3行まとめ
「アンチブランド」思想と法的防衛のパラドックス
「しるしの無い良い品」という理念を守るため、技術特許の取得よりも、企業の思想的根幹である商標(名称)と製品形態(デザイン)の防衛に特化する独自の戦略を採用しています。
中国市場での商標敗訴とブランド分断の代償
初期出願時の第24類(タオル等)の欠落により、中国企業との訴訟で敗訴(賠償金約1,000万円)が確定。さらに敗訴後の声明が名誉毀損と認定される二重の法的蹉跌を経験しました。
「形態保護」への転換と知財ガバナンスの強化
ユニットシェルフ訴訟での勝訴実績を活かした不正競争防止法によるデザイン保護の拡大と、全区分出願を徹底する「知財先行」プロセスの確立が急務です。
この記事の内容
株式会社良品計画(以下、良品計画)の事業活動、そしてその知的財産(以下、知財)戦略の根幹を理解するためには、まず1980年に誕生した「無印良品」というブランドの特異な成立背景と、その根底にある思想的基盤を解明する必要があります。
「無印良品」は1980年、セゾングループ(当時の親会社は西友)のプライベートブランドとして、「わけあって、安い。」というキャッチコピーと共に市場に登場しました$^{25, 26}$。このコンセプトは、従来の製造・流通過程で見栄えや規格の問題で排除されていた商品を、実用本位の観点から見直し、消費者に提供するというものでした$^{25}$。この思想は、ブランド創生以来一貫して守られている「ものづくりの3つの視点」によって具体化されています。
これら3つの視点は、単なるコスト削減の手法ではなく、「実質本位の商品づくり」という、良品計画の哲学そのものを示しています。
この哲学が最も凝縮されているのが「無印良品」というネーミングです。これは文字通り「しるしの無い良い品」を意味します$^{26}$。その背景には、モノが充足し、過度な商業主義によってブランドのロゴやネームバリューそのものが価値を持つようになった1980年代の消費社会に対する、明確なアンチテーゼが存在します$^{26}$。良品計画は、製品の本質的な価値とは無関係な「しるし」によって価格が吊り上げられる状況を問い直し、「無印」という立場から「良品」という価値観を提示しようと試みました。
この「アンチブランド」とも呼べる思想は、同社の知財戦略において、根源的かつ重大なパラドックス(逆説)を生み出す要因となっていると分析されます。
一般的な企業にとって、知的財産、特に「商標(ブランド)」は、他社製品との差別化を図り、自社の信用や品質を積極的にアピールするための「しるし」として機能します。多くの企業は、この「しるし」の価値を最大化するために知財戦略を構築します。
しかし、良品計画の理念は、その「しるし」を付けないことを是としています。
この根本的な矛盾こそが、良品計画の知財戦略を極めて特異なものにしています。すなわち、同社が法的に保護しようとしている対象は、一般的な企業のような「強力なブランド・アイデンティティ」ではなく、むしろ「ブランドではない」という思想そのものであると推察されます。法的に守るべきは、特定のロゴやマークの積極的な価値ではなく、その背後にある「簡素」「実質本位」といった哲学が、グローバル市場で他者(特に模倣者や悪意の第三者)によって希釈化され、あるいは毀損されないことにあると見られます。
したがって、良品計画の知財戦略は、本質的に「プロアクティブ(積極的・攻撃的)」な価値創造ではなく、「ディフェンシブ(防衛的)」な思想防衛の性格を帯びざるを得ない構造にあります。
この防衛的戦略において、グローバル市場での実務的な中核を担うのが、「MUJI」という名称です。1991年の海外初進出(ロンドン)の際、日本語の「むじるしりょうひん」という発音が英語圏の消費者にとって困難であったため、現地の関係者が使用していた略称「MUJI」が正式なブランド名として採用されました$^{26}$。「無地」とも聞こえるこのアルファベット4文字の名称は、「無印」という思想的背景を保持しつつ、国境を超えて法的に保護・管理・行使するための、同社にとって最も重要な知的財産(商標)として機能しているのです。
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良品計画の知財戦略の全体像と、それを実行する組織体制を分析する上で、まず注目すべきは、同社の公式なコーポレート・ガバナンス文書や統合報告書における知財の位置づけです。
2024年10月28日に開示された最新の「コーポレート・ガバナンスに関する報告書」$^{35}$や、2024年度の統合報告書「MUJI REPORT 2024」$^{20, 21}$、その他IR資料$^{34}$を精査した限りにおいて、「知的財産」や「知財戦略」といった文言は、経営上の重要課題(マテリアリティ)、リスクマネジメントの主要項目、あるいは取締役会のスキルマトリックス(各取締役が有する専門性の一覧)の項目として、明示的に記載されていません。
これは、同社が知的財産を軽視していることを直ちに意味するものではありません。むしろ、知的財産に関する課題が、取締役会レベルで監督・議論されるべき最上位の「ガバナンス・マター」としてではなく、法務部門などが担当する「実行・管理マター」として位置づけられている可能性を示唆しています。
この推察を裏付けるのが、同社の法務部門の設立経緯と役割です。良品計画の知財戦略を担う組織的基盤において、重要な転機となったのは2017年2月と考えられます。この時期に、それまで総務部の一部機能であった法務機能が「法務部」として独立・新設されました$^{23}$。
2018年時点での報道によれば、この法務部新設の背景には、当時すでに21社存在した海外関連会社を含め、「グローバル全体の法務機能を担うこと」を明確に掲げた目的がありました$^{23}$。担当業務は、国内外の契約審査、コンプライアンス対応、株主総会対応などと並び、「商標などの知的財産案件」への対応が明確に位置づけられています$^{23}$。組織体制は、法務部長以下、法務課長、メンバーを含む6名(うち日本法の有資格者1名)という、少数精鋭の構成であったと報告されています$^{23}$。
この「2017年2月」という法務部の設立時期は、同社の知財戦略の歴史において極めて示唆に富んでいます。
後続の章で詳細に分析しますが、良品計画は中国市場において二つの重大な商標紛争を経験(あるいは係争中)でした。一つはJBI社(香港)との悪意の先行登録を巡る紛争で、これは2000年の提訴から7年半を経て2007年に良品計画の勝訴で終結しています$^{1, 28}$。もう一つは、北京棉田紡績品(BCF)社(中国本土)との、第24類(タオル・寝具など)の商標権を巡る紛争です。このBCF社からの商標権侵害訴訟は2015年に提起され$^{12}$、良品計画は2017年12月に第一審で敗訴(その後2019年に上訴審でも敗訴が確定)$^{4}$しています。
時系列で整理すると、以下のようになります。
この時系列は、良品計画の組織体制の構築が、プロアクティブ(先見的)な戦略立案に基づいて行われたというよりも、むしろグローバル展開(特に中国)で現実に発生・激化した知的財産紛争の複雑性と経営インパクトの増大に対応するため、リアクティブ(対応的)にガバナンスを強化した結果であることを強く推察させます。2015年に始まったBCF社との深刻な訴訟が、従来の総務部兼任の法務機能では対応しきれない経営課題となり、2017年の専門部署(法務部)設立の直接的な引き金になった可能性は極めて高いと見られます。
法務部の具体的な役割として、「海外の商標権侵害に関し、現地の弁護士と連携して対処するケースが多い」と報告されています$^{23}$。特に、良品計画の「アンチブランド」という思想的背景、すなわち製品にロゴを付さないという特性が、「形だけマネをされて係争に発展してしまうこともある」という課題を生んでおり、通常の商標登録や意匠権登録が難しいグレーな領域において「どうすべきか法務が知恵を絞る」ことが求められているとされています$^{23}$。これは、同社の知財管理が、単純な権利取得(出願)業務に留まらず、企業の理念と法的現実のギャップを埋めるという、高度な判断を要求される業務であることを示しています。
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良品計画の知財戦略ポートフォリオを分析すると、その構造は極めて特徴的です。競合する製造小売業(SPA)の多くが、機能性素材や製造プロセス、あるいはビジネスモデルに関する「特許」や、ユニークな製品デザインを保護する「意匠」を重視するのに対し、良品計画の戦略は、その思想的根幹である「無印良品」および「MUJI」という*名称(商標)*の防衛に、リソースが極度に集中していると分析されます。
この「商標中心主義」とも言える戦略は、前述した「アンチブランド」の理念と表裏一体です。良品計画の製品は、その思想上、製品自体にロゴ(しるし)を付しません。したがって、消費者がその製品の出所(Source)を認識する手がかりは、製品の「形態(デザイン)」そのものと、店舗やパッケージに示される「MUJI」または「無印良品」という名称以外に存在しません。
仮に製品の機能や形態が模倣されたとしても、その「思想」の出所を示す名称さえ法的に守り切れば、ブランドの核は維持できる、という判断が根底にあると推察されます。この「名称(商標)」こそが、同社の思想を防衛するための「最後の一線」であり、知財戦略における最重要防衛ラインと位置づけられています。
この防衛戦略は、グローバル展開の初期段階から積極的に実行されてきました。例えば、WIPO(世界知的所有権機関)の仲裁調停センターの記録によれば、良品計画は2000年、第三者に取得されていた「muji.com」というドメイン名を巡る統一ドメイン名紛争処理方針(UDRP)において、申立てが認められ、ドメイン名の移転を受ける決定(D2000-0084)を勝ち取っています$^{8}$。これは、インターネットの普及初期から、グローバルなデジタル空間におけるブランド名の防衛に積極的であったことを示す証左です。
この商標防衛戦略の重要性と困難性が最も顕著に表れたのが、中国市場における一連の商標紛争です。特に、良品計画の中国における商標戦略史は古く、複雑であり、明確に区別されるべき二つの大きな紛争が存在します。本章では、その第一の紛争、すなわち「JBI社事件」について詳述します。
JBI社事件は、良品計画が中国市場における「悪意の商標先行登録(商標スクワッティング)」に対し、法的に勝利した重要な成功事例です。
このJBI社事件の勝利は、良品計画にとって二重の意味で極めて重要でした。
第一に、中国の司法・行政当局が、国際的な知財保護の基準に沿って「悪意による先行登録」を明確に断罪し、真正な権利者(良品計画)の主張を認めたという点です$^{1}$。これは、当時の中国市場の知財保護水準に対する国際的な懸念に対し、一定の信頼を与えるものであり、良品計画はその公正な判断に公式に敬意と感謝の意を表明しています$^{1, 28}$。
第二に、この法的手続きのコストです。2000年5月の無効取消請求から、2007年10月の最終判決確定まで、実に7年5ヶ月という長い年月を要しました$^{28}$。この経験は、中国市場における知財紛争が、たとえ正当な主張であっても、解決には膨大な時間とコスト(弁護士費用、社内リソース)を要する「消耗戦」であることを、同社に痛感させたと推察されます。
このJBI社(香港企業)に対する「悪意」の主張が認められたという成功体験は、良品計画のその後の知財戦略に、良くも悪くも影響を与えた可能性があります。特に、次に直面する、より複雑な紛争(北京棉田事件)において、「悪意」や「周知著名性」を主張すれば、JBI事件と同様に最終的には勝利できるのではないかという、ある種の「成功バイアス」あるいは楽観的な見通しをもたらす一因となった可能性は否定できません。
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JBI社との「悪意の先行登録」を巡る戦いで勝利を収めた良品計画ですが、その一方で、中国市場においては、より深刻かつ根本的な商標問題、すなわち「北京棉田紡績品(BCF)事件」に直面していました。この事件は、JBI事件とは全く異なる法的論点を含んでおり、良品計画のグローバル知財戦略における重大な蹉跌(さてつ)と法的教訓を示す事例となりました。
この紛争の核心は、良品計画の初期の中国における商標出願戦略に、致命的な「ポートフォリオの穴」が存在したことにあります。
良品計画は、中国市場への本格進出(1号店は2005年)$^{12}$に先立ち、1999年から中国において「無印良品」の商標出願を開始しました。その範囲は、Class 3(化粧品)、Class 16(文房具)、Class 20(家具)、Class 25(衣料品)、Class 35(小売サービス)など、中核事業をカバーする広範な区分(クラス)に及んでいました$^{7}$。
しかし、この1999年の初期出願ポートフォリオには、アパレル(Class 25)や雑貨(Class 21等)と極めて密接に関連するにもかかわらず、**国際分類第24類(テキスタイル、タオル、ベッドカバー、布製品など)**が決定的に欠落していたのです$^{7, 12}$。
良品計画がこの重要区分を見落としている間に、海南南華工業貿易公司(Hainan Nanhua Industrial & Trade Co.)が、良品計画の初期出願(1999年)から間もない2001年に、第24類において「无印良品」(簡体字)を商標出願し、登録を取得しました$^{7}$。この商標権は、2004年に北京棉田紡績品有限公司(Beijing Cottonfield Textile Co., Ltd、以下BCF社)に譲渡されました$^{7}$。
この「第24類の穴」は、良品計画が2005年に中国1号店を開設し、事業を拡大する過程で顕在化します。良品計画は、自社が権利を持たない第24類に属するタオル、ベッドカバー、ラグ等の商品の一部においても、日本国内と同様に「無印良品」のロゴを使用して販売しました$^{2, 4}$。
2015年、第24類における正当な商標権者であるBCF社は、良品計画およびその中国子会社である無印良品(上海)商業有限公司(MUJI上海)のこの行為が、自社の商標権を侵害するとして、損害賠償と販売停止、謝罪を求める訴訟を提起しました$^{3, 12}$。
法廷において、良品計画はJBI事件の勝利体験も踏まえ、自社の「無印良品」ブランドが、BCF社の出願時点(2001年)において既に中国で広く知られた「周知著名商標(Well-known Trademark)」であったと主張し、BCF社の権利(あるいはその行使)を無効化しようと試みました。
しかし、この主張は中国の裁判所によって厳しく退けられました。2019年、北京市高級人民法院はBCF社側の主張を全面的に認める最終判決を下し、良品計画およびMUJI上海に対し、損害賠償金(約62.6万人民元、約1,000万円)の支払いと、商標権侵害の事実を認める謝罪広告の掲載を命じました$^{3, 12}$。
良品計画がJBI事件と異なり、BCF事件で決定的に敗訴した法的要因は、以下の3点に集約されます。
この敗訴がもたらした経営上のインパクトは甚大です。良品計画は、中国本土という最重要市場において、タオル、ベッドカバー、ラグといった主力商品群(第24類)について、「無印良品」という漢字4文字の商標を使用することが法的に不可能となりました。
苦肉の策として、同社はこれらの商品において、漢字ロゴをタグから削除し、英語の「MUJI」ロゴのみを使用するという対応を余儀なくされています$^{4, 29}$。これは、グローバルで統一されるべきブランド・アイデンティティが、特定の国(中国)の、特定のカテゴリー(第24類)において分断されるという、深刻な事態を意味します。
BCF社との一連の紛争は、良品計画のグローバル知財戦略における、複数の戦略的失敗が連鎖した結果であったと評価されます。
第一の失敗は、1999年の初期出願時に、中核事業と密接に関連する第24類(テキスタイル)という最重要区分を見落としたという、純粋な戦術的ミスです$^{7}$。
第二の失敗は、JBI社(悪意が明白な香港企業)への勝利体験$^{28}$に固執し、BCF社(良品計画の店舗展開*前*に登録した中国本土企業)に対しても「周知著名性」の主張が通ると楽観視した(あるいは、それしか対抗手段がなかった)という、法務戦略上の誤算です$^{9}$。
この二つの失敗が組み合わさった結果、同社は中国市場において、ブランドの完全性を毀損するという、取り返しのつかない代償を支払うことになったと結論付けられます。
当章の参考資料
前章で詳述したBCF社との商標権侵害訴訟での敗訴は、良品計画の中国戦略における蹉跌の始まりに過ぎませんでした。この敗訴は、さらに第二の法務的敗訴、すなわち「名誉毀損訴訟」へと発展します。この一連の出来事は、良品計画の知財戦略における「商標(名称)」の防衛が、いかに困難な状況に陥ったかを象徴しています。
本章では、まずこの名誉毀損事件の経緯を分析し、次いで、商標(名称)に次ぐ第二の知財の柱として機能している「製品形態の保護戦略」について、その重要性を分析します。
BCF社との商標権侵害訴訟で、2019年に北京市高級人民法院による敗訴判決(終審)が下された直後、良品計画およびMUJI上海は、判決の履行(謝罪広告の掲載)の一環として、自社の中国国内の実店舗およびECサイト(Tmall旗艦店)において、2019年11月18日から約1ヶ月間、「声明」を発表しました$^{13, 29}$。
この「声明」の文面が、新たな法廷闘争の火種となりました。判決書などによれば、声明には以下の趣旨の文言が含まれていました。
「(前略)中国大陸においては、株式会社良品計画はほとんど全ての商品、役務区分上で「無印良品」商標を登録しましたが、布、タオル、ベッドカバー等商品区分の一部では、他の企業に「无印良品」商標を先取りされました。(中略)2014年、2015年に誤って該商標を使用してしまいまし(た)。(中略)北京市高級人民法院の認定により、我々の行為が北京棉田紡織品有限公司の商標権を侵害しました。(後略)」$^{13, 29}$(注:記事筆者の翻訳・要約)
問題となったのは、「先取りされました」と翻訳された中国語の「抢注(qiǎngzhù)」という表現です$^{13}$。この「抢注」という単語は、単に「先に登録された」という事実を示す中立的な言葉ではなく、「商標スクワッティング(不正な抜け駆け登録)」という、不法性・非倫理性を強く含意するネガティブな評判を伴う言葉として、一般に認識されています$^{13}$。
BCF社は、この良品計画の声明を「名誉毀損」であるとして、直ちに良品計画を提訴しました$^{27, 30}$。BCF社の主張は、「自社の商標権は、北京市高級人民法院の判決によっても*合法的な権利*であると最終的に確定したものである。それを良品計画が公然と『抢注(不法な先取り)』と表現することは、社会的な評価を貶める意図的な名誉毀損である」というものでした$^{13, 29}$。
2021年から2022年にかけて行われた裁判の結果、北京市朝陽区人民法院(一審)および北京市知識産権法院(二審)は、BCF社の主張を概ね認め、良品計画の声明が名誉毀損を構成すると判断しました$^{13}$。裁判所は、良品計画に経済的損失および合理的支出として計20万人民元(約400万円)の支払い等を命じました$^{13}$。
この一連の出来事は、良品計画のグローバル知財戦略における、第三の、そして最も深刻な失敗であったと評価できます。
これは、良品計画側の「我こそが真の無印良品である」という思想的・感情的な確信と、「BCF社が第24類の合法的権利者である」という中国における法的現実とが、深刻に乖離した結果引き起こされた、広報・法務戦略(リスクマネジメント)の明らかな失敗であったと推察されます。この結果、良品計画は「商標権を侵害した企業」というだけでなく、「敗訴後も相手方の名誉を毀損した企業」という、二重のネガティブ・ブランドを中国市場で負うことになりました。
このように、ブランドの根幹である「名称(商標)」の防衛が、特に中国市場において極めて困難な状況に直面する一方で、良品計画の知財戦略にはもう一つの重要な柱が存在します。それが、製品の「形態(デザイン)」そのものを法的に保護する戦略です。
良品計画の競争優位の源泉は、その「思想」を具現化した製品デザインの独自性にあります。プロダクトデザイナー深澤直人氏による「壁掛式CDプレーヤー」は、そのミニマルなデザインが高く評価され、ニューヨーク近代美術館(MoMA)の永久収蔵品にも選定されています$^{33}$。また、「体にフィットするソファ」(通称:人をダメにするソファ)は、2000年代初頭の発売から12年間で100万個以上を販売する$^{22}$など、特定のデザイナーやロゴを前面に出すことなく、その形態と機能性だけで消費者を魅了するアイコニックな製品を多数生み出してきました。
これらの製品は、「MUJI」のロゴを製品表面に刻印することなく、その「かたち」自体が「無印良品らしさ」を雄弁に物語る、まさに「ロゴなきブランド」の具現です。この「形態に宿ったブランド性」をいかに法的に保護するかが、商標戦略と並ぶもう一つの重要な課題となります。
製品デザインの保護において、第一に想起されるのは「意匠権」ですが、意匠権は登録(新規性、創作性等)が必要であり、また権利期間(日本で出願から最長25年)にも限りがあります。
ここで注目すべきは、2017年に法務部が新設された$^{23}$前後に、良品計画が意匠権とは異なる法的アプローチ、すなわち「不正競争防止法」を積極的に活用して、この「形態の保護」を追求している点です。
この「ユニットシェルフ」訴訟の勝訴は、良品計画の知財戦略の第二の柱を明確に示す、極めて重要な事例です。
これは、法務部が直面していた「形だけマネをされて係争に発展してしまう」$^{23}$という、同社特有の課題に対する、極めて有効かつ洗練された法的解決策であると高く評価できます。
結論として、良品計画の知財戦略は二つの盾によって構成されていると分析されます。商標(名称)が、「アンチブランド」の思想そのものを守る第一の盾であるならば、不正競争防止法(形態)は、その思想が具現化し、市場での信用を勝ち取った製品そのものを守る第二の盾であると言えます。
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良品計画の知財戦略、すなわち「商標(名称)の防衛」と「不正競争防止法(形態)の防衛」という二本柱に特化し、「特許(技術)」の側面が意図的に希薄であるという特異性は、同業のグローバルSPA(製造小売業)企業と比較することで、その輪郭が一層明確になります。
ここでは、ファーストリテイリング(ユニクロ)、イケア、ニトリという、思想やビジネスモデルにおいて比較対象となる主要競合企業の知財戦略を対比分析します。
ファーストリテイリング(以下、FR)の知財戦略は、良品計画とは対照的に、極めて積極的(プロアクティブ)かつ多角的です。その核心は、良品計画と同様に「LifeWear」という思想$^{13}$に基づきつつも、その思想を具現化するための「機能性技術」と「革新的な顧客体験」を、特許・意匠・商標の三位一体で網羅的に保護する点にあります$^{14}$。
スウェーデン発祥のイケア(Inter IKEA Systems B.V.)は、グローバルなブランド(商標)とデザイン(意匠)を強固に保護する一方で、特定の技術領域において、FRとも良品計画とも異なる、第三の戦略を採用しています。
ニトリホールディングスの戦略は、その強力な「製造物流IT小売業」というビジネスモデルと不可分です。特に、大ヒット商品「Nクール」シリーズに代表されるように、素材メーカー(例:東洋紡)との共同開発を通じて、独自の機能性商品を創出する点に特徴があります。
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比較軸 |
株式会社良品計画 |
ファーストリテイリング |
Inter IKEA Systems B.V. |
株式会社ニトリホールディングス |
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戦略的核心 |
「アンチブランド」思想の防衛$^{26}$ |
「LifeWear」の思想と技術的優位性の確保$^{13, 14}$ |
「デモクラティック・デザイン」とESG(安全性)$^{17}$ |
「製造物流IT」とサプライチェーン連携による機能価値$^{24}$ |
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商標戦略 |
防衛的。中核名称(MUJI)の死守。中国で一部敗訴・ブランド分断$^{12, 13}$。 |
攻勢的・網羅的。ブランド(UNIQLO)および新サービス(UNIQLO Pay)を先行保護$^{14}$。 |
強固なグローバル管理。IKEAブランドの統一性を維持$^{15}$。 |
機能ブランド戦略。「Nクール」など機能価値と直結した商標を強力に展開$^{24}$。 |
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特許戦略 |
意図的な不在(非重視)。思想と合致しないためと推察される。 |
戦略的・選択的。機能性素材(エアリズム)や業務プロセス(RFID)を独占・防衛$^{14}$。 |
戦略的・解放型。安全性技術(転倒防止)を「特許誓約」として業界に解放$^{17}$。 |
共同開発型。素材メーカー等との共同出願・ライセンスによる技術確保と推察される$^{24}$。 |
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デザイン・形態保護 |
不正競争防止法を積極活用(例:ユニットシェルフ)$^{37}$。製品形態の「周知性」を立証。 |
意匠権(建築物含む)$^{14}$と**不正競争防止法**(バッグ)$^{14}$を併用。 |
中核戦略。強力な意匠権ポートフォリオによるデザイン保護。 |
不明。(公開情報からは顕著な戦略は見られない) |
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特徴的な動向 |
中国での商標敗訴と、続く名誉毀損訴訟での二重の蹉跌$^{13, 27}$。 |
RFID技術を巡る特許紛争と和解$^{14}$。SHEINに対する模倣品訴訟$^{14}$。 |
知財を社会貢献(ESG)に活用する「Patent Pledge」$^{17}$。 |
Nクールなど、素材技術に立脚したヒット商品の継続的創出$^{24}$。 |
結論的分析:
この比較から、良品計画の知財戦略がいかに「特異」であるかが明確になります。競合他社が「特許(技術)」を、攻撃(FR)、防衛(FR)、解放(IKEA)、あるいは共同開発(ニトリ)のいずれかの形で戦略の中核に据えているのに対し、良品計画の戦略において特許は意図的に「不在」です。
これは、良品計画の価値の源泉が、FRのような「新機能技術」や、ニトリのような「新素材」にあるのではなく、あくまで一貫した「デザイン哲学・美意識」そのものにあるためです。この哲学を具現化する手段(=製品)は、必ずしも最先端技術を必要としません。
したがって、同社の知財戦略は「商標(名称)」と「不正競争防止法(形態)」の二本柱に極度に特化せざるを得ません。これは、その企業理念と表裏一体の、論理的に一貫した戦略であると同時に、特許という強力な排他的独占権(防護壁)を持たない、極めてリスクの高い戦略であると評価できます。
当章の参考資料
良品計画の「アンチブランド」思想を防衛するという特異な知財戦略は、その理念と法務的現実とのギャップから、短期・中期・長期にわたる固有のリスクと課題を内包しています。
この「思想のコモディティ化」が進行した場合、法的に保護された「MUJI」という名称(商標)や、一部の「製品形態」$^{37}$は残るかもしれません。しかし、その名称や形態に、もはや消費者を惹きつける「思想」の優位性が伴わなくなれば、ブランドは本質的に空洞化することになります。
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前章で分析した短期から長期にわたるリスクと課題を踏まえ、良品計画の知的財産戦略は、今後いくつかの重要な変革、あるいは既存戦略の徹底を迫られると展望されます。特に中国市場での手痛い敗訴$^{12, 13}$は、同社のグローバル知財ガバナンスに大きな影響を与えるものと推察されます。
良品計画の知財戦略において、最も明白かつ早急な変革が予測される領域は、グローバルな商標出願プロセスです。
BCF事件の最大の教訓は、初期出願時(1999年)に第24類(テキスタイル)という中核的区分を見落としたという、初歩的かつ致命的な戦術的失敗でした$^{7}$。この一個の「穴」が、20年後に数億円規模の損害と計り知れないブランド毀損をもたらしました。
この教訓を受け、今後のグローバル展開においては、以下のような、より厳格で網羅的な「先願主義」対応プロセスが導入される(あるいは既に導入されている)可能性が極めて高いと推察されます。
中国市場において、BCF社に対し商標権侵害$^{12}$および名誉毀損$^{13}$で二重に敗訴した今、良品計画が法的に取りうる対抗策は、ほぼ尽きたと見られます。BCF社の第24類における権利の有効期限(2031年頃まで、更新可能)が満了するまで、この法的状況が覆る可能性は低いと推察されます。
したがって、今後の中国戦略は、法的な「対抗」から、現実的な「共存」および「差別化」へと、大きく舵を切らざるを得ません。
商標(名称)の防衛が困難に直面した一方で、国内の「ユニットシェルフ」訴訟$^{37}$の勝利によって活路が見出されたのが、「製品形態の保護」戦略です。今後は、この「第二の盾」を、国内だけでなくグローバルで積極的に活用・強化する動きが予測されます。
総じて、良品計画の知財戦略は、中国での手痛い失敗を糧に、より「防衛的」かつ「網羅的」な商標管理と、商標を補完する「形態保護」の二本柱を、グローバルレベルで再構築・強化していく方向に進むものと展望されます。
当章の参考資料
本レポートで実施した株式会社良品計画の知的財産戦略に関する網羅的分析は、同社の経営陣、研究開発(デザイン)部門、およびグローバル事業化部門に対し、いくつかの重要な戦略的示唆を提供します。これらは、同社が「アンチブランド」という理念を、法的リスクが遍在するグローバル市場でいかにして持続させていくかという、根源的な問いへの処方箋となり得ます。
当章の参考資料
本レポートは、株式会社良品計画の知的財産戦略について、その理念的背景からグローバル市場での具体的な法的紛争、競合他社との戦略的差異、そして内在するリスクに至るまで、一次情報および公開情報を基に網羅的な分析を行いました。
分析を通じて浮かび上がった核心的論点は、良品計画の知財戦略が「アンチブランド(無印)」という、他に類を見ない高尚な企業理念$^{26}$そのものによって深く規定されているという、特異な構造です。多くの企業が特許(技術)$^{14}$や商標(ブランド)を積極的に活用し、その価値を最大化することで競争優位を築こうとするのに対し、良品計画の戦略は、その「思想」そのものが模倣や希釈化、悪意の第三者による毀損から守られることを最優先の目的とする、本質的に「防衛的(ディフェンシブ)」な性格を帯びています。
この防衛的戦略は、主に二つの法的支柱によって構成されていると結論付けられます。
第一の柱は、「商標(名称)」の絶対的防衛です。企業の思想そのものである「無印良品」「MUJI」という名称は、同社が法的に死守すべき最後の一線です。香港JBI社による悪意の先行登録に対し、7年5ヶ月という歳月をかけて無効を勝ち取った事例$^{28}$は、その防衛意志の強さを明確に示しています。
しかし、この柱は中国本土・BCF社との紛争において、その脆弱性をも露呈しました。グローバル展開初期における戦術的失敗(第24類の出願漏れ)$^{7}$が、中国の厳格な「先願主義」$^{12}$と「属地主義」$^{9}$の法解釈の下で致命的な結果(ブランドの分断)を招きました。さらに、法的現実を直視しなかった広報対応が「名誉毀損」という第二の敗訴$^{13}$を招いた事実は、理念と法務が乖離した際のリスクを浮き彫りにしました。
第二の柱は、「形態(デザイン)」の法的保護です。ロゴを排した製品群において、その「無印良品らしさ」を法的に保護するため、意匠権に加えて「不正競争防止法」$^{37}$が活用されます。国内の「ユニットシェルフ」訴訟における勝訴$^{37}$は、長年の販売活動によって製品の「かたち」自体が獲得した「周知性(セカンダリー・ミーニング)」を武器とする、洗練された第二の盾の存在を明らかにしました。
意思決定への含意として、良品計画の経営陣は、この「思想」と「法的防衛」のパラドックスを、経営の最重要課題として深く認識し続ける必要があります。知財ガバナンスは、もはや法務部の一実務ではなく、取締役会レベルのリスク管理マターです。
グローバル市場への進出は、事業計画に先立って、知財の先行確保(全分類出願)が完了して初めて開始されるという「知財先行」の原則を、鉄の規律として徹底することが不可欠です。また、デザイン部門は、自らの創作物が単なる「美しい製品」であるだけでなく、「法的防御力を持つべき知的財産」であるという認識を、法務部と開発の最初期段階から共有し、協働することが不可欠です。
良品計画の知財戦略は、特許技術に依存しない「思想」と「美意識」がいかにしてグローバルな競争優位となり得るかを示す、稀有な成功例であると同時に、その防衛がいかに困難でリスクに満ちているかを実証する、極めて重要なケーススタディであると結論付けられます。
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情報の性質
ご利用にあたって
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