3行まとめ
283億ドルの巨額買収で希少疾患領域へ戦略的転換
特許の崖とIRA(インフレ削減法)の脅威に対し、アムジェンは283億ドルでHorizonを買収し、規制の影響を受けにくい希少疾患領域へ事業ポートフォリオを刷新しました。買収直後には新たな製剤技術のライセンス契約を結び、即座に製品寿命の延長を図っています。
「管理された和解」による市場参入時期の巧妙な制御
長期訴訟が反トラスト法リスクを招く中、主力薬Proliaでは競合他社との「管理された和解」を選択し、バイオシミラーの参入を2025年半ばにコントロールしました。法的リスクを最小化しつつ、独占期間を実質的に確保する高度な出口戦略へ移行しています。
AI技術と60億ドルのR&Dで挑む特許取得の壁
Amgen v. Sanofi最高裁判決による特許要件の厳格化に対し、過去最高となる60億ドルのR&D投資とAI技術の活用で対抗しています。AIによる網羅的な予測データで発明の実施可能性を法的に補強し、次世代の知財基盤構築を加速させています。
この記事の内容
アムジェン(Amgen Inc.)の知的財産(IP)戦略は、巨額の研究開発(R&D)投資の回収を至上命題とする、精緻かつ多層的な防衛・攻撃システムです。本レポートは、同社のIP戦略が、従来の「パテント・シケット(特許の壁)」構築から、法規制環境の激変に対応する「M&Aによるポートフォリオ転換」と「AI技術による法的課題の克服」という新たなフロンティアへといかに移行しつつあるかを、一次情報に基づき網羅的に分析するものです。
アムジェンは、1980年の創業以来²⁰、バイオテクノロジーのパイオニアとして、重篤な疾患に苦しむ患者のための革新的な医薬品の創出を企業戦略の核に据えてきました¹⁴、¹⁹。2022年のビジネスレビューにおいて、CEOのRobert A. Bradway氏は「イノベーションへの注力が我々のノーススター(北極星)であり続ける」¹⁴と明言しており、この基本方針が経営の根幹であることを示しています。このイノベーション戦略は、必然的に巨額の研究開発(R&D)投資を伴います。2024年の株主向け書簡¹⁰³および2024年版年次報告書(Form 10-K)⁹によれば、アムジェンは2024年に過去最高となる60億ドルをR&Dに投じました。これは前年比25%増という著しい伸びであり⁹、¹⁰³、同社のパイプライン(肥満、がん、心疾患など¹⁰³、⁹)の進展に対する強いコミットメントを反映しています。
この巨額のR&D投資(S9)と、アムジェンの知的財産(IP)戦略は、表裏一体の関係にあります。バイオ医薬品の開発は、欧州向けの資料¹¹で示されているように、非常に長いタイムライン、莫大なコスト、そして高い失敗確率を特徴とします。アムジェンは、この高リスクな投資を経済的に成立させる唯一のメカニズムが、特許権を中心とする強力な知的財産保護であると一貫して主張しています¹¹。
同社のSEC(米国証券取引委員会)への提出書類やプレスリリースでは、この点が定型文(Boilerplate)として繰り返し強調されています。「我々の成功は、我々の製品および製品候補の商業化にとって重要な特許権およびその他の知的財産権を取得し、防御する能力に部分的に依存している」²⁵。また、「我々は、我々の製品および技術について日常的に特許を取得しているが、我々の特許および特許出願によって提供される保護は、競合他社によって挑戦され、無効化され、または回避される可能性があり、あるいは、我々が現在および将来の知的財産訴訟で勝訴できない可能性がある」⁶、¹³、¹⁸、¹⁹、³⁷、⁹⁴、⁹⁹、¹⁰⁴、¹³⁹。これらの記述は、IPの取得(出願)と防衛(訴訟)が、R&D投資の回収(S9)と事業継続性(S6)にとって不可欠な両輪であることを明確に示しています。
近年、アムジェンはこの基本方針をさらに進化させ、「Biotech(バイオロジー)」と「Tech(テクノロジー)」の融合を次世代のイノベーション戦略の柱としています¹⁹、²⁸。この戦略的転換を象徴するのが、2023年12月の経営陣の異動です²⁸、³⁷。アムジェンは、長年R&D責任者を務めてきたDavid M. Reese氏を、新設の「EVP and Chief Technology Officer(CTO)」に任命し、後任のR&D責任者(EVP, R&D, and Chief Scientific Officer)としてJames Bradner氏を外部から招聘しました²⁸、³⁷。
この人事について、CEOのRobert A. Bradway氏は「本日発表する措置は、『バイオテック』と『テック』の急速な融合がバイオテクノロジーにおけるイノベーションの次のフロンティアを切り開くという我々の信念を反映している」²⁸、³⁷、¹³⁶と述べています。これは、従来の生物学的製剤の開発(Biotech)に、人工知能(AI)とデータサイエンス(Tech)を本格的に統合する(S135)という明確な意思表示です。
この新方針は、アムジェンのIP戦略にも直接的な影響を及ぼします。アムジェンは、AIとデータサイエンスを「創薬と臨床開発を加速するため」¹³⁴、4、4に活用していると公表しています。具体的には、膨大なオミクス(omics)データ¹³⁴、4の解析による疾患生物学の理解、治療法が機能する理由の解明、そして臨床試験プロトコルの最適化や適格患者の特定(4)などが挙げられます。このプロセスで生成される膨大なデータや、開発されるAIアルゴリズム自体が、従来の化合物特許や製法特許に加えて、アムジェンの新たな知的財産の源泉となりつつあります。同社のAIビジョンに関する文書では、「知的財産を保護するためのセーフガード」¹²が明記されており、この新たな技術資産の保護が、R&D投資の保護(S25)と並ぶ重要なIP戦略の柱となりつつあることが推察されます。
当章の参考資料
アムジェンの知的財産戦略は、単一の特許部門によって実行されるサイロ化した業務ではなく、取締役会から法務、さらには政策渉外部門までが連携する、全社的なガバナンス体制と高度に専門化された執行体制に支えられています。
アムジェンの知財は、経営の最高レベルである取締役会によって、企業の存続に関わる重要資産として認識されています。2024年版²⁴および2025年版²³の株主総会招集通知(Proxy Statement)に記載されている「取締役会のリスク監督における役割(The Board’s Role in Risk Oversight)」によれば、取締役会およびその下部委員会は、企業の主要なリスクの監督に責任を負っています。注目すべきは、この監督対象が「我々の資産(金融、知的財産、および情報、サイバーセキュリティと人工知能を含む)の保護」²³、²⁴と明記されている点です。これは、知的財産が、財務資産やサイバーセキュリティ、そして最新の経営課題であるAIと同列の、最上位の企業リスクおよび資産として位置づけられ、取締役会レベルでのガバナンスが及んでいることを示しています。
IP戦略の日常的な執行と防衛(訴訟)の中核を担うのは、法務部門です。このグローバルな法務機能(Law function)は、Jonathan Graham氏(Executive Vice President and General Counsel and Secretary)によって統括されています²⁶、³⁰、³⁴、⁴¹、6。2015年にアムジェンに入社したGraham氏は6、³²、前職のDanaher CorporationでSVP兼General Counselとして、法務、ガバナンス、規制、リスク、コンプライアンス、環境・安全衛生(EH&S)事項のすべてに責任を負った経験³⁰、³²、6を有しています。彼の監督範囲は、単なる特許訴訟³³に留まらず、M&A、規制対応、コンプライアンス、ガバナンスといった企業法務の全領域に及びます。この幅広い権限6は、IP戦略が、後述する反トラスト法(独占禁止法)のリスクやM&A戦略と不可分であることを前提とした組織体制であると推察されます。実際、特許侵害の通知先も、アムジェンの法務部門(Legal Department)が指定されています³⁹。
アムジェンの知財組織の最大の特徴は、従来の特許出願(S40)や訴訟(6)を行う法務部門とは別に、極めて戦略的な「ルール形成」に関与する専門部隊が存在する点です。それが、Emily Johnson氏が率いる「IP Policy & Advocacy(知財政策・アドボカシー)」部門²⁹、¹⁴²、5です。
この部門の役割と責任は、アムジェンの事業環境そのものを形成することにあります5。
Johnson氏は、業界団体(Intellectual Property Owners Association)の委員長も務めており¹⁴²、5、アムジェンが業界のオピニオンリーダーとして、知財制度のルール形成に深く関与していることがうかがえます。
第一章で述べた「BiotechとTechの融合」²⁸という新戦略は、AIの活用¹³⁴、4に伴う新たなIPリスクを生み出します。アムジェンは、この新興リスクに対応するため、専門のガバナンス組織として「AIガバナンス・カウンシル」¹⁵⁰を設置しています。
このカウンシルは、最高コンプライアンス責任者とAI・データ担当SVPがスポンサーとなり、法務、品質、安全、グローバルセキュリティ、情報セキュリティ、規制、プライバシー、コンプライアンス、人事など、極めて部門横断的なメンバーで構成されています¹⁵⁰。
その目的は、NIST(米国標準技術研究所)の「信頼できるAIフレームワーク」¹⁵⁰に基づき、AIの開発・展開・使用に関するガイダンスを提供することです。このフレームワークの7原則のうち、「2. 安全性とレジリエンス(SECURE AND RESILIENT)」¹⁵⁰には、「知的財産を保護するためのセーフガード(Safeguards to Protect Intellectual Property)」¹²、¹⁵⁰が明確に組み込まれています。
この組織体制は、AIを活用したイノベーション(4)を推進する一方で、その過程で生み出されるデータやアルゴリズム、発明といった新たな「IPの源泉」¹²を、法務、セキュリティ、コンプライアンスの各側面から統合的に保護・管理しようとする、先進的なガバナンス体制であると評価できます。
当章の参考資料
アムジェンの収益構造は、特許によって保護された少数のブロックバスター製品に大きく依存しています。2024年末時点で、年間売上高10億ドル超の製品を14保有しており⁹、¹⁰³、中でもEnbrel(エタネルセプト)、Prolia/Xgeva(デノスマブ)、Otezla(アプレミラスト)は最重要製品群です⁴⁷、⁶²、12。これらの製品が特許保護期間の満了(いわゆる「パテント・クリフ」)を迎えることは、バイオシミラー(後続の生物製剤)やジェネリック(後発医薬品)の参入を招き、企業の収益基盤を根底から揺るがす一大事となります。したがって、アムジェンのIP戦略の中核は、これらの主力製品の製品ライフサイクルを、法的に可能な限り最大限延長すること(Life Cycle Management: LCM)にあります。このLCMの実行手段が、しばしば「パテント・シケット(Patent Thicket、特許の壁)」と呼ばれる、多層的な特許ポートフォリオの構築と執行戦略です。
Enbrelは、アムジェンの「パテント・シケット」戦略の象徴的な事例です。1990年代に開発され、1998年に米国で承認⁵⁷、⁷⁹されたこの製品は、リウマチなどの自己免疫疾患治療薬として莫大な収益を上げてきました⁵⁷。
Enbrelの主要な特許は、2012年に失効する予定でした⁵⁴、⁵⁷。この「2012年の崖」に直面したアムジェン(当時はImmunex)は、製品の寿命を延長するため、極めて戦略的な一手に出ました。2004年、アムジェンは競合他社であるRoche(ロシュ)が保有していたエタネルセプト関連の米国特許権(通称「Brockhaus特許」)の独占的ライセンスを取得しました⁵⁴、7、1。
この買収した特許ポートフォリオを基に、アムジェンは新たな特許を取得・執行しました。公式の製品特許リスト⁴⁷、12には、融合タンパク質(US 8,063,182)やその製法(US 8,163,522)、製剤(US 10,307,483, US 11,491,223)など、複数の特許が記載されています。特にRocheから引き継いだUS 8,063,182とUS 8,163,522の2つの特許1は、アムジェンがバイオシミラーの参入を阻止する上で決定的な役割を果たしました。アムジェンはSandoz(サンド)との特許訴訟においてこれらの特許の有効性が支持された⁸¹結果、Enbrelの市場独占を2029年まで(最初の承認から37年間⁵⁷)延長することに成功したと指摘されています⁵⁷、1。
しかし、このLCM戦略の「成功」は、2025年に入り、深刻な法的リスクに直面しています。2025年4月、Sandozはアムジェンに対し、反トラスト法(独占禁止法)違反で提訴しました⁷⁸、⁷⁹、7、1、¹²⁰。Sandozの核心的な主張は、「2004年のBrockhaus特許の買収行為自体が、競争を不法に阻害する反競争的行為であった」1というものです。Sandozは、この「不法な買収」がなければ、自社のバイオシミラーErelzi®(2016年にFDA承認済み⁷⁸)は、遅くとも2019年には市場参入できていたはずだ1と主張し、3倍賠償および市場参入を妨げる差止命令の解除を求めています⁷⁸、¹²⁰。2025年10月、裁判所はアムジェンによる訴えの棄却申立てを一部却下し⁷⁷、7、実質的な審理が継続しています。これは、アムジェンの伝統的なLCM戦略そのものが、特許法(S81)の枠を超え、反トラスト法(7)の領域で断罪される可能性が出てきたことを示しています。
Enbrelと並ぶ主力製品であるデノスマブ(骨粗鬆症治療薬Prolia/がん関連Xgeva)は、2025年に主要な「パテント・クリフ」を迎えました⁴⁹、⁵⁰。主要なRANKL抗体特許(US 7,364,736 12)は2025年2月に満了したと報じられています⁶¹。
Enbrelの事例(長期の法廷闘争と反トラスト法訴訟リスク7)とは対照的に、アムジェンはデノスマブにおいて、より現実的かつ進化した「軟着陸」戦略を選択したと見られます。アムジェンは、Sandoz、Celltrion(セルトリオン)、Samsung Bioepis(サムスン・バイオエピス)、Fresenius Kabi(フレゼニウス・カービ)、Accord(アコード)、さらにはHikma、Shanghai Henlius、Biocon(バイオコン)など⁷⁴、2、多数のバイオシミラー開発企業に対し、BPCIA(生物製剤価格競争・イノベーション法)に基づき、体系的に特許侵害訴訟を提起しました⁴³、⁷⁴、⁸²、⁸⁵。
しかし、アムジェンはEnbrelのように無期限に訴訟を継続し、参入を2029年以降まで阻止する道を選びませんでした。その代わりに、アムジェンはこれらの主要企業と2024年から2025年にかけて相次いで和解しました⁷³、⁷⁵、⁷⁶、2。
この和解戦略の核心は、「取引」にあります。
具体的には、Celltrionは2025年6月1日8、⁸³、Fresenius Kabiは2025年6月30日(欧州では2025年11月)⁷⁵、Sandozは2025年6月2、CelltrionとFresenius Kabiは2025年7月に実際に上市2しており、主要な競合の参入時期は2025年半ばに集中しています2。
この「管理された」市場開放戦略は、アムジェンにとって極めて合理的です。Enbrelのような長期にわたる法廷闘争と、それによって高まる反トラスト法リスク⁵⁶、7を回避しつつ、バイオシミラーの参入時期を2025年半ばまで遅らせ、かつ、そのタイミングを自社で正確にコントロールすることに成功しています。これは、Enbrelの経験から学んだ、より洗練された「出口戦略」であると推察されます。
2019年にCelgene(セルジーン)から約134億ドルで取得⁶⁵したOtezla(アプレミラスト)は、小分子医薬品(Small Molecule)であり、LCM戦略も伝統的なジェネリック(後発医薬品)防衛の様相を呈しています。アムジェンは、SandozやZydus Pharmaceuticals(ザイダス)といったジェネリックメーカーによるOtezlaの特許(例:US 7,427,638 12)への挑戦に対し、特許侵害訴訟を提起しました⁵⁸。
この訴訟はアムジェンの勝利に終わりました。2023年4月、米国連邦巡回控訴裁判所は、Otezlaの特許の有効性を支持する地方裁判所の判決を維持しました⁵⁹、⁶⁰。この判決により、アムジェンはSandozとZydusのジェネリック版Otezlaの市場参入を、主要な組成物特許(COM patent)であるUS 7,427,638が失効する2028年2月まで法的に阻止することを確定させました⁵⁸、⁵⁹、⁶⁰。これは、中核となる特許が強固である場合、伝統的な特許訴訟を通じてLCMを成功させた明確な事例です。
これら3つのケーススタディ(Enbrel, Prolia, Otezla)は、アムジェンが単一のIP戦略に固執するのではなく、製品の特性(生物製剤/小分子)、特許ポートフォリオの強さ、法的リスク(特に反トラスト法)、そして市場環境(競合の数)に応じて、「徹底抗戦型(Enbrel)」「管理開放型(Prolia)」「法廷防衛型(Otezla)」という異なる戦略を柔軟に使い分けていることを示しています。
当章の参考資料
アムジェンの知財戦略は、前章で詳述した自社製品の特許を防衛する「番人(Gamekeeper)」としての側面だけではありません。同時に、他社のブロックバスター製品の特許の壁に「挑戦者(Poacher)」として挑む、バイオシミラー開発企業としての一面も併せ持ちます。この一見矛盾した「攻守の二面性」こそが、アムジェンがBPCIA(生物製剤価格競争・イノベーション法)⁸⁶、⁸⁸、⁹⁰という複雑な法的枠組みを深く理解し、自社の利益を最大化する上で不可欠な戦略的資産となっています。
アムジェンが「挑戦者」として行動した最も象徴的な事例が、AbbVie(アッヴィ)の史上最大のブロックバスター医薬品「Humira(ヒュミラ)」(一般名:アダリムマブ)に対するバイオシミラー「Amgevita/Amjevita」の開発と市場参入です。
AbbVieは、Humiraを保護するために、米国議会の調査報告書¹¹⁰、3や専門家の分析¹¹¹、¹⁸⁰によれば、250件以上の特許を出願し、130件以上の特許を取得するという、製薬業界で最も有名かつ難攻不落の「パテント・シケット」¹¹⁰、¹⁸⁰を構築しました。この特許の壁は、バイオシミラーの参入を2030年代まで遅らせることを意図していたと広く批判されています3。
アムジェンは、この巨大な特許の壁に法的に挑戦した主要なバイオシミラー企業の一つです¹⁷⁹。しかし、アムジェンの戦略は、法廷で130件以上の特許(S180)すべての無効性を争い、完勝すること(S111)ではありませんでした。むしろ、訴訟を「交渉カード」として利用し、商業的に最も価値のある成果、すなわち「市場への早期参入」を勝ち取るための戦略的和解を選択しました。
2017年9月28日、アムジェンとAbbVieは、全世界でのHumira関連の特許訴訟をすべて解決するグローバル和解契約を締結したと発表しました¹⁶³、¹⁶⁴、¹⁶⁵、¹⁷¹。この和解の条件は、アムジェンの「攻守の二面性」を如実に示しています。
この和解によってアムジェンが手にした最大の「戦果」は、市場参入の時期です。アムジェンは、欧州では2018年10月16日¹⁷¹、そして米国市場では2023年1月31日に、競合他社に先駆けて米国で最初のHumiraバイオシミラーとしてAmjevitaを発売する独占的な権利を確保しました¹⁶²、¹⁶³、¹⁶⁷、¹⁶⁸、¹⁶⁹、¹⁷¹。
この戦略は、前章で見たProlia(2)の防衛戦略(=和解による参入時期のコントロール)と全く同じロジックを、「挑戦者」の立場から実行したことを示しています。アムジェンは、法廷での全面戦争という不確実なリスクを避け、交渉によって「米国市場一番乗り」という最大の商業的利益を確定させたのです。
アムジェンの知財戦略は、常に成功しているわけではありません。自社製品Repatha(レパーサ、一般名:エボルクマブ)に関連し、競合するSanofi(サノフィ)とRegeneron(リジェネロン)を特許侵害で提訴した訴訟は、最終的にアムジェンの歴史的な敗北に終わり、同社の(そしてバイオ業界全体の)IP戦略の根幹を揺るがす事態となりました。
背景: アムジェンは、Repathaに関連し、PCSK9タンパク質の特定の領域(「sweet spot」⁴²)に結合し、PCSK9がLDL受容体に結合するのを阻害するという「機能」によって定義された、広範な抗体群(「属:Genus」)全体をクレームする特許(例:US 8,829,165、US 8,859,741)⁴²、¹¹⁸、¹⁷⁴を取得していました。これは、アムジェンが発見した特定の26種類の抗体(S174)だけでなく、同じ機能を持つ(まだ発見されていない)潜在的に数百万種類におよぶ全ての抗体を排他的に支配しようとするものでした¹⁷³、¹⁷⁴。
最高裁判決(2023年5月): 米国最高裁判所は、Amgen Inc. v. Sanofiにおいて、アムジェンが主張したこれらの特許クレームは無効であると、9対0の全会一致で判断しました⁶⁸、⁶⁹、¹⁷⁴、9。
判決の理由: 裁判所は、アムジェンの特許明細書が、米国特許法第112条(a)(35 U.S.C. 112(a))が定める「実施可能要件(Enablement requirement)」⁶⁸、¹⁴⁵を満たしていないと結論付けました。
戦略的影響: この敗北は、単にRepathaという一つの製品の特許(S42)を失った以上の、深刻な長期的影響をアムジェンにもたらします。
総じて、アムジェンはBPCIA訴訟⁸⁶、⁸⁷、⁸⁹という「ゲーム」の戦術(=和解による時期のコントロール)においては、攻守両面(S167, 2)で高度な習熟を見せています。しかし、Amgen v. Sanofi判決(9)は、その「ゲームの前提」となる「特許というカード」自体の取得(S16)を困難にするものであり、アムジェンのビジネスモデルの土台を揺るがす、より根本的な挑戦を突きつけています。
当章の参考資料
アムジェンが長年依存してきた「パテント・シケット」によるLCM戦略(S57)は、2020年代に入り、その有効性を著しく低下させる二つの巨大な外的圧力に直面しています。この二重の脅威が、アムジェンのIP戦略を、従来の「防衛」から、M&Aとライセンスによる「ポートフォリオの根本的転換」へと駆り立てる最大の動機となっています。
第一の脅威は、伝統的な「パテント・クリフ(特許の崖)」です。前述の通り、Prolia/Xgeva(デノスマブ)が2025年⁵⁰、2に、Enbrel(エタネルセプト)が2029年⁵⁷に独占権を失う(あるいは失いつつある)ことで、莫大な収益源がバイオシミラーの参入によって急減することが避けられません⁵³、¹⁸⁴。
第二の、そしてより深刻な脅威が、2022年に成立した「IRA(インフレ削減法)の崖」です。この法律は、CMS(メディケア・メディケイド・サービスセンター)に対し、特定の高額医薬品の価格を製造業者と「交渉」する権限を与えました¹²³、¹²⁷。これにより、Enbrel(13)やOtezla(S132)のように、有効な特許がまだ残っている(S57, S59)にもかかわらず、その製品価格が政府によって強制的に引き下げられるという、前例のない事態が発生しました。
これら二つの「崖」(S53)は、自社の内部R&Dパイプラインの成長(S103)だけでは到底補いきれない規模の収益減少をもたらすため、アムジェンは、外部からの資産獲得、すなわち大規模M&Aによるポートフォリオの根本的な入れ替え(S182, S183)を迫られました。
この戦略的転換の集大成が、2023年10月に完了⁹⁴、¹⁰⁸した、アムジェン史上最大規模となる約283億ドル⁹²(現金1株あたり116.50ドル⁹¹)でのHorizon Therapeutics(ホライゾン)の買収です。
この買収は、アムジェンのIP戦略において二重の重要な意義を持ちます。
IP的意義①(ポートフォリオ転換):
最大の意義は、アムジェンの事業ポートフォリオを、IRAやバイオシミラー競争の影響を受けにくいと期待される「希少疾患(Rare Disease)」領域¹⁸²へと戦略的に転換(ピボット)させた点にあります。Horizonは、甲状腺眼症(TED)という希少疾患の最初で唯一の治療薬「TEPEZZA(テペザ)」³、¹⁰⁵、¹⁵⁹や、慢性難治性痛風治療薬「KRYSTEXXA(クリステキサ)」¹⁵⁹など、高い専門性と強力なIPポートフォリオ¹⁰⁵を持つ製品群を有していました。これらがアムジェンの既存の炎症領域のポートフォリオ(S9)を強力に補完¹⁵⁹し、IRAの影響を受けにくい(と期待される)新たな収益の柱となります。
IP的意義②(反トラスト法リスクの顕在化):
この巨大M&Aは、アムジェンのIP戦略に新たな法的リスクを突きつけました。米国連邦取引委員会(FTC)は、この買収が反競争的であるとして、2023年5月に取引の差し止めを求めて提訴⁹⁶しました。
FTCの懸念は、伝統的な特許の重複(水平的競合)ではありませんでした。FTCが問題視したのは、アムジェンが持つ既存のブロックバスター薬(例:Enbrel)の保険適用と、Horizonが持つ希少疾患薬(TEPEZZA等)の保険適用をセットで交渉材料にし、保険会社にリベートを提供する**「バンドリング(抱き合わせ販売)」**⁹⁶、10と呼ばれる商習慣です。FTCは、アムジェンがこの「バンドリング」10を利用することで、将来TEPEZZAやKRYSTEXXAの競合薬(10)を開発する他社を、保険のカバレッジから不当に締め出す(foreclose)10ことを懸念しました。
最終的に、アムジェンは2023年9月、FTCおよび複数の州と和解¹⁰⁴し、この種のバンドリングを行わないことなどを約束する「行為救済(Conduct Settlement)」⁹⁶、10を受け入れることで、買収の完了にこぎつけました。これは、将来の大規模M&Aにおいて、単なる特許ポートフォリオ(S105)だけでなく、そのIP資産を使った「商業的戦略(バンドリング)」までもが、反トラスト法当局の厳しい監視対象となることを示す重要な事例となりました。
アムジェンの知財戦略の真骨頂は、Horizon買収(2023年10月)の直後の動きに表れています。買収完了からわずか3ヶ月後の2024年1月10日、アムジェンはXeris Biopharma(ゼリス・バイオファーマ)との独占的ライセンス契約を締結したと発表しました¹⁰⁰、¹⁵²、¹⁵⁶、11。
契約の目的:
この契約の目的は、Horizonの最大の収益源であるTEPEZZA¹⁵⁷の皮下注射(subcutaneous, SC)製剤を開発することです¹⁰⁰、¹⁵²、11。現在のTEPEZZAは静脈内(IV)注入であり、患者は数ヶ月にわたり合計8回の点滴を受ける必要があります¹⁵⁷。Xerisの「XeriJect®」技術¹⁰⁰は、高濃度の生物製剤を少量で皮下投与可能にするもので、これが成功すれば、患者が自己注射できる、利便性が劇的に向上した(S152)「TEPEZZA 2.0」が誕生します。
契約の条件:
アムジェンはXerisに対し、開発および規制マイルストーンとして最大7,500万ドル¹⁰⁰、¹⁵³、¹⁵⁵、11を支払い、さらに売上ベースのマイルストーンと、将来のSC製剤の売上高に応じた(単一桁台の)ロイヤルティ¹⁰⁰、¹⁵³、11を支払います。
戦略的意義(LCMの即時実行):
この契約は、アムジェンがHorizonのIPポートフォリオ(S105)を単に「買った」だけでなく、買収完了と同時に、その資産価値を最大化し、製品寿命を延長するための次世代LCM(ライフサイクル・マネジメント)に即座に着手したことを示しています。このSC製剤¹⁵²、11は、現在のIV製剤¹⁵⁷とは異なる、新たな製剤特許やデバイス特許によって保護される可能性が極めて高いです。
これは、アムジェンがFTCによる「バンドリング(商業的LCM)」の道を一部塞がれた10ことを受け、即座に「特許的LCM」という、より伝統的かつ強力な独占権の延長戦略へと舵を切ったことを意味します。EnbrelやProliaで培った「特許による製品寿命の延長」というアムジェンのDNA(12)を、283億ドルで買収したばかりの最重要資産(TEPEZZA)に対しても、間髪入れずに適用しているのです。この一連の動きは、アムジェンのIP戦略が、M&A、法務(反トラスト法)、R&D、ライセンス活動のすべてにおいて、緊密に連携し、迅速に実行されている証左と言えます。
当章の参考資料
アムジェンの知財戦略は、業界内で孤立したものではなく、大手バイオファーマ(Big Pharma)が直面する共通の課題(パテント・クリフ¹¹³、¹⁸³、IRA¹²⁷)に対する、各社独自のアプローチの一つとして理解する必要があります。特に、最大の競合の一つであるAbbVie(アッヴィ)との比較は、アムジェンの戦略の特異性を浮き彫りにします。
アムジェンとAbbVie¹⁰⁹、¹¹²の知財戦略は、奇妙な「鏡像関係」にあります。両社は「パテント・シケット」¹⁷⁷と呼ばれる、多数の二次特許(製法、製剤、使用方法など)で主力製品を幾重にも保護する戦略の、二大巨頭と見なされています。
AbbVie (Humira):
AbbVieは、Humira(アダリムマブ)において、この戦略を最も攻撃的に実行しました。2016年に主要な物質特許が切れたにもかかわらず、米国議会(3)や専門家(S180)の分析によれば、130件以上の特許¹⁸⁰を駆使し、バイオシミラーの参入を2023年まで遅らせることに成功しました¹¹⁰、¹⁶⁷。この戦略は、「個々の特許が有効か否かに関わらず、膨大な数の特許で競合を法的に圧倒する」¹¹⁰、¹¹¹ものであり、制度の乱用であると厳しく批判されました3。
Amgen (Enbrel):
アムジェンもEnbrel(エタネルセプト)において、特許の買収(1)を含め、少なくとも68件の特許¹⁸¹でポートフォリオを構築し、2029年までの独占⁵⁷を維持しようとしています。この戦術は、AbbVieのHumira戦略と酷似しています¹⁷⁷。
鏡像関係(攻守の逆転):
この両社の関係が「鏡像」である理由は、Humira市場において、アムジェンが「挑戦者(バイオシミラー)」としてAbbVieのシケットを攻め(S179)、2017年に和解¹⁶³して2023年の一番乗りを果たした¹⁶⁷のに対し、Enbrel市場では、アムジェンが「防衛者」として自らのシケットを守り(S57)、Sandozの挑戦を退けている(S81)点にあります。アムジェンは、BPCIA訴訟⁸⁶、⁸⁸の「原告(番人)」と「被告(挑戦者)」の両方の立場を深く経験¹¹⁹しています。この二重の経験が、Prolia(2)で見せたような、訴訟を「時期と条件のコントロール」の手段として利用する、高度な和解戦術(2)を可能にしていると推察されます。
アムジェンだけでなく、他の大手バイオファーマも「パテント・クリフ」¹¹³、¹⁸³と「IRA」¹²⁷という共通の脅威に直面しています。Leerink Partnersの2024年のレポートによれば、Bristol Myers Squibb(BMS)、Merck(メルク)、Amgen、Novartis(ノバルティス)、AstraZeneca(アストラゼネカ)は、2025年から2030年にかけて最も深刻な「LOE(独占権失効)エクスポージャー」に直面していると指摘されています⁵³。
この共通の危機に対し、各社の対応(M&AとIP戦略)は明確に分岐しています。
Pfizer(ファイザー):
かつてLipitor(リピトール)¹¹³という巨大なパテント・クリフを経験したPfizerは、2023年、抗体薬物複合体(ADC)のリーディングカンパニーであるSeagen(シージェン)を430億ドルで買収¹⁸²しました。これは、アムジェンがHorizon買収で「希少疾患」¹⁸²という新領域に進出したのと同様に、Pfizerが「ADC(がん領域)」という高成長・高付加価値(かつIRAの影響を受けにくい)領域へ戦略的にピボットしたことを示しています。
Novartis(ノバルティス):
一方、Novartisは全く異なる戦略を選択しました。2023年、Novartisはジェネリックおよびバイオシミラー部門であるSandoz(サンド)をスピンオフ(分離・独立)させました¹¹⁶。これは、アムジェンがバイオシミラー事業(Amgevita S167)を社内に保持し「攻守の二面性」を戦略的資産とするのとは対照的です。Novartisは、Sandozを切り離すことで、リソースを放射性リガンド療法やRNAベースの治療法¹¹⁶といった最先端分野に集中させ、「focused innovative medicines company(集中型の革新的医薬品企業)」¹¹⁶へと特化する道を選びました。
本表は、アムジェンとその主要競合他社が、「パテント・クリフ」と「IRA」という共通の脅威に対し、知財戦略(シケット、バイオシミラー)とM&A戦略(ピボット)をどのように組み合わせて対応しているかを比較分析したものです。
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比較項目 |
Amgen(アムジェン) |
AbbVie(アッヴィ) |
Pfizer(ファイザー) |
Novartis(ノバルティス) |
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主力製品とIP戦略 |
Enbrel 1, Prolia 2「パテント・シケット」戦略(S57, S181)と、反トラスト法リスク(7)。Proliaでは「管理された」和解戦略へ移行(2)。 |
Humira 3最も攻撃的な「パテント・シケット」(S180)で批判3。バイオシミラー参入を2023年まで遅延(S167)。 |
Lipitor(過去, S113), Eliquis (S52)過去に巨大なパテント・クリフを経験(S113)。EliquisがIRA交渉対象(S52)。 |
Entresto (S49), Cosentyx (S116)EntrestoがIRA交渉対象(S49)。革新的医薬品にリソースを集中(S116)。 |
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バイオシミラー戦略 |
攻守一体型(ハイブリッド)「番人」(Enbrel防衛 S57)と「挑戦者」(Amgevita S167)の両方を実行。 |
防衛特化型自社バイオシミラー事業を持たず、Humira(3)の防衛に特化。 |
攻守一体型(限定的)自社バイオシミラー事業(例:Inflectra)を持つが、規模は限定的。 |
分離型(S116)Sandoz(サンド)を2023年にスピンオフ。イノベーターとバイオシミラーを完全に分離。 |
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M&Aによる戦略転換 |
Horizon買収 (283億ドル S92)「希少疾患」領域(S182)への戦略的ピボット。FTCによる反トラスト介入(バンドリング 10)あり。 |
Allergan買収 (630億ドル)Humiraのクリフ対策。ボトックスなど「メディカル・エステティック」へ多角化。 |
Seagen買収 (430億ドル S182)「ADC(抗体薬物複合体)」という最先端のがん領域へピボット。 |
Sandozスピンオフ (S116)「買収」ではなく「分離」によるポートフォリオの純化・集中化を選択。 |
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IRA薬価交渉の影響 |
深刻 (Enbrel, Otezla S123, S132)第1回(Enbrel 13)、第2回(Otezla S132)と連続で交渉対象に選定。戦略への直撃。 |
深刻 (Imbruvica, Linzess S132)主力品が交渉対象。 |
深刻 (Eliquis, Ibrance S52, S132)最主力品が交渉対象。 |
深刻 (Entresto, Tradjenta S49, S132)主力品が交渉対象。 |
出典:本レポートの分析(1, S49, S52, S53, S57, S92, S110, S113, S116, S123, S132, S167, S180, S181, S182)に基づきアナリスト作成。
分析的示唆:
この比較から明らかなように、大手バイオファーマは「パテント・クリフ」と「IRA」という共通の脅威(S53, S113)に直面していますが、その対応策(IP・M&A戦略)は明確に分岐しています。
アムジェンの戦略(1)は、Novartis(3)ほどイノベーションに純化できず、AbbVie(2)ほど大胆な多角化も選ばない、いわば「ハイブリッド型」の戦略です。自社製品を守る「シケット」(1)と、他社を攻める「バイオシミラー」(S167)、そして「M&A」(S182)という3つのツール全てを駆使するこの戦略は、最も複雑(S119)ですが、同時にアムジェンが2024年時点で14ものブロックバスター製品⁹を有する(S103)ように、ポートフォリオのリスクが分散されているとも評価できます。しかし、IRAによって「シケット」の価値(S123)が毀損し、M&A(10)が規制当局に監視される中、このハイブリッド戦略の維持は困難さを増していると推察されます。
当章の参考資料
アムジェンの精緻な知財戦略は、過去に大きな成功を収めてきましたが、現在、短期・中期・長期のすべての時間軸において、深刻かつ連動したリスクと課題に直面しています。特に、過去の成功戦略(パテント・シケット、広範な属クレーム)が、現在の法規制環境の変化(反トラスト法、IRA、Sanofi判決)によって、最大のリスク要因へと変貌している点が注目されます。
これらのリスクを総合すると、アムジェンは、自らの過去の成功戦略(「パテント・シケット」と「広範な属クレーム」)が、現在(2025-2026年)、「反トラスト法訴訟」(7)と「IRA薬価交渉」(13)という形で短期的な収益リスクを生み、同時に、将来(2029年~)のイノベーションの基盤(Sanofi判決 9)を侵食するという、深刻な「時間的ジレンマ」に陥っていると分析されます。
当章の参考資料
前章で概説した深刻なリスク(S53, 7)は、アムジェンのIP戦略が、過去の成功体験が通用しない「新たなゲーム」の時代に突入したことを示しています。今後の展望は、アムジェンが「IRA(インフレ削減法)」¹²⁵、¹²⁷と「ポストSanofi判決」¹⁷⁴、9という2つの新しいルールにいかに適応できるかにかかっています。
インフレ削減法(IRA)は、バイオファーマ業界のIP戦略の前提条件を、特許法(S25)そのものに触れることなく、経済的インセンティブの側面から根本的に覆しています¹²⁵、¹²⁷。
「独占期間」から「収益の総量」へ:
従来、IP戦略のゴールは「特許満了日」まで(例:Enbrelの2029年⁵⁷)市場独占を維持することでした。しかし、IRAによる薬価交渉¹²³(13)の導入により、特許期間がまだ有効であっても、承認から一定期間(生物製剤は13年、小分子医薬品は9年¹²⁷)が経過すれば、価格が強制的に引き下げられる(13)ことになりました。
これにより、IP戦略の焦点は、単なる「独占期間の長さ」から、「薬価交渉が開始されるまでの13年間(または9年間)¹²⁷に、いかに早く収益を最大化するか」という、より短期集中的なゲームへと変容しつつあります。
戦略的インセンティブの変化:
IRAは、小分子医薬品(9年)¹²⁷よりも生物製剤(13年)¹²⁷を薬価交渉開始までの期間で優遇しています。この制度設計は、アムジェンのようなバイオ企業に対し、R&D投資やM&Aの優先順位を、小分子医薬品(S125)よりも生物製剤(S125)へと振り分ける強力なインセンティブとして機能する可能性が指摘されています。
また、IRAの対象になりにくい(あるいは、そう期待されている)「希少疾患」治療薬¹⁸²への戦略的ピボット(例:Horizon買収⁹⁴)は、今後も業界のM&Aトレンドとして加速すると推察されます。
政策アドボカシーの重要性の増大:
アムジェンは、IRAの薬価交渉条項がイノベーションを阻害する「chilling effect(冷却効果)」¹³⁰を持つとして、公式に反対声明14を発表しています。今後、アムジェンは「IP Policy & Advocacy」部門(5)を通じ、PhRMA¹⁴⁶などの業界団体と連携したロビー活動¹⁴³を継続・強化していくと見られます。IP戦略の法的・戦術的な側面(6)と、立法府や行政機関に働きかける政策・立法(S143)の側面は、今後ますます不可分となり、IRAの修正や運用変更を目指す活動(S146)も、広義のIP戦略の重要な一翼を担うことになります。
IRAが「IPの経済的価値」を脅かす一方、Amgen v. Sanofi 最高裁判決(9)は、「IPの法的基盤(取得可能性)」そのものを脅かしています¹³⁸。特に生物製剤(S138)の分野において、「実施可能要件(Enablement)」¹⁷⁴という高い壁が設けられました⁷⁰、¹⁷³。
「属クレーム」からの転換:
Sanofi判決¹⁷⁴、9以降、「機能」(例:〜に結合し、〜を阻害する¹⁷⁴)のみに依存した広範な「機能的属クレーム」¹⁷⁵は、無効化されるリスクが極めて高くなりました¹⁷³。この新たな法的環境(S16, S70)に適応するため、アムジェンは特許出願戦略の根本的な見直しを迫られています。
AIによる「実施可能性」の補強:
このSanofi判決(9)が突きつけた困難な法的課題に対し、逆説的にも、アムジェンが推進する「Tech(AI)」戦略¹³⁵、4が、その解決策となる可能性を秘めています。
この仮説が正しければ、アムジェンのCTO職新設(S28)とAIへの戦略的投資(S135)は、単なるR&Dの効率化¹³⁴、4に留まらず、自らが敗訴したSanofi判決9によって狭められた「生物製剤の特許適格性」という法的フロンティアを、技術(AI)の力で再び押し広げようとする、極めて戦略的な「知財防衛・拡大戦略」の一環であると推察されます。
新たなIPリスク:
一方で、このアプローチは新たな法的課題を生み出します。AIを活用した発明は、「発明者(AI自体は発明者と認められない¹³⁷)は誰か?」という問題や、AIのアルゴリズム(S133)や学習データ¹³³を企業秘密(S12)として保護しつつ、いかに特許法が要求する「実施可能性」を開示するか、というジレンマ¹³⁷、9を抱えています。アムジェンが設置した「AIガバナンス・カウンシル」¹⁵⁰は、まさにこの最先端の課題に対応し、AIという新たな戦略的資産¹²、¹⁵⁰を知的財産として保護・管理するための組織であると考えられます。
当章の参考資料
本レポートで分析したアムジェンの知財戦略、および同社を取り巻く法規制環境(IRA、反トラスト法、Sanofi判決)の激変は、経営陣、R&D部門、および法務・事業化部門に対し、以下のような戦略的示唆を与えます。
当章の参考資料
アムジェンの知的財産戦略は、バイオテクノロジー業界におけるR&D投資回収モデルの典型であり、その実行において最も精緻かつアグレッシブな企業の一つであると言えます。しかし、本レポートの分析が示す通り、その戦略は歴史的な岐路に立たされています。
アムジェンが長年依存してきた2つの柱、すなわち「パテント・シケット(特許の壁)」1と「広範な機能的属クレーム」9は、それぞれ「反トラスト法(独占禁止法)」7と「Amgen v. Sanofi 最高裁判決」9という形で、その法的・商業的基盤を揺るがされています。過去の成功戦略が、現在(2025年)の最大のリスク要因(7)となっているのです。
これに追い打ちをかけるのが「インフレ削減法(IRA)」¹³⁰です。IRAは、Enbrel13やOtezlaS132のように、有効な特許ポートフォリオの経済的価値そのものを、特許期間の満了前に強制的に毀損¹²³します。
アムジェンは、この「法制度」「特許性」「薬価」という三重の包囲網に対し、単なる「防衛」に留まらない「三方面への戦略的ピボット」で対応しています。
アムジェンの今後の成否は、この3つのピボットが、複雑に絡み合う法規制の網(9)を抜け、次世代のイノベーション(S103)と収益の柱(S94)を確立できるかにかかっています。アムジェンの知財戦略は、もはや特許法務部門(6)だけのものではなく、経営戦略(M&A S96)、R&D(AI 4)、政策渉外(IRA 5)が一体となった、全社的なサバイバル戦略そのものであると結論付けられます。
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本レポートは、公開情報をAI技術を活用して体系的に分析したものです。
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ご利用にあたって
本レポートは知財動向把握の参考資料としてご活用ください。 重要なビジネス判断の際は、最新の一次情報の確認および専門家へのご相談を推奨します。
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