リスクも常に存在する短期的な課題です。ハネウェルは、非実施主体(NPE)に対して積極的な防衛戦略をとっていますが¹⁵、それでも特許侵害訴訟は、多額の費用と経営陣の貴重な時間を奪う可能性があります。特に、ソフトウェアや通信技術の分野では、多数の特許が複雑に絡み合っており、意図せず他社の特許を侵害してしまうリスクは常に存在します。
中期的リスクとして最も深刻なのが、サイバーセキュリティとIP窃盗のリスクです。ハネウェルが「ソフトウェア・インダストリアル企業」への変革を進め、事業価値の源泉が物理的な製品からデジタルなIP(ソフトウェアのソースコード、アルゴリズム、顧客データなど)へと移行するにつれて、このリスクは指数関数的に増大しています。ハネウェル自身も、SECへの提出書類の中で、重大なサイバーセキュリティインシデントがもたらす潜在的な結果として、「知的財産の窃盗」を明確に挙げています¹³⁹。一度デジタルIPが流出すれば、それは容易に、かつ完全に複製され、長年にわたる研究開発投資の価値が一瞬にして失われる可能性があります。このリスクは、同社の事業戦略の根幹を揺るがしかねない、最も警戒すべき課題の一つです。また、エコシステムへの依存リスクも中期的な懸念事項です。Honeywell Venturesを通じたスタートアップへの投資や、Nozomi Networksのような外部パートナーとの技術提携に依存する戦略は、効率的である反面、自社の運命を外部組織の成功や継続性に委ねる側面も持ちます。主要な投資先企業が経営不振に陥ったり、戦略的パートナーが競合に買収されたりした場合、ハネウェルの技術ロードマップに予期せぬ空白が生じる可能性があります。
長期的リスクとして最大のものは、事業分割に伴うIPポートフォリオの複雑化です。2026年後半に予定されているオートメーション、航空宇宙、先進材料の3社への分割は、各社の事業戦略の焦点を明確化するという大きなメリットをもたらす一方で、これまで一体として管理されてきた巨大なIPポートフォリオを分割・再編するという極めて困難な作業を必要とします¹⁶˒ ¹⁷。特に、複数の事業部門で共通して利用されてきた基盤技術(例えば、センサー技術、ソフトウェアプラットフォーム、材料科学など)のIPをどのように配分するかは、複雑な問題です。分割後の各社が互いに必要な技術を利用し続けられるようにするためには、広範かつ詳細なクロスライセンス契約の締結が不可欠となります。このIP分割とライセンス交渉のプロセスが不適切に行われた場合、各社の技術的自由度が制約されたり、予期せぬロイヤルティ支払いが発生したりするなど、分割によって目指したはずの企業価値向上を阻害する要因となりかねません。
もう一つの長期的リスクは、破壊的技術への対応です。ハネウェルは、量子コンピューティングのような将来の破壊的技術に対して、Quantinuumへの投資を通じて積極的に布石を打っています。しかし、技術革新の未来は本質的に予測不可能です。ハネウェルが注力していない領域から全く新しい技術が登場し、既存の市場や技術体系を根底から覆す可能性は常に存在します。現在の広範なIPポートフォリオが、将来の技術パラダイムシフトによって陳腐化するリスクはゼロではありません。
これらのリスクと課題は、ハネウェルのIP戦略が直面する現実的な挑戦です。特に、事業のデジタル化という最大の強みが、サイバーセキュリティという最大のリスクを生み出しているという構造的なジレンマは、同社の経営陣が常に意識し、対策を講じ続けなければならない重要なポイントであると言えるでしょう。
当章の参考資料
ハネウェルの知的財産(IP)戦略は、現在および過去の事業を保護するだけでなく、未来の市場、技術、規制の動向を見据えた長期的な視点で構築されています。同社の現在のIPポートフォリオとイノベーションへの投資動向を分析することで、今後10年間の産業界の変革の中でハネウェルがどのような役割を果たそうとしているのか、その展望を描き出すことが可能です。今後の展望は、メガトレンド戦略の深化、次世代基盤技術の実用化、そして事業分割後の新たな企業体の動向という3つの軸で考察することができます。
第一に、メガトレンドとIP戦略の連携はさらに深化すると予測されます。ハネウェルは、オートメーション、航空宇宙の未来、エネルギー転換という3つのメガトレンドに事業を集中させることを明確にしており¹⁸、今後のIP戦略もこの方針に沿って、より先鋭化していくと考えられます。具体的には、M&AやHoneywell Venturesによる投資活動が、これらの領域における技術的な空白を埋めるために、引き続き活発に行われるでしょう。特に、産業用AI、データアナリティクス、自律制御といったソフトウェア関連技術を持つ企業は、Honeywell Forgeエコシステムを強化するための主要な買収・投資ターゲットとなり続けると推察されます。これにより、ハードウェア販売から得られる一過性の収益への依存度をさらに低下させ、ソフトウェアとサービスを基盤とした、より予測可能で高収益なリカーリングレベニューモデルへの転換を加速させるものと見られます。
第二に、量子コンピューティングの実用化が、ハネウェルにとって長期的なゲームチェンジャーとなる可能性があります。過半数株式を保有するQuantinuumを通じて、同社は世界最高性能レベルの量子コンピュータハードウェアと、それを活用するためのソフトウェアプラットフォームの両方を手中に収めています¹⁰⁹˒ ¹¹¹˒ ᵇ¹²。現在はまだ、化学シミュレーションや金融モデリングといった特定分野での研究開発や実証実験が中心ですが、今後、量子コンピュータの性能が向上し、「量子超越性」がより広範な問題で達成されるようになれば、その応用範囲は劇的に拡大します。材料科学(新素材・触媒開発)、創薬、物流最適化、高度なAIモデルの開発といった、現代のコンピュータでは計算限界に達している複雑な問題が、量子コンピュータによって解決可能になるかもしれません。ハネウェルは、これらの分野で事業を展開する産業ユーザーとして、また量子コンピューティング技術の提供者として、この技術革命の最前線に立つことができます。Quantinuumが生み出す基盤的なIPは、今後10年でハネウェルグループ全体の最も価値ある無形資産の一つとなるポテンシャルを秘めています。
第三に、事業分割後の各社のIP戦略の動向が注目されます。2026年後半に予定されている3社への分割は、それぞれの企業がより専門性の高い、集中的なIP戦略を追求する契機となります¹⁶˒ ¹⁷。
この事業分割は、各社がそれぞれの市場で機動的に事業を展開することを可能にする一方で、前章で指摘した通り、IPポートフォリオの分割と共有という大きな課題も伴います。現在、ハネウェルの強みの一つは、先進材料部門が生み出した素材を航空宇宙部門が利用するなど、部門間で技術的なシナジーを発揮できる点にあります。分割後は、こうしたシナジーを維持するために、各社間で包括的なクロスライセンス契約が必要となります。これらの契約条件の設計が、分割後の各社の技術的自由度と収益性を大きく左右することになるため、そのIP分割戦略の実行力が、3社の将来の成功を占う上で重要な試金石となるでしょう。
総じて、ハネウェルの今後の展望は、メガトレンドへの集中、次世代技術への布石、そして事業の専門化という3つの要素によって形作られています。IP戦略は、これらの全ての要素を実現するための基盤として、これまで以上に重要な役割を果たし続けることが確実視されます。
当章の参考資料
本レポートで詳述してきたハネウェルの知的財産(IP)戦略の分析は、同社の経営陣、研究開発部門、および事業開発部門に対して、それぞれ異なる、しかし相互に関連する戦略的な示唆を与えます。これらの示唆は、同社が今後、その無形資産ポートフォリオの価値を最大化し、持続的な競争優位を確立していく上で考慮すべき行動指針の候補となり得ます。
経営層への示唆
ハネウェルの経営層にとって最も重要な戦略的課題は、2026年に予定されている事業分割を成功裏に完了させることです。このプロセスにおいて、IPポートフォリオの分割は、単なる法務的な資産配分の手続きではなく、3つの新会社の将来価値を創造する上での核心的な活動として位置づけられるべきです。示唆されるべき行動は、IPポートフォリオ分割の戦略的プランニングを最優先事項とすることです。具体的には、各社が独立後も競争力を維持・向上できるよう、基盤技術に関するクロスライセンス契約を、公平かつ将来の成長を阻害しない形で設計することが求められます。このプロセスは、各社の事業戦略、技術ロードマップ、そして市場でのポジショニングを深く理解した上で、極めて慎重に進められる必要があります。
また、Honeywell Venturesの成功事例が示すように、社外のイノベーションを取り込むハイブリッドモデルは、技術の最前線に立ち続ける上で非常に効果的です。したがって、このハイブリッド型イノベーションモデルを継続し、さらに強化することが推奨されます。経営層は、量子コンピューティングの次に来るであろう、新たな基盤技術(例:合成生物学、次世代AIアーキテクチャなど)を早期に特定し、それらの分野で戦略的な投資や提携を主導していくべきです。これにより、未来のメガトレンドに対しても、現在の量子コンピューティング戦略と同様の先見的なポジションを確保することが可能となります。
研究開発部門への示唆
外部のイノベーションを積極的に活用する企業戦略は、社内研究開発(R&D)部門の役割にも変化を促します。基礎研究やゼロからの技術開発の一部を外部のスタートアップが担うようになる中で、社内R&D部門は**「インテグレーション(統合)」と「アプリケーション(応用)」**にその能力を集中させることが、より効果的になると考えられます。示唆されるべき行動は、Honeywell VenturesやM&Aチームが獲得してきた外部技術を、ハネウェルの既存プラットフォーム(特にHoneywell Forge)に迅速に統合し、産業界の具体的なユースケースに合わせて最適化・製品化する能力を強化することです。
これを実現するためには、ベンチャー投資部門やM&A部門との連携を制度的に強化する必要があります。有望な外部技術を早期に特定する段階からR&Dの専門家が関与し、技術的なデューデリジェンスや統合後のロードマップ策定を共同で行うことで、買収・投資から製品化までのリードタイムを短縮し、技術統合の成功確率を高めることができます。社内R&D部門は、もはや単なる「発明者」ではなく、社内外の技術を組み合わせ、最適なソリューションを構築する「システムアーキテクト」としての役割を担うべきです。
事業開発・M&A部門への示唆
ハネウェルの成長戦略においてM&Aが中心的な役割を果たし続けることは明らかです。Carrierのセキュリティ事業買収の成功は、今後のM&A戦略の指針となるべきです。示唆されるべき行動は、買収ターゲットを評価する際に、財務指標と並行して、その企業が持つIPおよびソフトウェアスタックの質と統合可能性を最重要評価項目の一つとすることです。単体の製品や散発的な特許を買収するのではなく、ブランド、ソフトウェアプラットフォーム、顧客基盤、開発者コミュニティを含む「IPエコシステム」全体を獲得するという視点が重要です。
さらに、全ての買収案件において、明確なIP統合ロードマップを策定することが不可欠です。買収完了後、獲得した特許、ソフトウェア、ブランド、営業秘密を、ハネウェルの既存のプラットフォームや収益化戦略にどのように組み込んでいくのか、具体的な計画を早期に策定し、実行に移す必要があります。これにより、買収によるシナジーを最大化し、投資回収を早めることが可能となります。
総括すると、これらの示唆に共通するテーマは、ハネウェルが今後、「IPのシステムインテグレーター」としての能力を組織全体で磨き上げるべきであるという点です。未来の産業界における競争は、単一の優れた技術を持つこと以上に、内外の多様な技術(IP)をいかに巧みに組み合わせ、顧客にとって価値のある一貫したソリューションとして提供できるかによって決まります。ハネウェルは、そのための戦略的基盤をすでに築きつつあり、この「統合」の能力をさらに強化していくことが、今後の持続的な成功への鍵となるでしょう。
本レポートの分析を通じて、Honeywell International Inc.の知的財産(IP)戦略が、伝統的な防衛的機能から、企業の成長と変革を積極的に牽引する、多角的かつ攻撃的な戦略ツールへと進化を遂げたことが明らかになりました。同社のIP戦略は、もはや単に社内で生み出された発明を保護するための活動に留まらず、「オートメーション」「航空宇宙の未来」「エネルギー転換」という3つのメガトレンドへの戦略的転換を、あらゆる側面から支え、加速させるための核心的なエンジンとして機能しています。
その最大の特徴は、社内R&D、ベンチャー投資、M&Aという3つの異なるエンジンを組み合わせた「ハイブリッド型イノベーションモデル」の確立にあります。これにより、ハネウェルは自社の中核技術を深化させると同時に、量子コンピューティングや産業用AIといった未来の基盤技術を外部から迅速に取り込み、さらにはM&Aを通じて成熟市場のIPエコシステムを丸ごと獲得するという、他に類を見ない戦略的柔軟性を手に入れています。このアプローチは、IPポートフォリオを、事業戦略を実行するための動的な資産として捉え、投資、買収、ライセンス、訴訟といった多様な手段を駆使してその価値を最大化しようとする、洗練された経営思想の表れです。
しかし、この先進的な戦略は、サイバー攻撃によるデジタルIPの窃盗という深刻なリスクや、目前に迫った事業分割に伴う複雑なポートフォリオ再編という大きな課題も内包しています。今後のハネウェルの持続的な成功は、これらのリスクを適切に管理しつつ、社内外から獲得した多様なIPを、Honeywell Forgeのような中核プラットフォームへといかに迅速かつ効果的に統合し、顧客価値へと転換できるかにかかっています。意思決定者にとっての重要な含意は、ハネウェルの競争優位性が、もはや個別の製品や技術の優劣だけでなく、多様なIPを組み合わせ、一貫したソリューションとして提供する「システムインテグレーター」としての能力に大きく依存するようになっているという点です。この無形資産を統合・活用する能力こそが、未来の産業界におけるハネウェルの地位を決定づける最も重要な要素となるでしょう。
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本レポートは、公開情報をAI技術を活用して体系的に分析したものです。
情報の性質
ご利用にあたって
本レポートは知財動向把握の参考資料としてご活用ください。 重要なビジネス判断の際は、最新の一次情報の確認および専門家へのご相談を推奨します。
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